高原論文集: 第6集: [62E] Book  B5 V17 2021.10

高原利生 論文集(第6集) [62E]

   『永久に未完成の哲学ノート』  Part E. 第一部 5.章

5.対象化と一体化、自由と愛の統一による生き方

高原利生、
『TRIZホームページ』最終寄稿、2021年10月14日

『TRIZホームページ』掲載、2022年 1月14日

掲載:2022..1.14

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編集ノート (中川 徹、2022年  1月  3日)

本ページは、高原利生さんの現段階での主著である  『永久に未完成の哲学ノート』 (B5版 17版)の、第1部の第5章です。前章までで、著者が創りあげてきた(新しい)「(弁証法)論理学」の論理的な検討・記述を終え、本章では、人の文化・文明の成立以後の歴史がどのように発展してきたのかを、この(弁証法)論理学の見方から大づかみに捉えて論じています。その主テーマは、世界観と人の「生き方」です。

親ページとしては、「第6集 索引ページ」、[62] 「永久に未完成の哲学ノート 索引ページ」、および [62A]  「永久に未完成の哲学ノート 前書き&後書き部」、を参照ください。

本ページに掲載部分の目次は以下のようです。

未完成の哲学ノート 第一部:  論理学、世界観、生き方

5.対象化と一体化、自由と愛の統一による生き方              p.61     PDF   

5.1 弁証法論理と歴史       

5.2 物々交換の開始以前      

5.3 物々交換の開始とその後    

物々交換の成立、交換制度開始の条件 ;   物々交換がもたらしたもの:制度と科学の基礎である等価原理 ;   物々交換の開始後の機能と構造の矛盾の発展 ;   四千年前以降の生産量と人口の増加、帰属という制度(宗教、政治制度)の誕生 ;   物々交換がもたらしたもの: 等価原理(等しさの原理)のマイナス面 ;  資本主義誕生後の歴史 ;   

5.4 対象化と一体化の矛盾   

対象化の誕生 ;   一体化、その不十分な展開 ;  対象化と一体化の歴史総括 ;  愛と自由の関係 ;  得られつつある解のまとめ

5.5 実現の課題   

5.6  実現の課題の考察   

矛盾の項:一体化、愛、謙虚さと、対象化自体が不十分 ;  多くの人の努力が必要だが困難であること ;  画一的な善人だけのつまらない社会になる問題、努力しない人の問題 ;  多様化 ;  対象の拡大のための一体化  ;   事実と価値の判断ができない

 

本章(の特に後半)では、広範囲のさまざまな論点に言及し、著者が考察途中の状況や予備的な検討、未判断のことなどを注記しています。これらは、著者が本書を「未完成の哲学ノート」と呼んでいる所以で、著者の思想的な発展・展開を窺い知る貴重な資料になります。そのような注記部分を著者は濃青字のフォントで指定しています。 ただ、黒字フォントのままで、文意から、考察途中の状況、予備的な検討、未判断のことなどの注記であると思われる部分もいろいろあり、編集者(中川)の判断で濃青字にした部分もあります。

本章は、著者の考察・理論展開の特に興味深いところです。人類文化・文明の歴史的な発展を独自の観点から記述し、それを人の「生き方」と結び付けて考えています。また、今後百年千年の目標として「ポスト資本主義の世界」に言及し、本書第二部([62G])二つなげています。-- 著者の真剣で大きく深い究明のしかたに、感動を覚えます。編集ノート後記などをまだ書けませんが、収録・掲載できることはありがたいことです。

 

本ページの先頭

5.対象化と一体化、自由と愛の統一による生き方

5.1 弁証法論理と歴史

5.2 物々交換の開始以前

5.3 物々交換の開始とその後 

5.4 対象化と一体化の矛盾

5.5 実現の課題 5.6 実現の課題の考察  

 

5. PDF 

 

 

 

[62] 主著『哲学ノート』17版 親ページ

[62A]『哲学ノート』 前書き部/後書き部

[62B] 1.事実、基本概念、価値と思考

[62C] 2. 弁証法論理、3. 矛盾モデル

[62D] 4. 論理的網羅

[62E] 5. 対象化と一体化

[62F] 付 マルクス再考 他

 

[62G] 第二部 ポスト資本主義 [62] PDF

 


    

  高原利生論文集(6) [62E] Book B5  V17  2021.10

 

5対象化と一体化、自由と愛の統一による生き方

論理学の主に論理的な検討が終わった。次は歴史的に見た論理学による(世界観と)生き方である。

 

    

5.1 弁証法論理と歴史

1) 客観世界と人の違い

1.客観世界と人の生に、共通なことがある。

(1) 何事も、始まりとその後の運動の歴史がある。

(2) 二項のモデルでの、外部または内部の差異とエネルギーが運動を作る。
この双方向運動(矛盾)の、入れ子と直並列,階層的並立の全体がある。

2. [THPJ2015/1]の冒頭に、次のように書いた。

人は、世界と人の事実を認識し、より大事な価値を求め、その価値実現のため努力してきた。
       1 時に抗しがたい状況もあったが、それでも懸命に人が生きてきたことを表現し伝えてきた。
       2 事実認識、より大事な価値認識と価値実現方法について、分かっておらず解決できていない課題を表現し伝えてきた。
       3 事実認識と価値認識の結果及び価値の実現方法を表現し伝え実行してきた。
  人が生き、世界に対し行ってきたことはこれだけだと思う。[THPJ2015/1改]

人の生活、思考や対話は、論理と感情から成り立つ。
ここでは論理を扱う。上の3を言い換える。

人類は「無意識に又は意識的に価値と考えているものから仮に作った目的と現実との差異」=問題を設定し、論理,方法を作ってその解決を図り、実現がうまくいかなければ、目的か論理,方法を変更しさらに繰り返す、というサイクルを続けてきた。[FIT2016改]
新 しい価値を見つけそれを実現することが人類の歴史だった。

他生命との共通点である「食べて個体を維持し子を作って種を保存する」ことについても、人のこの特徴が反映されたものになっている。

3.偶然の微細な差異がその後の歴史に決定的な影響を与えてきた。

おそらく客観世界もそうである。人による客観世界の近似モデルがある。
客観世界は、ある粒度での(その粒度は後から分かる)差異が生じ運動が行われる。
ある粒度の差異により運動が起動されて起こった結果、複数の物事の両立がある。
それらから宇宙や太陽系や地球の生成の歴史、人類の歴史、それらの原理が得られる。
閉じた客観世界は、エネルギーを最少にする原理、物質・エネルギー保存則を内蔵している。
以上は一般論である。

 

2) 人類に残っている論理的課題

1. 準備

(1) 価値は、今までは、漠然と個々の人にとって良いことの内容またはその基準だった。
価値とは、良いことまたはその基準である。
今は、主体による対象化を前提にした良いことである。

究極の価値は日常の歴史を総括して得られる。
価値 ←目的 ← 機能 ← 意味 ← 事実の属性(1章[THPJ2012]
事実が変わると属性、共有価値が変わる。
自分と別のオブジェクトとの一体志向である一体化が加わると、自分の価値だけでは語れなくなる。
一体化が加われば、理想は全てのものの価値の最大化になれる。

(2) 文化・文明成立後の人の歴史では、歴史と論理は大まかには一致する。
究極の価値は日常の歴史を総括して得られる。
文化・文明成立後は、歴史から本質だけでなく価値、理想を求めることができる。
この事実の本質、価値は、扱う歴史の長さ、どういう前提の歴史であったか、歴史が成熟しているかに依存する。

この成熟した歴史とは人類の場合、物々交換から今までの約六千年の歴史だった、というのが仮説である。
この歴史を扱う時間範囲は、マルクスたちの「唯物史観」と一致する。
つまり、扱う時間は、農業革命後の生産量増大を受けて、物々交換が成立して以来の六千年間である。

資本主義は「唯物史観」の「今までは支配階級と被支配階級の歴史」という史観を、ほとんど壊してしまった。
所得税、相続税の累進課税などによる再配分は行われており、企業年金も、長くなった退職後の生活を支えている。
今、資本家と労働者という階級もなくなり両者間の「闘い」もない。

所得格差はある。
この格差の「原因」は、実体経済の給料の差よりも株の操作や先物取引などの非合法に近い所得や金融経済によるところが大きい。
困ったことに、背景にあるのは階級対立でなく、経験則で語られている「二割の努力する少数と、それに従う八割の多数で世界が回っている」という普遍的な原理らしい。
階級対立なら簡単だがこの解決は難しい。

(3) 求める前提と仮説を述べる。

求めようとしているのは、種の存続−個体の生という自明の価値・大事さの系列に続く「生の属性」の内容である。

但し、個体の生という価値についても、老衰で死にかかっている老人の価値と生まれたばかりの赤ちゃんの価値の差など、本質はよく分かっておらず表現できてないことが多い。
建前では「人間は、皆、平等」である。
どちらにせよ「種の存続−個体の生」は比較的に単純だが、「生の属性」は、そうでなく生き方によって動的に得られる価値で、殆ど分かっていない。

誠実であることを、検討の前提としている。
嘘をつかない、約束を守る、偽善・欺瞞のないことは、誠実さの前提で、同時に生の属性の一部である。2021.07.21

人は皆、持っている無限の可能性(1章、5.6節)を開花させることができず生き死んでいく。
課題は、人の可能性を開花させ世界を良く変えるための論理学、世界観、価値観、生き方の検討である。

自分が他のあらゆるものに「生かされている」という認識は必須である。
それを前提に、まず自分と現在をありのまま認め、価値系列上の生の問題の次にある、人のどう生きるかという生の属性についての根本的な矛盾がある。
それは、人の可能性を開花させ世界を良く変えるための哲学、生き方の検討である。

人の価値の全体は、客観的価値と主観的価値に分けられる。
この統一が課題であった。

人の客観的価値は、人の外部に対する機能の価値(またはそれと一対一に対応している機能属性の価値)と、負荷のマイナス価値の総和である。

人の生命の存在を短期的な客観的価値とする。
長期的には、人の生命の存在のための努力、全生命の存在のための努力と他の負荷と自然負荷(自然の資源採取および自然への廃棄)の少なさへの努力を長期的な客観的価値とする。
さらに持続可能な経済のためにより長期的には採取する自然資源はゼロを目指さねばならない。
そのための知見は、今はないに等しい。

人の主観的価値は、主観の在り方の価値であり、主観と客観の一致である。
これはさらに、
        21 主観と客観の状態の一致として、人の類の中の個という認識、人の宇宙の歴史と現実の全ての人と生命と物のつながりの中で存在できているという自己相対化認識、
        22 主観と客観の運動の一致として、自由と愛という客観的価値が達成されつつあるという実感、それをもたらす態度として個々の認識における謙虚さ、個々の行為における誠実さ、がある。

これら主観と客観の一致は、全ての思考と行為についてある。[TS2009]

 2. 問題

人の主観的な幸せと客観的な世界の価値への寄与が両立する生き方を作りたい。
これが第一の問題、目的である。この両立は自明の要件と考える。

このために、人類の歴史を貫いている基本法則、基本原理、新しい世界観、価値観の把握、これを作る論理学、これらによる生き方を作ることを目指す。
これが第二の問題で、第一の目的、問題にとっては手段、方法である。
この基本原理は、今後数百年千年の、全ての人や生命にとって共通の基本原理、生き方であるとよい。

これを次の準備と仮説で論理的に検討する。

前提

自分1人だけの幸せはだれも望まないだろう。
主観的な「幸せ」が、客観的な全てのものの価値の増加と両立していることは前提である。
全てのものの全ての「価値」をお互いに高めて行く客観と、その主観的な実感である幸福の両立は、誰にでも思い浮かぶ内容だろうと思うが、実際には、人も宗教も人生の相談者も「幸せ」だけを求めて終わる。
この「主観的な「幸せ」と、客観的な全てのものの価値の増加との両立」という表現は、一般的抽象的過ぎ、具体的内容が伴わない。
一つ一つの行動、態度を規定する具体性が必要である。
これが解決しないと、いつまでも「幸せ」だけを求めるだけになってしまう。

よく分からないので、求める内容は置いてゼロから考え直し行動、態度そのものの根本を考える。

1 根本的に今の何かを画期的に高めるには

(仮説)何かの本質(正)とその真の反対の本質(反)の弁証法的止揚(合)が画期的解である。

2 論理的に、対象化と一体化(愛)は反対概念

(主体の)はじめに、対象化があった。
対象化は、対象を、自分と切り離した対象として操作する態度、行動である。
人の対象化は他の生命と異なり後の一体化を生む可能性を持った対象化だった。

人の今、扱う対象であるオブジェクトに対する態度、認識、行動は、今の人類の行動の基本である対象化と、その反対である一体化の二つで網羅されている。
対象化の真の反対が一体化である。
対象化は、あつかうものを自分と切り離した対象として扱う態度、行動である。
一体化は、自分と対象を一体として双方の価値を高める態度、行動である。

今、人類に必要なのは、対象化と一体化の統一の一体型矛盾の解、弁証法的止揚であるかもしれない。
この解なら、人類を画期的に進歩させ得る。

3 対象化と一体化(愛)の一体型矛盾

一体型矛盾では、二項それぞれの内容と矛盾の作用は、共に矛盾が進むにつれて発展していく。

当初はどちらも初期的形態であった対象化も一体化も、次第に変化していく。
したがって、具体的に、歴史の中から、態度、行動を規定する対象化と一体化の対の初期形態が見つかれば、対象化と一体化の一体型矛盾が、態度、行動を規定する基本法則、原理であるかもしれない。
態度、行動である生き方の指針を作るためには、客観と主観の関係を具体化し活性化する矛盾が必要である。

文化・文明の成立後は、対象化を担う技術・科学と一体化を担う制度・芸術の既成の蓄積が外部にあって、人の認識、外部への働き方を支えるようになったことがこの検討の背景にある。2020.10.27, 11.01
これ自体、対象化と一体化の統合のもう一つの検証になっている。2020.10.27, 30

以上が論理的検討の全てである。

この粒度は、論理的に正しく、かつ歴史的に確認されたものでなければならない。

 

    

5.2 物々交換の開始以前

1) 生命が登場する以前の歴史

地球が生まれ、マントル運動が大陸、山を作る。マントル運動が起きるのは、惑星が生まれた時にあったエネルギーとその後の地球の自転による。

マントル運動、地震が起き、山が誕生し、風が吹くのは変化変更矛盾である。

差異を起こすのは、外部からの力である。例えば、風が吹くのは、惑星の自転、恒星エネルギーによる水の蒸発などによる。地球は多様な環境の星になった。

 

2) 農業革命までの歴史、技術の誕生

生命が生まれ進化が起こる。
生殖によって子孫を残す生命の進化の形式は、「通常の」遺伝子組み合わせと、遺伝子コピーミスによる突然変異の二種あると考えられる。
いずれも、生き残るとは生きるエネルギーを確保することである。

(1) 日常的にエネルギーを確保できたものが生き残る。
その前提で、(2) 通常の気候変動や共存する他生命との関係変化など、緩やかな生きる環境の変化に対処し、生きるエネルギーを確保できたものが生き残る。
さらにその前提で、(3)  千年以上の単位の大きな気候変動や、小惑星衝突、100年程度に一度というかなりの頻度で起こる大きな太陽嵐や、千年程度に一度の大きなカルデラ噴火など突発的な危機を、遺伝子変更によって、エネルギーを確保できたものが生き残る。

数十億年を要して、生き残った生命は意図的な変化変更矛盾、つまり意図的な変更を始めることができるようになる。
目的を持って行動する動物が生まれ、狩猟、採取が始まった。

オオカミやライオンなどの集団による狩りも、人の集団による狩りも、獲物を取るという機能を、空間的な複数の動物の意図的連鎖行動という時間構造を作って実現する。
おそらく、最初の、かつ本質的な意図的構造は、行動の時間的連鎖の構造、及び複数の行動の時間的連鎖の構造である。
これは、人が実現した対象化を必要とせず実現できている。
数百万年前、サルから分岐した人という種が、言葉を作り、石器の利用、火の利用をする。
火の利用が始まったのはこの中で比較的遅く十万年くらい前らしい。
ここまでに人の歴史の殆どが使われた。[https://ja.wikipedia.org/wiki/初期のヒト属による火の利用]

技術上の機能と構造の矛盾は、人類発生以前を含む歴史を持つ。
技術
とは、技術手段と、それを作る過程、利用,運用する過程の総体である。[TJ200306、TS2008-09]
生命と対象の間の媒介物が技術手段である。
技術の始まりは、最初に技術手段を作る過程で起こる。
生命と対象という対立項(これが、項-関係-項の二項である)と、相互作用(これが、項-関係-項の関係である)がある。
この相互作用を良くする運動、矛盾があった。
この矛盾の解は、生命の手の作用機能のある属性が独立し、それが実体化し外部から道具という技術手段による媒介化を行うことだった[IEICE2012]

制度と違い技術は、媒介だけで完了する。
人の内の属性の外化、実体化と、外のもの、例えば石を使うことが同時に起こる。

技術は、人の作りだすエネルギーを前提にして始まった。
(操作する手の外化の)操作系である道具の利用による動物、植物の採取は人が自分のエネルギーを使って行ってきた[THPJ2015/3]

技術の要素が、
         操作する手などの機能の代替である操作系
         持ち運び動かす手足などの機能
の代替である容器・輸送・動力系 [ここまでは資本論第1巻第13章]、
     頭などの判断機能
の代替である情報系
の三つである。
産業革命以降、容器・輸送・動力系(ものの保存・輸送系、エネルギーの生成,変換・保存・輸送系)が加わり、
情報革命以降、3.情報(の処理・伝達・保存)系 が加わる。2020.11.02, 2021.01.19

容器・輸送・動力系は、機能で見ると
          1 誰、何のためにという目的
          2 何を
          3 貯めるか、運ぶか
で網羅される。
1この「目的」は、誰かにとって良い何かを作り、貯め、運ぶことである。容器がその媒体になる。
         例: 消化器、
              血管(・エネルギーを運ぶ、・タンパク質、ホルモン、ミネラルなど、直接、からだを生み出すものを運ぶ、・老廃物を運ぶ)、
              水路(・上水道、・土壌;水そのものと、土の中のミネラルなどの栄養を植物に届ける、・下水道;老廃物を運ぶ)、
              天然ガスタンク、石油パイプライン、電力網、道路、橋。
2「何を」は、
         21 物の場合、気体、液体、個体、
         22 エネルギー(物の属性)、
         23 情報(物、エネルギーの誰かにとっての属性、ここでは検討しない)  2021.01.19

容器・輸送・動力系を、機能の実現構造で見ると、操作系と異なり、
       形状、大きさ、長さ、トポロジーが、直接貯め,運ぶ機能に大きく関係する。
           (情報系もトポロジーが機能に関係する)。
       産業革命当時と違い今は、エネルギーはあるところで電気に変えられ電力網で各地に配送されている。
       電力網の場合、物理的トポロジーは複雑だが、論理的にはエネルギー生産と消費は直結している。
       もの、エネルギーは情報と違い、ローカルな実現が理想であるが、そうなっていない。2020.11.08

情報革命以降、情報系の進化が進む。
ソフトで実現できる機能は、原理上必ず論理回路のハードでも実現できる。
理由は、ソフトを解釈して実行するハードであるノイマン型コンピュータに、
      1 対象(アドレス) と操作(命令)を1語上に同等に表現、記憶して実行に使い2021.02.09
      2
操作の機能に、
            21 論理演算(と論理演算が実現する「算術演算」、「比較」判断)の機能、
            22 ジャンプ機能や、プログラムでa=a+1は、aに1を加えて新しいaにすることを使い、
                   逐次、次のステップに進んでいく時間管理機能があることによる。(付1 平松さん

 

    

5.3   物々交換の開始とその後   [FIT2017] [IEICE2018]

農業革命後の人類の歴史を概観する。
その目的は、歴史の中から今の仮説の論理を探すためである。
そしてそれが徐々にあきらかになってきた。

対象化の反対概念である一体化の初期形態は一方向の一体化である所有帰属である。

農業革命の時点では、人が起こす運動には、偶然の客観的要素がまだ多く、矛盾の開始条件は、殆ど外部から与えられる。

2018年10月20日、広島市大で電気・情報関連学会中国支部連合大会があった[CGK2018]。

内容は本稿の延長で、人工知能、AIが「人類の歴史から、生きる原理を導き出せないのは、何故か」を中心に論文の本題から少し違う次のようなことを話した。

人類の歴史の原理を求める課題探求に問題がある。

そもそも、データがない。農耕の開始や、物々交換、四大文明の誕生という「事件」が、元ネタである。
しかし、これらの開始時期、場所も、広まった時期、場所もはっきりしていない。それがどういう概念、属性を持っていたかについても、想像するしかない。

それに、物々交換については「なかった」という説もある。その上で仮説を作らないといけなかった。
しかも長い時間が経つに従い概念が変化していく。
概念が変化していく内容を推測し、その中で変わらないものと変化するものを確定しないといけなかった。
このような問題でも適切に抽象化を行えばAIで扱うのが可能だと分かった。

物々交換に関わる各段階を以下に示す。

1.物々交換の成立、交換制度開始の条件

制度とは、複数の人の共同観念とその生成、運用の総体である。
共同観念は、実体化してものと人に担われるものと、人だけに担われるものがある。
前者は,交換制度(例:言語,お金)、
後者
は,個人の感じ方、思考、行動を規定する共同主観(例:常識、哲学、道徳、宗教)、
           内部構造から組織制度、帰属制度(例:国家、企業、家族)、
           機能から社会制度(例:法、政治、経済、教育)
という三つがある。[TS2008]

制度の場合、
         外部運動が、共同体の2個体間の観念の2項と、両立,共有をめざす相互作用により矛盾を作り、
         共同観念の両立,共有という媒介化の解を見つける。[IEICE2012]  
技術の開始と制度の開始を比較すると、制度の開始が高度であることが分かる。
技術の開始は人と対象の間に媒介物を入れれば済む。技術の場合と異なり、制度の開始には大きな条件が要った。

制度の開始には、「人−関係−人」という矛盾を生成しなければならない。[THPJ2015/3]

ここでの「関係」は、
       1 共同観念の共有(誰と誰の間で共有が行われているかという共有の範囲と、共有の内容)と、
       2 個々の共同観念から得られる推論結果(例えば、いつまでに何々の手続きをすると何々のサービスが受けられる)の共有を条件とする。
       3 特に困難なのは前に述べた物々交換を始める矛盾の開始条件である。
この三つの困難さが文化の要素のうち制度の誕生が遅くなった理由であろう。2020.01.31,31

運動に、何かを始める開始と、運用,運動がある。
物々交換や言葉のように、観念とものの二つに関わる、交換制度における両立矛盾の開始に必要なのは、
        [0] エネルギーが前提で、
        [1] 始めるための条件があり、かつ、
        [2] 始める矛盾の生成(物々交換の場合、所有意識があること、交換の時間場所の「二人」の観念の共有)と、
       [3] その矛盾の解の実現が同時でなければならない[THPJ2012]
これは困難な条件だった。奇蹟的に次のように歴史が進む。

[1] 人の火と道具のある利用段階に達する技術の発展時期が、
[1] たまたま氷河消失という条件と重なり、一万千年から八千年前に農業革命を起こした。
狩猟や漁業と異なり、農業は
        [1] 人の努力で自在に耕作地を増やし
        [1] 長期保存可能な、でんぷんと蛋白質を含む生産物(produce)の生産量を増やすことができるようになった。
農業革命によるエネルギーと自然の対象化が、四千年かかって徐々に、
        [1]生産量と人口を大幅に増やしていく。
太陽エネルギー利用による農耕の対象化がその後の人類の進歩を開始する。
農耕地開拓により生産物が増え保管が進む。

物々交換をもたらした歴史が、その後の人類の発展をもたらす。
物々交換に限らず、制度における両立矛盾開始という運動の矛盾のためには、始めるための条件があり、かつ始める矛盾の生成とその矛盾の解の実現が同時でなければならない[THPJ2012]
物々交換のように、意志を持った二人の観念が関係するものの運動の開始の場合、これは難しい。

保管している食料を奪いに来る相手との闘いで死者が出るようになる。
この問題をどう解決すべきかが集団のリーダーの悩みの種だった。
正確にはまだ、「奪う」「奪われる」という意識は双方にない。
この闘いが続く中で次第に[2]「所有」という意識ができていった。

まだこの「所有」は法的所有ではない。

六千年前のある時、[3] 物々交換という偶然の解が得られ広まっていった[THPJ2012] [IEICE2012]
解は、闘いを物々交換で解決するものだった。約六千年前のことである。[TS2010] [THPJ2012]
物々交換の成立の直前に、グループ間で、[2] 所有という概念が生まれる。所有という概念は物々交換と同時にできた。

[0] 物々交換を行うエネルギーは十分にあった。それに物々交換が成立した効果として、大きなエネルギー節約がもたらされた。

物々交換の場合、条件と矛盾の解が偶然にでき、しだいに偶然であいまいな運動が確定的な運動になっていく。[TS2010] [THPJ2012] [IEICE2012] 
[3] 物々交換は、[2] 所有というあるものを自分(達)に引き付ける一方向一体化概念の成立直後に生まれた。

これが、前に述べた「最も根本的な矛盾は、今の人の態度、行動の根本を決めている概念とその反対概念の矛盾であり、その解はこの二者の弁証法的止揚であるという仮説」の最初の答えになる。
一体型矛盾ではその運動が外部により大きな変化をもたらすだけでなく、構成二項も次第に変化させるので、ここではまだ初期的概念のままでよい。
物々交換の開始について、モースなどの従来の論者とは、
      第一にこの闘いの中でどうしても現実の死者を減らさないといけないという人類の歴史の問題=矛盾のとらえ方、
      第二に「起源」のとらえかた、
の二つが違う。

極論だが、人の歴史にとって、こうして始まった人の物々交換以外に論理的な物々交換はない。
これ以外の、動物が行う「交換」には人にとっては、意味はない。
人の物々交換が、その後の人類の種としての発展に必要な制度を作り発展させた。
人の重要な歴史の転換に関わる矛盾の中核に、必ずその時代に解決が必要な課題がある。
人に特殊な問題の解決に資するものは、先行する動物の問題解決を含め取り得る全てを取り入れなければならなかった。

そしてある時、偶然の物々交換が行われた。
物々交換が正確に物理的にいつ行われたかは重要でない。
物々交換はなかったという説さえある。
起こったことが論理的に重要である。
歴史的に必要なことが論理的に起こったのだから、物理的にも起こったのである。[TS2010] [TS2012] [THPJ2012] [IEICE2012] [CGK2014]
その結果は余りに画期的だった。
物々交換は次第に着実に広まっていった。
たまたま起こった最初の代表者二人の間の物々交換で最初の制度が成立した。
最初に成立した共同観念は、「所有」だった。
それを作ったのが物々交換だった。

物々交換の成立には、次の三つが必要だった。
        (1) 自分の前にあるものが自分の共同体所有であり、相手の前にあるものが相手の共同体所有であるという認識。
        (2) 自分の共同体の所有物を相手に与え、相手も同じことを同時にするという物々交換予定像。
        (3) いつ、どこで、どのぐらいの量を受け渡すかという物々交換実行の場所と時間の予定像。

両者を考慮したこの共同観念を、別々の共同体の代表が共有することが、物々交換という画期的制度の始まりである [TS2010]

奇蹟としか言いようがない最初の物々交換の成立がどうして起こったのかは今となっては謎である。
謎の解決のための仮説は次のようなものである。

最初の物々交換は、女系社会が男系に転換したとされる仮説「女性の世界史的敗北」と同時期くらいに起こったと推定される。
その時、物々交換の交渉者は、女と武力に優れた男であり得る。

この二人の恋が最初の物々交換を可能にしたのではないか?
たまたま、両共同体に、生産物がやや余っている時期と、恋によって生じた、お互いが相手にプレゼントを与えたい感情が重なるという極めてまれな条件が生じた。
地球で、当初は、生産物が増えれば、増えた分は人口増加に使われたので、いつも生産物は不足だった。
生産物は数か月単位で変化するが、人口増加は常にあるいは年単位に変化するというズレがある。

このズレのため、ある時偶然二つの集団に食料がやや余った状態が生じるという奇蹟が起こった。

これが、強奪によって生じるいさかいで死者が増えるのをどうすればいいかという、共同体リーダーの悩みの種を解決した。
物々交換が成立すれば、分業によって共同体双方の生産力が向上するという認識は、当時はなかったと思われる。
この認識不足を埋めたのが恋だった(という仮説である)。

こうして、物々交換頻度の増大が、働き手の確保と分業による全体の生産力の増大をもたらし、自分の共同体の生産力の増大になっていく。[IEICE2012] [THPJ2012]
こうして最初の物々交換は奇蹟的に成立した。

物々交換はなかったという説や、物々交換から貨幣が生まれたというのは間違いだという説がある。
物々交換(と同時に生まれる「所有」)があったからこそ、物々交換の不備を補う「経済」とそれを補完する「政治」が生まれる。
経済や政治が生まれるにはまず物々交換がなければならなかった。

物々交換は、新しい「もの」と「観念」の両方の運動が同時に起こる、特別な矛盾の解だった。
同じような矛盾に言葉がある。

物々交換の運動の開始の検討が遅れたのは、この複雑さも要因であろうと思う。
[THPJ2012]
ではこの中の六つの矛盾を図で分析している。(付1

最初、偶然の物々交換が生まれ、最初はあいまいだった所有が次第にはっきりし、次第に普及していく。
最初は集団の所有だった。

 

2.物々交換がもたらしたもの:制度と科学の基礎である等価原理

物々交換は、同時に等価原理(等しさの原理)を生む。
何かが等しいものを交換するのが物々交換だから、何が等しいかは当時の大きな課題だった。
このため次第に、等価原理、等しさの原理が生まれ物々交換以外の領域に広まる。

等価原理が意識に発生してしまえば、等価なものが、実物であろうが、貨幣であろうが、何段になった負債、信用であろうが同じである。

21この等しさの原理は、制度では、婚姻に関する集団内の共同観念と並び、所有や「罪と罰」という集団内、集団間の共同観念を作り法制度の一部を作った。
ウル・ナンム法典、ハンムラビ法典などで法的所有が述べられるのは、物々交換が始まってから二千年後である。

最初、特定の集団間で行われた物々交換とその前提の「所有概念」は、次第に広まっていく。

物々交換制度、所有観念は次第に定着し普及して法的概念になり制度化される。
ある社会の中の全ての意識的主体が、物々交換の共同観念を共有し、生産と生活の前提になる。

交換の場所は次第に市場に変わり、貨幣ができ、生産量が増大し、交換が利益を生むようになると、経済制度が発展する。
経済制度の発展は、生産、流通、交換、消費において起こる。
交換は、交換主体、交換対象、媒介物、媒介形態のそれぞれで起こる。

 22.等しいことと差があることは同じことの二面である。
等価原理、等しさの原理は、天秤、等式、差の意識、推論、科学を生む。
物々交換は、制度や、物々交換が起こした「等しさの原理」、等価原理の形で科学の本質と密接に関係する。
つまり物々交換、等価原理は、経済制度、法制度などの制度の根幹、科学、技術の発展に関わる。
等価原理が生んだ罪と罰や復讐は、芸術の大きなテーマになっている。
罪と罰や復讐は、宗教や芸術作品によって強まっていく。

3.物々交換の開始後の機能と構造の矛盾の発展

物々交換が成立した後、制度ができ文化が発展すると機能と構造の矛盾(内容と形式の矛盾)という実用的な両立矛盾が大々的に開始できる条件が整う。

機能の事実とあるべき機能の姿の差異の認識が、差異を埋める構造の可能性を認識し、構造手段を作り機能と構造の矛盾の解を実現する。
意志、意図が、運動を合法則的に行い、農耕の開始後にそれが加速し、生き延びる条件が大きくなっていく。

機能と構造の矛盾が、高度な構造の道具、機械や水路などを作っていく。
これを実現しながら持続的進化を可能にする歴史構造ができていく。

4.四千年前以降の生産量と人口の増加、帰属という制度(宗教、政治制度)の誕生

41.  物々交換が始まった当時は、個の意識もなかった。
[TS2010]で物々交換開始の検討をした時に、地域共同体意識を挙げている。
この地域共同体意識は、帰属意識の初期形態であろう。

地域所有意識、地域共同体意識、地域への初期の帰属意識、物々交換は同時に生まれたか?

最初に生まれた所有意識は、共同体の所有意識だった。

物々交換がなく強奪しかなかった時には、個と他という意識がないのはもちろん
       (なお、個人がお金で売買をするようになってから、個の意識が徐々に広まっていったという趣旨の説明が資本論にあったと記憶する)、
所有意識もなく自共同体意識、他地域共同体意識の区別さえなかった。
当時の「強奪」は、あったものを持ってきただけである。

最初の物々交換は、地域共同体の代表が別の地域共同体の代表と行ったのであろう。
その時、代表である彼または彼女が持っていた所有意識は地域共同体の所有意識だった。

このときの彼または彼女の自己意識はまだ地域共同体意識に等しく、自己意識と地域共同体意識は分離していなかった。
しかも、この地域共同体意識を持っていたのは、地域共同体を代表して物々交換を行う彼または彼女だけで、他の全てのメンバーはまだ地域共同体意識すら持っていなかったであろう。

強奪の場合との違いは、物々交換を行う彼または彼女だけは、他共同体意識を持っていたことである。

おそらく自共同体所有意識、他共同体所有意識が、自共同体意識、他共同体意識を作った。
はじめは、物々交換の行為の瞬間だけ存在したかも知れない自共同体所有意識、他共同体所有意識とこれに起因する自共同体意識、他共同体意識と行動予定像は、物々交換が継続して行われるようになってくるにつれ、次第に定着し次第に明確な意識になってくる。
物々交換を直接担う共同体双方の先進メンバーの、共同体所有意識、共同体意識の萌芽と偶然の行動の予定像の一致が、一時的に偶然の物々交換を可能にし、その継続が一時性、偶然性の程度を下げていき、それが共同体所有意識、共同体意識と行動予定像を強化し、さらにそれが一時的、偶然的だった物々交換を、次第に継続的、必然的なものに変えていく。

漠然とした自他共同体の区別のない観念から、自共同体意識と他共同体意識、それぞれの所有意識への分割と物々交換予定像から構成される共同観念が、物々交換という行為の成功と相互作用して起こり、長い相互作用過程の後、定着する。

この共同観念は、自共同体と他共同体双方のプラスになるものである。

相手のことも考慮したオブジェクトの変化と、その持続の決断が物々交換の成立に決定的でそれが歴史を作ったことに感動する。
この過程はある共同体では成功し別の共同体では失敗するが、成功する共同体は次第に増えて行く。

資源が豊富という条件下では、物々交換に成功した共同体群は分業の大きな利を得るが、失敗した共同体群は衰退する。
物々交換が成立する過程は、共同体の生存を賭けて制度を作る過程であった。

生成時に本質が見える。
共同観念は行動と相互作用しながらオブジェクト分割をしていき制度が分割され高度化が進んでいく。

これは、共同観念の生成と発展の歴史と論理、制度の生成と発展の歴史と論理である。[TS2010  2.2.2項からの引用を一部変更]

42.  多くの個をまとめるために帰属という、所有と並ぶ一方向一体化がはじまる。

おそらく所有が帰属という意識を作った。
所有が先でそれを基にして帰属が生まれた。
所有がなければ物々交換はなく、物々交換の成立が帰属を必要とする大きな集団規模をもたらしたからである。

人の個が全く確立していない状態で、世界への意識的働きかけを担う技術、制度に、一部の指導者だけでなく、多くの人が関わるようになった。
これが、多くの人の、個と全体のギャップを生んでしまった。
このギャップの処理に必要になったのが、自分の周辺の自然、自分の属する集団への意識をうめる宗教(神)、集団への帰属意識である。
この個と全体の差の意識発生が、初歩的な客観と主観を生み、それがさらに対象化と一体化の初期形態を生んだ。

これはせいぜい4千年前、文化・文明誕生後である。
言語や道具の発生した直後は、脳内は、客観と主観の対比とは遠かったと思う。

421.法、政治、宗教の始まり

ある集団リ−ダ間で、所有概念が生まれ物々交換ができ、それがグループ全体にさらに全集団に広がり、「相手の物を盗んではいけない、違反すると罰がある」という法ができるのに二千年かかった。

物々交換から初歩的経済制度が生まれ、約二千年遅れて、経済の発展による生産量と人口の増加がその管理のための法や政治制度を必要とするようになる。
宗教と、政治・行政が同時に必要になった。
これらが同時に必要になるような大規模な宗教と政治・行政しか意味がなかった。2020.01.31

歴史はヘーゲルの神による「自律」矛盾のように、次のことを自分で見つけたように見える。

(1) 物々交換が開いた経済の発展に「法」「政治」が必要なこと。
(2) 必要な「法」や「政治」の実現には、宗教との並立が必要であったこと。
(3) 宗教と並立する独裁政治は、資本主義成立まで変わらないこと。

法制度や政治制度のために、宗教が形成される。四大文明、世界宗教が始まる。

宗教は最大の生産手段であった土地を、支配者が管理するための手段になった。

小集団や部族が超自然信仰を維持していたが、そのような信仰は権力者の支配権や富の移動を正当化したり、無関係な個人間での平和を維持するのには役に立たない。

組織宗教は次のように社会的、経済的安定を提供する手段となった。
     (1) 領民に社会や安全のサービスを提供する見返りに税の徴収権を支配者に認めることを正当化した。
      (2) 小集団や部族は血縁関係にある少数の人々からなる。しかし国のようなより大きな集団は何千もの無関係な個人からなる。

ジャレド・ダイアモンドは組織宗教が、それがなければ敵対的な関係に陥りやすい無関係の個人同士に結びつきを提供したと主張する。
農業革命から生まれた国(古代エジプトや古代メソポタミアのような)は首長、王、皇帝が政治的と精神的な二重の指導者を演じる神政であった。
人類学者は実質的に全ての領土的社会と首長制国家が宗教的権威を通して政治的権力を正当化していることを発見した。[https://ja.wikipedia.org/wiki/宗教の起源]

当時(資本主義開始まで)、宗教の意味には、次の三つがあった。
        (1) 人口増による人と人の関係を管理するための政治制度、
    (2) 土地という生産手段を管理するための政治制度、
        (3) 人の内面にとっての意味(特に謙虚さ)

中世の支配者は、土地を所有しているという意識はなかった。土地所有に特に価値はなかった。しかし土地を管理する必要とその根拠は必要だった。

宗教― キリスト教、イスラム教、仏教など――は四千年前から三千年前ころにかけて生まれた。

経済制度を補完し制度を実現するために、宗教と政治は同時に必要になった。
大雑把に仮説を言うと、宗教と政治の同時並列、相互依存は、資本主義が始まるまで続く。
資本主義成立までの政治は、独裁制だった2019.02
これが、長く続く宗教と政治の一体化と関係している。

学者による検討はされているのだろう。

資本主義成立までの宗教制度と並立する政治制度が純粋に成り立つのは、機械に頼らない農業の時代で、これと機械の産業が立ち上がってくる時代を分けたほうが良いかもしれない。

422.文化・文明の始まり

すでに、科学、芸術はあった。
四大文明が周囲に広がっていく。
そのため、大雑把に言うと、世界宗教の誕生は、四大文明発祥とほぼ同期している。

      (1) 古代メソポタミア近辺のユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
       (2) インダス文明の仏教、

完全に対応していないかもしれない。時間にずれがあるかもしれない。
また、古代エジプトの宗教は、世界宗教にならなかった。

文化と文明は、通常、やや異なった意味に用いられている。
文明はやや物質的なベースがあるニュアンスで、文化はその背後にある精神的なもののニュアンスで。

しかしここの文化は、両者を併せ持った意味の概念である。
そのことを明示するため、文化・文明と書くこともある。
ここの四大文明あるいは六大文明の「文明」とは、ここでの文化(文化・文明)の原型で、次の四者の複合体である。

1 生産を行う技術と労働の体系と運用、
2 生産、交換の管理のための経済制度、
3 そのための初歩的な政治・宗教制度、
4 行政機構。

1が技術、2,3,4が制度である。
文化・文明の本質は、技術、制度である2020.04
文化(文化・文明)の要素の近似として科学、技術、制度、芸術の四つがある。
実際にはこれらの複合体がある。
科学、芸術、技術の原型は、以前からあったので、制度がくわわり、ここで四つが初めてそろった。
文化、文明の発生時期は、実証的検討がされていると思う。

例えば、日本の縄文時代は、多い場合三百人程度が同じ場所に定住して比較的高度な共同観念を共有し合っていたらしい。
しかしそれは四大文明のような、初歩的ではあれ、生産を行う技術と労働の体系と運用、生産、交換の管理のための経済制度、そのための政治・宗教制度、行政機構の複合体ではなかった。

人以外の動物も努力をしている。
個体の生を守り、子を育て、子孫を残すための努力である。

生きることができず子孫を残せなかった個体の遺伝子は失われる。
人も、個体の生を守り、子を育て子孫を残す。
人だけが、意識的苦労ができる段階に至り、その結果が人と外界を媒介する外部に蓄積されるようになった。
他の動物と違うのは、外部の文化により生き方を新しくすることができた点である。
動物の性欲と闘争欲が、一体化と対象化の動物的原型の一部ではあるかもしれない。

価値実現のため、人類はたまたま二種の異なった時間粒度の手段を持った。
進化 は、生命誕生以来、体内で、人の意志に無関係に働いている。
進化は必要な機能を長い時間をかけて構造変化によって実現する機能と構造の矛盾の連鎖である。

物々交換はなかったという説や、物々交換から貨幣が生まれたというのは間違いだという説がある。
物々交換(と同時に生まれる「所有」)があったからこそ、「経済」とそれを補完する「政治」が生まれる。
経済や政治が生まれるには、まず物々交換がなければならなかった。

文化・文明 (技術, 制度, 科学, 芸術)による運動 は、4000年ほど前から、体外で、人の意志で、働いてきた。
文化・文明による運動は、「対象化(自由)と、一体化(愛)の初期形態の矛盾」である。
技術, 制度, 科学, 芸術は、それぞれが機能と構造の矛盾の解を担う手段である。

こうして、進化だけの他の生命と異なり、外界に働きかけることを、
       道具を媒介にして行う技術,
       共同観念を媒介にして行う制度、
       認識を体系的に行う科学、
       一体的に行う芸術、
の四つからなる文化・文明が誕生する。

[OUYOU1990 吉本隆明は、1 対幻想から、2 国家の共同幻想(共同観念に等しい)、3 それが作る国家制度に進むと述べる]  
ここでは、物々交換が人を増やし、単にその管理のための制度として国家が生まれたと考える。[TJ200306] [TS2008-09]

表5.1. 四つの文化・文明と対象化、一体化

 

働きかけ

認識

対象化の手段

技術

科学

一体化の手段

制度

芸術

 

これ以降、全ての人の認識と操作の論理の分かる事実が扱える対象になり、本人の潜在意識や感じ方の内容は、常識,哲学に等しくなっていく。2021.02.18, 03.14

 

5.物々交換がもたらしたもの: 等価原理(等しさの原理)のマイナス面

等価原理(等しさの原理)は、同時に様々なマイナスを生んでいる。

同じ等価でも「罪と罰」は良いが、復讐だけ悪いのか?
「罪と罰」は「等価原理」によるが、復讐は「等価原理」によらないからいけないのか?

とにかく芸術作品がそれを強める。
今は、私的復讐は法的に禁じられているが、テレビなどの時代劇で仇討ちは悪として描かれていない。
忠臣蔵の仇討ちなどである。
忠臣蔵は日本人に共感され、復讐は善という価値意識は、「復讐を起こす『正当な』理由とともに」ではあるものの、日本人の潜在意識に入っている。
民放テレビで「水戸黄門」の再放送が行われている。
十回に一回位、仇討ちが登場し、実際に仇討ちで相手を刺し殺し黄門が褒める場面が描かれる。
これでは、復讐は善という価値意識は、「やむなく仇討ちをしないといけなくなった理由とともに」ではあるものの、日本人の潜在意識に入ってしまう。

子供向けのおとぎ話を要約した簡易版では、「良いことをしたら良いことがある。だから良いことをすべきである」ということがあからさまに強調される。
これは有害と考える。
良い結果を得たいから良い行為をする如何なる実利的な指向にも、現世の「ご利益」にも反対する。

等価交換から生まれ、ヨブ記など初期の聖書にあった文字通りのいけにえは、聖書においても徐々になくなり、キリストの時代には、キリストの「死」以外には残っていない。

復讐はなくさないといけない大きな概念である。

「罪と罰」も変えないといけない概念かもしれないがよく分からない。

聖書の神の審判、黙示録、カトリックの煉獄、通俗仏教の地獄も、現世の「ご利益」を説く通俗新興宗教の偽善とともに、排すべきである。

結果を求めず、ただひたすら良いことをしようとするのが良いのではないか?
同時に良いことは何かを常に求め続けなければならない。

本題に戻る。対象化による生産の増大が等価交換を生み、同時に生産増大がもたらした人の増加に対処して、人の心を一つにする神への信仰、集団への一方向帰属を生む。

しかし、等価意識が、いけにえ、「目には目を」、復讐、罪と罰を生んでしまう。
集団への帰属は他集団の排除を生む。
当時の対処は、緊急の一部の課題を解決しただけで大きな問題を残した。

一方で宗教の生んだ一途の謙虚さ、自己相対化は、全面的に良い態度と思う。
謙虚さ、自己相対化を生むために宗教があったのではないかと思う。

 

6.資本主義誕生後の歴史

資本主義後、大雑把に言うと民主主義、人権意識、「自由、平等、博愛」が始まる。

こうして、物々交換
              → 経済制度
                  → 資本主義成立まで、宗教制度と並立する独裁政治制度
                      → 資本主義成立後、民主制の政治制度
というモデルができる。

当時、独裁は当然で「悪」ではなかった。
2017−2021年の日本や米国の、二つのグループがお互いの足を引っ張り合い非難し合い、社会を悪化させる政治を見てあらためてそう思う。

政治制度の単位は、できた当初は「国」という比較的大きな単位だったが、その後、多様化に伴って分散傾向が強まる。
それが次第に再び大きな単位に成長し、今の「国」の大きさが復活している、というのが世界に共通する傾向である。

別の問題として今の「国」を相対化し戦争の元をなくす必要がある。

政治成立後の四千年の歴史は、生産量と人口の増加に対応する経済制度、土地管理制度、人の管理制度、科学、芸術、技術の歴史である。
そして、資本主義=利益第一主義が生まれて後、
         「私的所有」の結果である「お金」が、唯一無二の「価値」、経済のただ一つの原動力になり
        大問題を作った。

もともと、人類の場合、「種の存続−生の存在」という基準は自明だった。
他の生命についても、「種の存続−生の存在」という基準はある。
絶滅危惧種は、世界で保護運動が広がっている。

 

    

5.4 対象化と一体化の矛盾

これまでの歴史から対象化と一体化を抽出し、その変遷と本質を探る。

1) 対象化の誕生

人間の歴史は、単純化すると意識的な対象化の歴史である。
人は対象化することのできる生命である。
対象化の意識は、おそらく、何かを意図せず操作した時に、たまたま、人に有意な変化が起こる、ということが繰り返されて後、意図的な操作をするようになって発生した。

今までの人の歴史において、三種類の対象化があった。

仮に第一次、第二次、第三次の対象化と言うことにしよう。
この三つはどれも人に画期的変化をもたらした。

まず、人類の比較的初期の、言語の発明、道具の製作と利用という第一次対象化がある。
言葉という媒介物によって初歩的主観が生まれ、言葉に加え道具という媒介物を得て主観と客観の原初的分離が始まった。 これからが長い。

数百万年経ち、十万年前の火の利用に続き、人類は一万年前農業革命によって本格的に第二次の対象化を開始した。
これが
世界に広がるには数千年を要した。

250年前には第三次の対象化により産業革命、資本主義が産まれた。
次第に画期的事象の起こるサイクルが短くなっている。

農業と工業の二つの革命のどちらも、太陽エネルギーに基礎を置いている。[IEICE2016]
農業革命では直接、太陽エネルギーを利用した。
産業革命では太陽エネルギーを基にしてできた化石エネルギーを利用した。
太陽エネルギーと自然の対象化以降の人間の歴史は、もの,エネルギー,それらの運動の仕組みを対象化し、対象化したものを道具や機械で置き換えてきた歴史である。
この運動は機能と構造の矛盾である。

農業革命後の第二次対象化がより重要である。
その理由は、農業革命が、生産物の所有を生み一体化の原型を作ったからである。
新たな対象化と最初の一体化を引き起こした農業革命が人間の歴史の中の最大の変革である。

次のように六千年ほどをかけて一体化は起こった。

2) 一体化、その不十分な展開

1. 一体化の実態: 不十分さと欠点

対象化は、扱うオブジェクトの多様化を起こし、オブジェクトを扱う方法を進歩させる。
対象化された実用的世界観とともに技術、科学は画期的に進んでいる。

対象化は変更のために必要である。
そして対象化が進むと対象に対する操作変更力が高まる。
これは同時に対象そのものに対する責任も大きくする。
また対象化だけでは対象の価値を高めることはできない。何か対象の価値を高める「手段」が要る。
今の一方向一体化はその十分な手段にならない。

双方向一体化は、私と他の生命やものを含むオブジェクトを対等に再統合,一体化し一つのものとして高める態度、意志、行動である。
この意味の価値を、ヘーゲルに倣い、私と他の生命やものを含むオブジェクトを一体として共に高めるととらえる[FIT2013]

対象化の画期的進展は、この双方向一体化の必要性をますます重要にさせている。

対象化は、等価原理を生んだ。
等価原理は、等式、天秤に始まる計量装置、差の意識、推論、科学を生み、対象化に一層、貢献するようになる。

11. 一方向一体化の利点

一方向一体化の利点は次のとおり。
        (1) 謙虚さ。
        (2) 所有したものを大事にし、責任を持って保管し管理するようにさせた。その方法も身に付けさせた。
        (3) 神や大きな集団への帰属意識によって、人は、集団としてまとまり安定した生き方を得た。

神や大きな集団に対して、謙虚に自己を相対化、対象化する可能性、謙虚に努力し続ける生き方の可能性2020.12.11 を得た。
宗教は、資本主義以前の支配者の土地管理を容易にした。

一方向一体化が解決できるものの最大限は何か?
実際に何が得られたか?
それによって本来得られないものはどういうものか?
よく分からない。

12. 一方向一体化の欠点の発生と歴史

一方向一体化がもたらした欠点がある。
等価交換→生産増大→人の増加→人の管理の必要性→人の心を一つにする神への信仰、集団への一方向帰属、という流れがあり、
今の集団への一方向帰属意識は、しばしば、他集団への排除、敵対帰属を生んでいる。

また、等価意識は、いけにえ、「目には目を」、復讐、罪と罰も生んでしまう。

聖書でも、初期には、「神」はカインとアベルの内、取れた農作物を差し出すカインより、子羊を、いけにえとして差しだすアベルの方を良しとされる。これは「神」が等価意識により間違えた例である。
後期には、いけにえは、内面化され自分のいっそう謙虚な内面向上の努力がされるようにはなる。

資本主義が始まるまで、世界各国に共通して、宗教が政治と一体になって土地の管理などを円滑に行い「国」をまとめるために利用されてきた。
その後の資本主義の「国民国家」も「国」をまとめるために利用されている。

物々交換の開始後の6千年の間、対象化が進み、初歩的一体化は徐々に弊害が目立つようになった。2020.08.06

13. 一方向一体化の課題  2020.12.11, 19 全面書き換え

今後の課題がある。

1 所有に代わる(または含む)価値を作ること:
悪しき利益中心主義が世界規模で進み、弊害が大きくなっている。
所有主体が個人と集団の場合があるが、いずれも必ず私的所有である。
所有意識は、所有対象にならない大気や海のような共同物や他の人や集団が所有しているものを大事にしないあるいは敬意を払わない傾向を生む。
私的所有が利益重視や経済格差を生んだ。

物々交換が所有物の等価交換から始まり、等価なのが、物の価値と労働時間(個の生)だったので、お金が価値基準に進んで今に至っている。
所有に代わる(または含む)価値は、個の生(労働時間)と異なる価値である。
可能性は、個の生以外の種の存続か、個の属性(対象化と一体化の統一)の中にある。2021.03.01, 05.03

2 疑似帰属意識の克服:
少なくとも今の帰属意識は、ほとんどの場合、自分の属する組織への正当な一体感と他への不当な排他意識とが一体になっている。

3 この二つが関連し次の多くの課題が生まれている。

(1) 個と対象との関係において、個の側の、疎外や生きがい喪失がある。
間接化と「疎外」により二重に失われた一体性の回復が必要である。

(分業はマルクスが長い間反対した。今では分業の中から全体への道は見えるようになった)
ただ、マルクスの魅力的な労働疎外論は、彼の所有の把握ミスによる。
正確な労働疎外論が要る。

復讐など心が主の問題は、一体化の不十分さだけでなく、自分を対象化できていないことにもよる。
自己を対象化しない謙虚さ不足、一体化における謙虚さ不足、謙虚な愛が不十分という条件の下で対象化は急速に進行している。[FIT2016]

(2) 個と対象との関係において、対象の側の「疎外」がある。
対象の価値が気に留められていない結果として環境破壊などが起こる。

(3) 個と共同体との関係における課題がある。

1 一方向一体化が多様性を排除し、相手の排除という多様性否定(他を排除する帰属感)が起こり、他集団の排除を生む。
宗教や国家、民族のニセの一体化意識による対立、戦争が続いている。

2 一方向一体化が多様性を排除し、所有していないものを、十分対象化できず大事に扱わない、多様な価値の軽視をもたらした。

3 「所有」が「帰属」を作ったことを前に述べた。
一方向一体化の所有、帰属などの不十分さが制度化されてしまった結果、自集団の価値の所有を増やす目的のために、他国との戦争や覇権主義が続いている。
最近話題の「共同所有」は、この解決にはならない。(付1)2021.07.21 

4 大事なことを忘れていた。共同観念は、教育やマスメディアによって作られる。
民間マスメディアは、広告収入というお金によって作られるので、どうしても視聴率目当てで、価値の大小、難しい事実より表面的に大衆受けするものを広めてしまう。
NHKもその影響を受ける。
新型コロナウイルスの問題はその典型だった。(第2部) 2021.08.01

 

3) 対象化と一体化の歴史総括 [FIT2016] [CGK2016] [IPSJ2017]での総括

考察は、個々の認識における謙虚さ、個々の行為における誠実さを前提とする。

1. 問題

理想の目的は、意志のある誰もが(可能なら全てのものが)、いつでもどこでも相手、全てのものの「価値」をお互いに高めて行く客観と、その主観的な実感である「幸福」の二つの両立であるような全体、本質、方法であることを最初に述べた。
主観と客観の二項の原型は、言葉や道具の使用と同時に産まれた。地球で数百万年の歴史がある。
しかしこの客観と主観は一般的抽象的静的関係である。

生き方になるためには、客観と主観の関係を具体化し活性化する矛盾が必要である。
それは人の態度、行動を最も根本的に変える矛盾で、かつ永続する一体型矛盾でなければならない。

2. 人が生きる最も根本的な矛盾は、今の人の態度、行動の根本を現に決めている概念である対象化と、その反対概念である一体化の矛盾である。
この矛盾の原型は、六千年くらい前、物々交換とともに初歩的形態が生まれた新しい矛盾である。

3. 四千年前、進化だけの生命と異なり、次の四つからなる文化・文明が誕生し、対象化一体化を行う要素が出そろった。
外界の変更を、  (1)  道具を媒介にして対象的に行う技術、
                      (2) 一体化を、共同観念を媒介にして行う制度、
         認識を、  (3) 対象的体系的に行う科学、
                     (4) 一体的に行う芸術。

4他生命は遺伝子によって前の世代の知恵を受け継ぐ。
中で、人以外の哺乳類は、親が、子が一人前になるまで必死に生きるすべを教えて育てる。
人は、遺伝子と文化によって前の世代の知恵を受け継ぐので、だれかが、必死に世界観と論理、これらから作られる態度を教えなければならない。
これが今、少なくとも日本では、必要なのに欠けている。
この「基本的歴史理解、世界観のための内容の抽象化」の内容は、特に小学生中学生の生きる態度や行動の前提にもなるので、短く理解しやすく覚えやすいのが良い。

人が今、生きることを抜き出してとらえると、次の系列となる。生きるとはこの繰り返しである。

1 知覚、
2 歴史と現実を総括して得ている論理学、世界観、価値(観)、
3 人の潜在意識、態度、感情、これらが規定する論理,方法(粒度決定=抽象化具体化、推論=仮説設定)、それによる認識像と行動像の生成、
4 技術・制度・科学・芸術からなる文化・文明の支援による認識と行動。

3, 4を動かす運動は、対象化を前提とした機能と構造の矛盾である。

さらに、2, 3, 4の「各階層への分割」とその「各階層内の対象化と一体化の矛盾」は、両立矛盾である。[IPSJ2017改]

図5.2 人類の生きる構造(FIT2016を改良、FIT2017スライド)

 

人類は、この過程を無意識に実行してきた。
そのため、歴史は長い目で見て論理と一致するという結果は、実際の歴史から抽象によりノイズを除去しないと得られない。

これらの矛盾は個々の一体型矛盾より一段高度な一体型矛盾である。

そしてこのように統一的に把握できる形になっているのは、実現エネルギーを最少にするためである(がうまくいってない)、というのが仮説である。

1 知覚は検討の対象に含んでいないが、1 知覚自体も、地球の条件の下でエネルギー最少のため今の形になったと推測できる。

人によって無意識の内に、不十分な一体化と対象化の矛盾を中心とする矛盾が働いていった[FIT2016]。
人の行動は、無意識に、次第にエネルギー最少になっていった。
これを、意識的に十分な対象化と一体化の矛盾、自由と愛の矛盾に変えていくことが課題になる。

「各階層への分割」と「各階層内で統一された矛盾があること」の両立は、これ自体、複雑な両立矛盾である。
この1 2 3 4の各階層への分割がどの程度一般化できるか、歴史的発展の論理検討は課題である。
これは人の活動全体を表す矛盾であった。
1.この矛盾が一体型矛盾に限定されるか、
2.限定される場合、対象化と一体化という一体型矛盾に限定されるかという検討すべき課題がある。
おそらく一体型矛盾に限定される。
それが対象化と一体化の一体型矛盾に限定されるかどうかはよく分からない。
この前に、この矛盾を開始する条件;地球の多様な環境、氷河期の終わり、言葉、道具や火の利用開始などがあった。

 

5.愛と自由の関係

最初に、自由と愛を対比したのは、[TS2009]であった。
自由は対象化についての価値(の基準)で愛は一体化についての価値(の基準)であった。ま
だ2009年には、自由と愛を統一すべき矛盾としてはとらえていなかった。
矛盾と把握したのは2010年[TS2010]である。

自由は大きなテーマで、それだけを扱った本も多い。
その中では必ず「何々からの」自由、「何々への」自由を扱う見方が扱われる。
しかしこれらは自由と「何々」との関係を言っているだけである。
この二つで自由は網羅されてない。
エンゲルスの「自由とは必然性の認識である」という定義も有名である。
サルトルが「ドイツ軍に占領されているとき我々は自由だった」と語ったのも忘れ難い。
何をすべきかが彼にとって必然的に明らかに見えたからであろう。
彼はこの時エンゲルスを思い浮かべていたのではないか。

必要な対象化の価値として自由を選んだのは2010年である。
対象化して操作できる力が大きいほど、人はより自由になるというのが正しい気がした。
これは形式的で中立的な意味を持っている。
エンゲルスとサルトルの二例はこの自由に含まれる。
「何々からの」自由、「何々への」自由も併せ含んでいる。
2010年以来7年経って始めて、自由の意味を書き対象化の価値とした理由を、書いた気がする。

(双方向)一体化は、私と他の生命,ものを含むオブジェクトを、包み込み一体化する態度と行動である。
この意味の価値を、私と他の生命やものを含むオブジェクトを一体として共に高めるととらえる。
これは、自分のための価値である自由と違い、他人だけでなく全オブジェクトの価値である。[FIT2013]
「愛とは、私と他者が一体であるという意識である」と言ったのはヘーゲルである。
このヘーゲルの他者は、他の人に限定され、人以外の生命、ものには適用されない(と思う)。

批判と謙虚さは、本来、自分と相手を高めあうので、どちらも「愛」かもしれない。
ここでの本来の(弁証法的)批判は、自分と相手の双方を止揚し含むものだからである。

 

6.得られつつある解のまとめ  2019.07.06, 2020.09.26 ,2021.03.14, 06.14, 07.26, 08.05[FIT2017]

解決は、対象化と一体化の両立であることが分かった。
人間は意識的に努力し、文化・文明を介し認識と世界の変更を行える稀な生命になった。

物々交換後六千年かかって、初めて、論理学が主導し、

1 弁証法論理による思考と労働が個人の能力を発達させることが分かった。同時に

2 個人の主観の中の抽象的な客観と主観の一体型矛盾は、一瞬毎の、具体的な対象化と一体化の一体型矛盾の解で解決でき、一人一人の一瞬毎の努力が、世界、宇宙に貢献し、かつ自分の幸せ、喜びになるようにできることが分かった。2021.04.15, 06.13

新しい論理学を作ることが生きる内容に入り、自分の生き方と新しい社会を作ることを同時過程にする2021.08.05
初めて全ての人のための生き方、制度を、全ての人が考える時代になった。

この解決過程が進むと、
3 人の廃棄物ゼロ,省エネルギーなどの条件を満たして、長い時間をかけて、もともとの客観と主観自体が、お互いを高め合う地球と人類全体の客観的一体型矛盾に成長していく。

こうして将来は、二つの一体型矛盾、「対象化と一体化」と「客観と主観」の矛盾が並行し同時に進んでいくようになる。
別の事象、運動である。それが同期して進んでいくようになる。
お互いに含み合い入れ子になっている新しい高次の一体型矛盾ができる。

前者は一人一人の主観的生き方を作り、
後者は、最初は、抽象的な主観と客観の統一だったが、今は、客観的になった。
粒度が異なるだけで、共に全宇宙を網羅している。
さらに理想的には、自由と愛の統一、対象化と一体化の統一により、意志のある誰もが(全てのものが)、どこでもいつでも全てのものの「価値」をお互いに高めて行ける。

この実現には大変な努力を必要とする。
また、過去の歴史から学んだ論理が根拠である。
論理と結論は見直しが必要である2021.07.15

目的、価値は、手段、方法の実現可能性が生まれた時、初めて分かる。
一般化すると、目的より手段、解より方法、結論より論理が重要である。手段や方法は、目的、解を超えて進んで行く。2018.09

本書は、種の存続−個の命−個の属性、の順に大きい価値の系列を前提にしている。
本書は、この価値の系列に沿っている。
(500年に一度程度の大災害、日本の場合、それぞれ100年に一度程度の東南海大地震、関東大地震、三陸大地震への対処が、不思議なことに、極めて部分的にしかなされていない。
お金より個の命の価値が大きいことは意識されていない。(第2部))

4 所有という一方向一体化の解決:

お金だけでない価値の実現は、個の属性の一部である。
お金だけでない価値の実現は、所有の解決に(ほぼ)等しい2021.07.26
その気になれば、この理想の価値は、個人の労働と生活の具体的行為においては、意外に簡単に実現できる。
さらに労働組織の目的などが、対象化と一体化の統一を少しでも意識するものになれば、より現実的になる。

5  帰属という一方向一体化の解決:

残る難題は、帰属の問題解決である。
これができると戦争や諜報機関の不法はなくなる。
支配層、マスメディアによる常識が浸透していてこれは難しい。(第2部)2021.07.11

対象化と一体化の統一は、個の属性に属し、一応、所有を解決した。
所有が何段階を経て帰属を作った(前述)。
どちらも一方向一体化である。
しかし良き帰属もある。
他を排除する一方向一体化がだめなのか?と考えたが、悪しき帰属は、所有の増加を求めて戦争さえ起こすので、やはり双方向一体化が必要というもとの結論になった。
(所有を求めない組織への帰属は良いか?)

おそらく、本質的に、所有と悪しき帰属は、同時に弁証法的に否定するしかない。
その時、所有が本質的に解決する2021.07.26。
超私有と超帰属かもしれない。
その時、お金だけの価値と戦争は同時になくなる2021.06.29,07.15,07.24。
その時、復讐などの問題も解決する。
同時にこれを可能にした人の論理把握の進展は、人と世界の同時発展の最大の原動力になる。2021.06.29,07.25

 

とりあえず、どうしたらいいか。
第一に理想的には、本来、全ては関係し合い変化しているので、本来、何かを良くしようとすると全てを良くする必要がある。
特に、目の前の課題を解決しながら、自明である種の存続、個の生物的生以外の生の属性(の何か) を見つけ実現する新しい生き方を作る。

第二に最低限ケースである。
取り組んでいるのが空間的時間的属性の粒度の狭い小さい下位の価値の場合、全体の中の位置を明確にし、上位の価値を優先するのがよい。[FIT2016] [FIT2017、同スライド] [CGK2017]
現実的に、世界の問題の中の私の認識、変更の位置を知ると、世界の問題の全体に関わっている意識が得られる。

これも努力が必要な生き方である。
自分は他のあらゆるものに「生かされている」という認識はとても大事であるが、もう一段進む必要がある。
理想の生き方は、対象化と一体化、自由と愛のそれぞれをより完全にしながら、統一する [Naka-2016] 新しい世界観を持つ生き方である。
これは、全ての面で努力を続けないといけない要請である。

人間は、意識的に努力して、文化・文明を介し認識と世界の変更を行える稀な生命になった。

一体型矛盾は、項が時間とともに内容を変化していく。

今まで、一体化が一方向から双方に形を変えることだけに着目していた。

対象化も、自分以外の対象の対象化から、自己を含んだ対象化が必要な段階が明確になって行く。

対象化は、対象を自分と切り離した対象として操作する態度、意志、行動であると同時に、最新の目標形態が、対象の拡大と、自分も相対化し、対象として操作する態度、意志、行動になった。

今、気づくのは、自己の対象化が実現すると思考、議論の殆どの問題が解決し、自国対象化が実現すると「国」など自分の帰属している組織の相対化ができ、紛争の解決に近づくことである。

論理的網羅による仮説設定という論理学の積極的態度は、自分でやってみないと身に着かないと同時に、生き方、社会を作っていく原動力になる。
論理学が主導して、哲学(論理学と世界観)、生き方、社会は、将来、同じようになる。
2021.01.07
これは、同時に、今の世界の問題解決の基本原理でもある。 [EPM p.153]

 

対象化と一体化の中の一体化のもとになる所有が六千年前、帰属が四千年前に始まり、多様化の可能性が出てきた。
しかし当時の一方向一体化制度だけの場合、多様な個は要らなかった。
つまり、当時は、生物的には多様な個が可能だっただけで、社会には必要なかった。
個の多様性の開花には生物的な可能性だけではなく社会的必要性も要る。2020.09.28,29, 10.12,12.015.6節

そして、産業革命、資本主義は、個の多様性の開花の社会的必要性と可能性を拓いた。2020.11.30

一方向一体化から双方向一体化への「発展」も、論理的には多様性の展開である。
多様性の論理的展開が双方向一体化を作る。

世界に共通に、下記の優先度の高い順の実現を図る。

1. 世界を壊滅させ得る災害の克服(2020,21年の新型コロナなどは小さな問題である)、
2. 民主主義を実現し、「東西対立」「国境」と戦争をなくし、お金だけが価値でない、全世界に共有されるポスト資本主義制度の生成
        (ひょっとしたら私有と帰属は同時に止揚するしかない。つまり、お金という価値と戦争は同時になくなる。2021.06.29, 07.10)、
3. 同時に、各人各「国」の多様な展開。

数千年かかって生まれた問題の根本的解決策も示した。2020.07.01,04 
数百年数千年に一度の変革である [Tana-2010] [Taka-51]。

例1:
労働
の場合、対象化と一体化の矛盾、自由と愛の矛盾が重要である。
一体化は双方向一体化であり、対象化は、自分以外の対象化と自己対象化である。
労働、良いものを効率的に作り利益を増す「合理的」目的から、材料や使う人など対象の価値を増す目的を加えた労働と個人の能力を発達させる弁証法論理による労働に代える2021.06.13。
労働、生活を、自分の能力の全面的発現と、全てのオブジェクトの価値のための 二つの実現にする。
労働と生活の、人の意見以外の対象を相手にする場合、キーは、今より大きな全体に向かうための網羅の態度と「一体化」である。

全体に向かうための網羅と一体化:  喫茶店社員の場合の態度と一体化の検討例、

[1]  [2]のための商品の改良。
        例: コーヒーを紙、布や金属のフィルターを通さず濾す方法。

[2]  1) 自分の店の顧客層の種類の網羅。
      2) それぞれを増やすとしたらどうすればよいか。
      3) 顧客種類毎にまた一人の顧客にどういう商品をどう提供するとその人のためになるか?
         それに応える商品。
               例: 全ての顧客に、その都度、必要で良い量、質の飲食品を提供。

[3]  これらの社会全体の中の位置の把握。
        例: コーヒーを喫茶店で飲むということは?
              コーヒー生産国のコーヒー生産の位置。
             全体の制度をどう変える?

[4]  コーヒーのためにはどうすればよいか?

これらが同時に社員の力も伸ばす。

人とオブジェクトの双方を活かすためには、人の価値と、入手する素材の生産過程、流通、包装、消費、廃棄などの全過程を含め、対象であるオブジェクト全体の価値を共に高める(愛の)ためにはどうすれば良いかも考慮することが必要である。

全ての人が労働と生活の場で、動いている全過程に自由と愛、対象化と一体化に目を配る意図と仕組みが必要である。
教育内容(特に初等中等教育)の変更が必要である。

お金は、対象化、自由だけの価値だった。
働き方改革において働く条件の改善の問題は小さい。
大きな問題は、働く目的と得るべき価値である。
今の労働運動は、労働条件の向上運動にしかなっていない。
例えば過労死の本質的対策は、労働条件の改善でなく、働く目的の「正しい」把握であり、間違っている場合はそれをただすことである。
2015年電通の社員だった高橋まつりさん自死という痛ましい事件が起こった。
報道されないだけで同様の原因による自殺はおそらく多い。2020.10.19
内容
である資本主義における働く目的の問題(と、それによる上司の生き方の一部、指導のしかたの問題)が一義的で、労働条件は二義的問題である。
利益増という働く目的が問題で、極論すれば労働条件の不備だけで過労死は起こらない。
今は、右派、リベラル、左派、マスメディア全てがこれと反対である。

他のオブジェクトのための労働の変更が、全世界でどれだけの良い結果をもたらすか、もたらしたかが示せると良い。
こうして、客観的価値実現と私の主観的幸せの統一が得られやすくなる。

以上は、生活の場合にもほぼ同様に当てはまる。
2018年「虐待死」した船戸結愛(ゆあ)ちゃんの親の裁判が2019年に始まった。
手紙「おねがい。もうゆるしてください」ではじまる日記、「えいえいおう」で終わる日記がある。
五歳がこれだけ自分の思いを書けるのがすごい。
自分を客観的に見つめ、とても客観的にはできないことを必死に努力し、親へも懸命に言う生き方に感動する。
これだけ書けることは、親の「教育」によるだろう。
しかし日記の内容は親に伝わらなかった。
この事件は親の生き方の問題である。
この問題が解決しないため「どうしたら結愛ちゃんの命を救えたか」という二次的問題が出た。
学校でのいじめが、いじめる側の生き方の問題であるのと同じである。

例2:
思考
を、自分の前の意見と自分の新しい意見とを、弁証法的に統合するものにする。
議論
を、相手の言の整合性を理解し相手の世界観に敬意を持った上で、相手の意見と自分の意見とを弁証法的に統合するものにする。
これには、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾が重要である。

思考や議論の場合、キーは、今より大きな全体に向かうための網羅と、相手への敬意、自己の対象化、客観視、相対化の態度である。

今まで自己対象化、相対化ができないことが、ほとんど思考、議論の妨げだった。

目的は、本来の議論、思考そのものの変更であるはずである。
しかし、今は、思考も議論も豊かな内容はない。
今の民主主義は名前だけで、中身がない。

復讐に至ってしまう感情の悲劇を防ぐキーも、一体化不足以前に、おそらく、個人間、国家間を問わず自己の相対化、対象化である。

この二つの例の実現が(本稿で論じていない感情や芸術を付け加えて)、ほとんどポスト資本主義と豊かな生き方の全てである。
いずれも、今の一瞬に、今後のあらゆる可能性を思い浮かべ、その中から如何に選択をするかがキーである。
これは、今、何をしているかに関係なく同じ課題である。
そしてベストな選択だと思っていても必要なら違和感を覚える感性が要る。

その感性と論理があれば、人の労働も生活も思考、議論も、全ての人の能力を高め続け、世界のオブジェクトの価値を求め続け、実現することができる。

今、やっと大きな問題が定式化できた。
全ての人々の英知を結集して考え、人の新しい生き方とポスト資本主義を作らねばならない。実現に千年かかるとしても始めないといけない。

歴史上初めてのこのチャンスが、既存エネルギーに代わる空間、時間、自然危機から独立な新しいエネルギーを作る時となぜ重なるのかは謎である。
人類は、あらゆる空間時間に関係ない新しいエネルギーを利用する責任を負うことが必要で、かつ、できる段階に至ったのだと思う。[FIT2016改]

今まで、種の存続、個の生を、生の属性の前提にして考えてきたが、対象化と一体化、自由と愛を統一する「生の属性」が得られる可能性があれば「種の存続」を取りあえず究極の目標にしても良いのではないか。
宇宙の存続はこれより大きい価値だが、今、このための努力はできない。
できないことを目標にはできない。理想、価値と目標は異なる。

持続可能な社会というスローガンがある。
過程のスローガンに見えるが、何の持続なのかこれだけでは不明である。
全てのオブジェクトの価値向上を表すスローガンが良いのではないか。
そうすれば全生命の持続、地球の持続を含み、各人の具体化もしやすい。2021.02.18

 

アルフレッド・アドラーの「自己像、世界観、自己理想」からなる「ライフスタイル」は、本稿で提案する生き方に近い。
しかし、アドラーは世界観を今の世界の現実像に限っている。

自己について現実像と理想像があるように、客観の世界像には過去の世界像、未来の理想世界像と続く流れがある。
その中に原理、法則を見つけられる。
この人類の過去、現在、未来像から導き出される客観的原理(法則)が、対象化と一体化の統一、自由と愛の統一である。
それが、この客観的価値実現と私の主観的幸せの統一の内容である、というのが私の主張である。

対象化と一体化の統一とは、論理的なオブジェクトの関係についての統一である。

ユバル・ノア・ハラリの「サピエンス全史  文明の構造と人類の幸福」(河出書房新社2016, 原著2011) [YNH]と、ジャレド・ダイアモンドは、一種の人類の統一理論の試みをしていると理解できる。
この二人は人類の歴史の優れたまとめを与えてくれる。必読と言っていいと思う。

本稿で、既存の哲学、現代哲学によらず、知覚と、事実と人の関係の歴史蓄積だけに基づいて、少ない概念と原理によるシンプルで合理的、正確、厳密という点、時代に合った論理学・世界観という二つの利点を持った哲学の骨子が得られた。
哲学は歴史と共に変わっていく。
ユバル・ノア・ハラリの書は、主観の誕生を重視し本稿より前の時間を重視するが、運動の今後の展望を明らかにしない。[IEICE2018] 
本稿のような、今後の展望を導く歴史の世界観,価値観、論理が必要である。

 

今、歴史上初めての画期的チャンスを迎えている。
これらの実現のためには、多くの人の「常識」を転換し、対象化と一体化、自由と愛の一体型矛盾を世界観にする必要がある。
そのための矛盾モデル、論理である論理的網羅思考の普及も必要である。

この「哲学」(世界観と方法)に多くの人の賛成が必要である。
また、この価値を超えるより大きな価値も全員で求め続ける必要がある。

今後千年の課題である。

地球誕生後、生命が生まれた。
生命の系統樹の末端に、人、他の動物種、植物種が対等の立場で存在する。
人が、もし、ペスト菌や他の動物種、植物種に比べて優れているとすれば、それは、得ている知識を、人のためだけでなく、ペスト菌や他の動物種、植物種の「価値」のために使える画期的な存在であるからである。
人が一瞬でも傲慢になればこの優位は消えてしまう。
論理的に言い換えると、人のあらゆるオブジェクトに対する謙虚さ,愛、自由の二つと、人の他オブジェクトからの優位性は同時にだけあり得る。
訂正する。人のあらゆるオブジェクトに対する謙虚さ,愛、自由の二つがある時だけ、人は他オブジェクトに優位である2021.02.11。

本稿では、物々交換後の文化誕生後の文化の歴史が、ここでの人類を特徴づけるとした。

人の歴史が対象化を生み、さらに文化において一体化を生んだ対象化が、人を画期的な存在にする。
この変革は、所有や帰属、「罪と罰」のような一方向一体化から生まれた今までの常識を考え直す変革である。

人類の今後の展望も示すことができた。
一体化と対象化は、二つのエネルギー革命から生まれた。
一体化と対象化、自由と愛の一体型矛盾は、物々交換以来の約六千年の時間粒度を持つ。
今は、新たな必要性と可能性の矛盾が熟し、新たな時代を拓く課題の中にある。
本稿の粒度の歴史認識を前提とした、より大きな粒度の矛盾が問題になる。
今までは、手段変更は個別には意図的だったが、全体を意図的に制御する論理はなかった。
それが得られる画期的段階に人類は達している。

理想の生き方は、一瞬の中に、大きなものへの謙虚な態度「祈り」、苦しみ悩み、自分の全ての力をふり絞って努力をすること、それが客観的に全ての世界の全ての問題に繋がっている認識を同時に持つことである。[FIT2013]

ポスト資本主義という制度は、「正しい」原動力により、ものに関する生産量を必ずしも増大させず地球への環境負荷はゼロ以下にし、人や他の生命、他のオブジェクトの価値を増大し続ける制度である。
この制度は、その中で生きる人の新しい生き方と同時に実現する。
ポスト資本主義は、はじめて、個の確立と多様な能力発展が価値になり、必要で可能になる。
マルクスが抽象的にしか夢見、語ることができなかった全ての人の個性的能力が発揮される未来像が具体的に実現されるとしたら、資本主義の、少数が大勢を支配するのに使っている
        1 常識,哲学,お金という価値,生き方と
        2 政治経済を、
同時に変えなければならない。
この生きる原動力が同時に政治経済の原動力になることが可能な時代が、今、始めて来ようとしている。(付1平松さん2021.04.24

個人に解放されたSNSでの誹謗中傷など、経済を管理すべき政治の機能不全、正確に伝えないマスメディアは、新しい時代への過渡期の混乱の現れである。
同時に、全ての人の個性的能力を発揮する必要があることの現れかもしれない。(第2部2021.04.24, 06.25, 07.15

今まで「種の存続」「個の生」を「生の属性」の前提にして考えてきた。
対象化と一体化、自由と愛を統一する「生の属性」が得られる可能性があれば「種の存続」を取りあえず究極の目標にしても良いのではないか。
「種の存続−個の生−生の属性」という価値の系列が一回りして、最も小さな価値,生き方と大きな価値の関係が分かった。
これも実証には時間がかかる仮説である。
しかも入れ子になっている。
この実現まではもちろんのこと、その後も、
        1 自分を対象化、相対化し続ける、
        2 より大きな全体を見続け、
        3 価値と正しい真実を求め続ける必要がある。

一方向一体化である所有(持つ)、帰属(属する)の 状態から、常なる 双方向一体化(愛する)へ
これら個々の努力のもとで対象化と一体化、自由と愛の統一へ2021.02.23, 05.13

 

    

5.5 実現の課題

しかし得られたのは安らかな「幸せ」ではない。
これは今の努力を永久に行い続けないといけない生き方であり、今の一瞬が、世界の把握であり、過去の総括であり、祈りであり、思考であり、科学,芸術,技術,社会制度の変革行動である生き方である。
それは良いとしても、次の課題がある。
昔の把握 [THPJ/2015/01]より複雑になった。

以下、課題を、網羅でなく、整理できていない形で羅列するにとどめる。
(書き始めた2018年から殆ど進展していない)

1一体型矛盾は、項が時間とともにその内容も変わって行く。
          項である一体化も対象化も不十分である。

2それぞれの完全な実現のために、この矛盾をできるだけ完全に運動させること。

一体的努力を全ての人が行うなら問題の解決に寄与する。
この一体的努力は、本来、一体化(愛、謙虚さ)の結果として得られる困難な課題であり堂々巡りになる。

3これに関連する悪い副作用、良い効果など他との相互関係の検討を行う必要がある。

まとまらないがいくつか気になる問題を見ておきたい。

31.「一体化の一体的努力を全ての人が行う」結果、できる社会は画一的な「善人」だけからなるつまらない社会かもしれない。
32. 気になることは、常識を変え、常なる努力を必要とする生き方を本質的に受け入れない何かがあるのではないかということである。

4対象化がもたらす多様化に対処する必要がある。

対象化の不足、謙虚さの必要性、努力を続けない人をどうとらえるか、多様性の問題、これらは同じような問題らしい。
多様化とは、対象化と一体化、自由と謙虚な愛の矛盾の内容そのものである。
これは、何を対象化するか何と一体化することから始まるだろう。
しかし、生まれて以来の教育やマスメディアに作られた固定観念が邪魔をして、自己、一体化の内容はおそらく相対化、対象化しにくい。
これは多様化、特に個性の開花は難しいということだろう。

5一体化が対象化の拡大にも寄与する。

これは、問題でなく、新たな認識であるが、これを解に利用する必要はあろう。
これらの問題を今から悩んでも無駄かもしれない。
しかし、今から悩むことは現在の問題をよく解決するかもしれない。

6これら以前に、事実と価値の判断ができない初歩的問題は大きい。

 

    

5.6 実現の課題の考察

この順に検討する。
分からない
ことをそのまま書いている。読みにくいと思う。
書き始めた当初からの進展が少ない。多様化のところだけやや進展した2021.06

1)矛盾の項:一体化、愛、謙虚さと、対象化自体が不十分

 1.一体化

一方向一体化により、集団としてまとまった安定した生き方と、神や大きな集団に対して自己を相対化、対象化することもでき、謙虚で努力し続ける生き方が得られた。
この長所は残す必要がある。
一方向の謙虚さは態度として必要である。
一体化には、多様な人の心が安んじて謙虚になり大きなものへ帰属し信じるという下からの一体化は前提としてある。
神との双方向の関係があり得るのかよく分からない。あるのかもしれない。

論理的網羅による仮説設定という態度は、自分でやってみないと身に着かない。
同時にそれ以上に、弁証法的止揚によって、過去の思考を高めること、自分と相手の双方の意見を高めることが、思考、対話の目的である。
実際には、全肯定で相手に同意して終わるか、全否定の非難をして終わることが殆ど全てである。

これには、相対化、対象化の不足と同時に、謙虚さという一体化の不足が大きい。
ほとんど全ての問題と言って良い。
相対化、対象化、謙虚さは、必ず同時に必要である。
その前に各人の固定観念への無意識の執着があり「原因」になっている。
入れ子になったこの構造を直すのは大変な課題である。
日本に特有の課題として、周りと同化し過ぎ「空気を読」み過ぎる傾向がある。
「相対化、対象化と同時に、謙虚さという一体化が必要である」「その前に固定観念の無意識の執着がある」のは、全ての人に当てはまる。

11 一方向一体化により解決できるものの最大限は何か?
          何が得られたか?
一方向一体化で得られるものの最大のものは人の謙虚さである。
一体化には、多様な人の心が安んじて謙虚になり大きなものへ帰属するという下からの一体化がある
今向き合っている全てのものに対する祈り、集中、一体化、愛かもしれない。

12 一方向一体化によって得てはいけないのはどういうものか?(済んでない

13 一方向一体化が実現してどういう欠陥が見えてきたか?(一部済んだ)

次は謙虚さと一体化について述べた[FIT2013]からの引用である。

粒度特定、方法を規定するものが態度である。
態度の極限は、徹底的に誠実であること、オブジェクトに対する対象的態度と一体的態度の極限である。
一体的態度の極限が謙虚さ、対象的態度の極限が批判である。
謙虚さと批判は、独立していながら、両方がそれぞれ相手を高めながらより高くなっていく一体型矛盾を作る。

謙虚さと批判の一体型矛盾は、時間分離 [LB]により分離でき、前項が、とりあえずまず全面的にとる態度、後項が、その一瞬後相手と対象をより高い次元にするための全面的批判の態度である。
理想的には、その後、後項が前項に肯定的に反作用し、両項が良くなっていく好循環を作る。

謙虚であることは、本来の一体化の面から相手と対象に感謝する(相手と対象から自分に気持ちを「受け取る」)こと、相手と対象をほめ(相手と対象に自分の気持ちを「与える」)、ともに喜び合うこと、相手と対象の現在、現在をもたらしたもの、可能性の全体を理解することであり、相手、対象との同一性である。
副次的な対象化の面からは自分を相対化することである。
つまり、謙虚であることは、対象化の面から自分の既存の固定観念を相対化し、同時に他と高い次元での一体化をもたらすという構造がある。
この謙虚さは、高い認識をもたらして自分を高め、他集団の悪意的排除をする悪しき帰属を排除し、(私的)所有に代わる、まだ名前のない愛に似た対象に対する意識をもたらす機能を持つ。

相手、対象を高める批判は、本来の対象化の面から、対象との差異性の対象化処理の態度であるが、副次的に相手と対象を自分とともに向上させる一体化の面もあるという構造がある。

この批判は、変え与え教えることによって相手と対象を高めるという機能を持つ。
感謝し、ほめ、謙虚である対象は、自分であり、相手であり、対象であり、これらを含んだ「事実」である。
努力が実れば、お互いに感謝し合い相手を褒め喜び合う。

感謝し相手を褒めお互いに喜び合うことは、勇気と能力を要する実に難しいことである。

しかし、誰も、褒められることだけが、自分を良い方向に導いてくれる。
自分を相対化しない固定観念は、謙虚さを妨げる。
この態度は、謙虚さと批判性、対象化と一体化を、極限まで徹底して求める論理的網羅思考と、謙虚さと批判性、対象化と一体化を統一する弁証法であった。
論理的網羅思考には、態度として、謙虚さと批判性の矛盾が特に適用される入れ子構造がある。

[態度を規定するもの]

態度、弁証法と論理的網羅思考を規定するものがあるだろうか?あるとすれば何だろうか?

1 態度を直接規定するものは、
第一に、その最大のものが、価値とそれによる目的であることは明らかである。
より良き価値のために相対化と追求を続けねばならない。
この追求も論理的網羅思考による。
第二に、謙虚さと批判性という矛盾を何が意識させるだろうか?これは実感できず今後の課題である。

態度、弁証法と論理的網羅思考を直接規定するものも、弁証法と論理的網羅思考という入れ子らしい。

2 次に、態度を間接的に支援するものは何か?
網羅的でないが、思いつくことが二つある。

一つは、弁証法では、全てが関係し合っているため、あることの達成には他の達成も必要になる。
同時にこれはあることの達成が他の達成にも貢献することを示す。
一事が万事、一時が万時、我がことの今が世界の今と今後につながる。
この可能性の実感は、態度、姿勢、方法の内容を良くしていく原動力になるのではないか?

二つ目として、もし、生き方つまり態度、方法の複雑さに統一性があり、態度、方法内の各制約が合理的に充足されれば、態度、方法それぞれの改善が進み易く、人はその態度、方法を取り易いであろう。

生き方、態度、方法の内部を規定する制約には、価値と事実についての生き方、態度、方法が、
        1 「何」に依拠するか?
        2 「何」を対象とするか?
        3 「何」をどのようにより良く変え続けるのか?
の三つがある。

制約の一番目、謙虚に依拠すべきは、事実とその歴史である。
謙虚であるためには、自分より大きいものを受け入れることが十分条件である。
自分より大きいものを、歴史を含めた事実とすることができる。
制約の二番目。事実は、対象的、批判的により良く変更していく対象であり、一体化の対象でもある。
制約の三番目について、弁証法、論理的網羅思考の論理は、事実の歴史の総括で得られた。
歴史は論理と一致するという弁証法論理の一つの結論自体、事実の歴史から得られた教訓である。

以上から、この「」を、歴史を含んだ事実とすると、方法と態度についての三つの制約が統一的に充足される。[FIT2013]

 

まだ、一体化、愛、謙虚さという項自体が不十分である。
謙虚さという一体化が、一方向一体化でいいか、双方向一体化が必要かは微妙である。
これは重要で、自然や神に対して謙虚であることの位置に関わる。
とりあえず一方向一体化と双方向一体化の二つがあるとし、双方向一体化の内容は保留しておく。

謙虚さは、対象化から間接的に得られる――つまり、対象化が生産を増大させ、それによって物々交換が起こり、経済が発展し人が増えるため、人の心をまとめるための,神や自然への謙虚さを必要とする――が、もう一つの別の流れでも得られる。
対象化は、自分という対象を相対化することによっても起こる[FIT2013]。
このいわば直接の自己相対化と一方向一体化による謙虚さの、意味合いの違い、歴史順序と価値への寄与の度合いが重要になる。
両者は別の謙虚さかもしれない。
整理できていない。
宗教の生んだ謙虚な態度は今も必要と思う。

しかも、謙虚さは、今まで宗教あるいは宗教的感情によってしか得られなかった。

求めなければならないのは、
        一方向一体化から得られる謙虚さ、
        双方向一体化の中身と、
        双方向一体化の実現方法
の三つである。

理想的な双方向一体化で思い浮かぶのは
          1 26歳のマルクスが経済学・哲学草稿で描いた意識のないもの(太陽と植物)どうしが相互にお互いのプラスになる作用を行いあう双方向対象化から敷衍される双方向一体化の姿である。(付1
一方向一体化と言う時、思い浮かべるのは、
         2
聖書「詩編」などで表現される謙虚さと、
         3 強制された悪しき政治的独裁者への服従、悪しき独裁者の管理の容認
という対極の二つである。

「愛」という価値は、この1だけでなく2も含む。3は含まない。
一人一人が相手や他オブジェクトの価値を高めるには、必死にその実現方法を考え実行する小さな神仏にならないといけないのではないかという状態から前に進まない。
罪と罰を超える新しい原理が必要である。
そのときに復讐がなくなる。
とりあえず、一方向一体化である所有(持つ)、帰属(属する)から、双方向一体化(愛する)へ。2021.02.23

 2.自己対象化、自組織、自「国」対象化

2018年末に気づいた。
今まで、一体化が、一方向から双方向に形を変えていくことだけに着目していたが、これと同時に対象化も、自分以外の対象の対象化から、自己対象化を含んだ対象化に進化して行かなければならない。
本人は意識していなくても、客観的に傲慢になっていて思考、議論が深まっていかないのが、一体化の困難さに劣らない問題である。
自己対象化ができないことは、自組織と自「国」対象化ができないことに繋がる。
マルクスは国の消滅さえ観ていた。

 

2) 多くの人の努力が必要だが困難であること

矛盾の解の完全な実現のために、この矛盾を完全に運動させることが必要である。

制度と人の生き方の二つを同時に変革することは困難なように見えるが、数千年の歴史において、不十分だが無意識に二つを同時に行ってきた[FIT2016]
意識して努力すれば短期間で二つは実現可能だろう。
おそらく全員が同時に目的を持ち必死に意識的に没頭して努力することなしには実現できない。
全員の努力は大きな課題である。
努力というのは、次の「諸個人の力」[DI]である。

(マルクス、エンゲルスが理想とする共産主義という運動の)「従来のあらゆる運動と異なるところは、それが従来のあらゆる生産関係と交通関係の基礎をくつがえし、あらゆる自然発生的前提をはじめて意識的に従来の人間たちの産物として取り扱い、それらの自然発生性を剥いで一体となった諸個人の力に屈せしめるところにある」[DI 国民文庫p.132] 
「ドイツイデオロギー」第一巻TC [DI 国民文庫p.132]に、実現の力としての一体化ないし一体という言葉が3回出てくる。
一体化によって没頭して皆が集中して取り組む一体化、一体となった諸個人の力が実現の原動力になることを表しているように読める。

これはマルクス,エンゲルスが理想としている共産主義という運動についての文からの引用を基にしているが、一般に理想について当てはまると考える。
だが、マルクス、エンゲルスは、実現の原動力としての「一体となった諸個人の力」に何の疑問も感じていない。
彼らの検討も新しい社会をどう作るかについては不十分だった。
それに、ここでは個人は一様に扱われている。
人類の客観的原理が、対象化と一体化の統一、自由と愛の統一である。
この客観的価値実現と私の主観的幸せの統一が求めるものである。

この統一が理想の生き方を作るというのが私の主張である。全員の努力と普及が課題になる。

弁証法的止揚による思考や議論は、まだ、政治、行政、マスメディアなど、生産労働に直接関わらない領域においては、殆ど行われていない。
かつ、政治、行政、マスメディアが実質、支配層を作っているという問題がある。2021.04.26 (4章)

 

3)画一的な善人だけのつまらない社会になる問題、努力しない人の問題

1画一的な善人だけのつまらない社会になる問題

「一体的努力を全ての人が行う」結果、できる社会は「善人」だけからなるつまらない社会かもしれない。
実際には理屈どおりにはならないから大丈夫と言ってはならない。
多様化の重視で一部は解決するが、単純な一方向一体化は、この多様性を排除してしまう。
相手の排除という多様性否定(他を排除する帰属感)と
      多様な価値の軽視(所有していないものを大事に扱わない所有観)をもたらすからである。

一方向一体化がもたらしてきた欠点を排除するために、次の双方向一体化へ発展すればいいのか?

多様化と統一すればいいのか?
二つ方向がある。

一つは、「彼らを非難してはいけない。非難自体、彼らを上から見ている。彼らの生き方も別の生き方として尊重し、それで良いのかもしれない。しかしそれだけでよいのか?」と考える。

二つ目は、「あくまで努力する生き方が正しいので、そうしない人の立場に立って、何とか自発的に努力するようにさせるようにしなければならない、彼らを生むのは目指す価値が必ずしも完全に正しくないからではないか? だから目指す価値の正しさは常に見直さなければならない」と考える。

どちらがいいのか分からない。
後者の「目指す価値の正しさは常に見直さなければならない」気持ちを継続すればどちらも同じかもしれない。
別の答えがあるのかもしれない。
これらが解決しないなら、今の常識が、対象化と一体化の統一に変わっただけになる。
それでもそれは進歩だろうか。答えの見通しがない。

2.努力しない人の問題

提案している生き方は、常識を変える常なる努力を必要とする。
努力する人は全能力、全人格を発揮し、自分と他人、他オブジェクトを良くし続ける。
しかしそうしない人との差はどんどん広がる。

背景にある根本的問題は、経験則で語られているわずかの支配層(後で触れる)と多くの非支配層、一,二割の努力する人とそれに従う人という構造の普遍的な原理がある。
これは、常識を変え、常なる努力を必要とする生き方を受け入れない本質的構造があり、目先の楽を取る本質的に保守的な人がいるのではないかということである。

文化・文明成立後、常に少ない支配層と多くの非支配層はある。
一方、階級対立などは、マルクスの言うところと異なり、すでに実質的に資本主義が壊した。
資産の格差は、資本家と労働者の差によるものではなくなった。

努力する少ない支配層と努力しないで周りに流される多くの非支配層、時流に乗って生きていく人とそうでない人、という社会心理要因による区分は残っている。2019.11.10,  2020.03.22
今の左翼やリベラル、一般的に「昔」の流行思考者には、ただ時流に乗って自分では余り考えず生きていただけの人が多い。
そういう人は今も自分では余り考えない。

人は経験と教育で常識を身につけている。
半数は、目の前の意識的対処の必要な物事を判断し意識的に努力し方法を使える。
残りの半数は、
        1 常識に過剰適応しているか、
        2 自分の目の前以外に興味がないか、
        3 小さな善の偽善的欺瞞的生き方である狂信的宗教や「主義」の作られた固定観念によりこの判断をせず努力しない。
1 常識への過剰適応、2 自分の目の前以外への無関心は重大で、初等中等教育の感性と論理の教育見直しも必要とする。
実現の見通しがない。
3 は、事実を見ないことと特定の書かれたものの異常な重視で、両者はよく似ている。

4 何でも自由に述べる権利はある。
   ある抽象度、粒度でだけ正しい内容を一般化し、論理的に正しいように述べてしまうこと,人がいる。
   論理がなく感情に作用するだけの文は、論理的に 全て有害である。
   これを防ぐため、論理的内容について他からの批判を拒絶しないことは必須である。2020.02.20, 04.23

5 さらに日本では、今は意見を言うと、SNSで匿名の右派、リベラル、左派からの誹謗中傷を受ける。
女子プロレスラー木村花さんの、誹謗中傷を受けての自死も痛ましく衝撃だった。
匿名の誹謗中傷は、フツウの小心な人のはけ口になっているらしい。
フツウの人がやむを得ず生きていくためにいじめを起こしているのと同じ構造である。
日本特有の「空気を読め」という意見も気になる。これらは重なりもある。
実態把握とそれぞれを改善していく必要がある。
努力する人とそれに従う人・周りに流される人は、支配層と非支配層の中にもそれぞれ程度こそ違え存在するという複雑な構造がある。
今の所得の格差だけなら、不法に近い金融経済を規制し配分を外部から見直せば取りあえず解決する。
階級対立が問題ならそれをなくすだけでよい。

問題は三つ。
21この、努力しないことは「悪い」と単純に言い切れない。
この問題は生き方、価値観によるもっと大きな差である。
全員の能力の全てを発揮しないかもしれないが、少数の努力する人と多くのそれに従う人の分離は、おそらく全体のエネルギーを少なく抑えることができるからである。
つまり、これは、今のお金だけの価値であること、多様な個の属性を伸ばすことが価値でなく一様価値の条件がある今の社会では、なくならない。
人世界がエネルギー最少基準だった時には、この構造は合理的だった。
それに、原子力エネルギー技術・科学の進歩により、人類が、今まで従わざるを得なかった最少エネルギー制約は今後なくなる可能性もある。

22文化・文明成立後、資本主義が発達した今の課題は、この条件を変え、お金だけの価値であることをやめ、多様な個の属性を伸ばすことを価値とする論理・世界観を作り、ポスト資本主義を作る努力が必要である。
解は、一人一人が世界の動きの中のどこにいるかを知り、一人一人の一瞬毎の努力が、世界、宇宙に貢献し、かつ自分の幸せ、喜びになるようにすることである。

自分の幸せ、喜びは、単に、主観のうれしさでなく、世界、宇宙に貢献しているからのうれしさでなく、ただ両者が同時でありその統一であるから良い2021.01.16. 04.15。
これは本書の結論である。

23. 21.22.のそれぞれと関係をさらに検討する必要がある。
この技術・科学の進歩と、生き方、哲学(論理学と世界観)には相互作用が起こる。
双方を最大限発展させ、準備する必要がある。
全ての個が自由に多様な個性を発揮して労働と生活をすることができ、それが社会全体の価値を高め自分の「幸せ」にもなることが、全員に共有されること。
これは内からの要請である。
外からは、エネルギー制約の制約条件の変化がある。
生き方とエネルギー技術の個別の努力を全力でするしかないような気がする。2021.01.15

 

対象化と一体化の統一の実践の例として、労働と生活、思考と議論の二つしか挙げなかった。
この二つを次の各領域に合った形で伝えることが画期的革新のキーになるが、まだうまく言えてない。

これらが解決できないなら、提案は、今の常識を、対象化と一体化の統一を目指し事実と価値の全体を求める運動に変えただけになる。それでも進歩だろうか。

 

4) 多様化

[FIT2016]で一連の過程の各階層で、対象化と一体化の「一体型矛盾」が現実化されていることを示した。
これも結果的に、複雑化、多様化への対処のためだったと後で、分かった。

この検討の中で、多様化複雑化は、直接、意識しない検討だった。

1.何が多様性をもたらしたか

どこから多様性は生じたか?二つある。

11. 進化のような偶然の微細な差異による多様化がある。
今の事実である現実は、論理によるのであれ、偶然の微細な差異によるのであれ、宇宙誕生以来の歴史の網羅的総括であり、多様な細部にも意味がある。
         (その細部を活かして生きることができるはずであるが、どのようにしたらそうできるかが分からない)2019.09.04, 10.25, 2020.09.28

12. 前に論理的検討として対象化が多様化をもたらすことを述べた。
対象化は他のオブジェクトを複雑に多様にしていく。

2.多様性が何をもたらしたか、何をもたらしうるか

多様性が何をもたらしたか?もたらしているか?

21. 進化において偶然の多様性が人類を存続させた。
その意味で多様性が種を存続させた。

個体どうしの生き残りの闘いは環境変化に対応するために「強い」あるいは「賢い」個体を残す手段と考えられる。
生物進化において種が環境変化などに対応でき、生き残れたのは、
     1.通常の両性生殖において親と異なった遺伝子の多様性が生まれ、変化する環境に長い時間をかけて対応できていける遺伝子が保存されていったこと、
     2.突然変異による遺伝子変化によって生まれる多様性により、急な気候変動のような突発事件などに対応できたことによる。

1 11に述べたことと合わせ、進化における偶然の多様性と種の存続は、相互作用していることが分かる。

22. 個は産業革命を経て対象化多様化が進み個性が発展していく。
多様性が価値を広げ、本稿の対象化と一体化の統一が、全ての人の多様な個性的能力が発揮される未来像を、具体的に実現する。(第2部平松さん)

  3.多様性の可能性と必要性 2020.09.29, 2021.03.02, 15

うまく整理できない問題を一つ片付け、変数を少なくしておく。

双方向の一体化は、相手が人の場合と、それ以外の生命、オブジェクトの場合がある。

後者、相手が人以外の生命、オブジェクトの場合は、多くの個が、ただ他の生命や他のオブジェクトと一体になり、それらの可能性を十分に伸ばし、周りに害を与えないためにできる全てを行う。
容易ではないが、それだけでいい。

相手が人の場合、相手の可能性を十分に伸ばすためにできる全てを行うことは、自分と相手と対等に、多様な可能性を伸ばすことである。
しかし、これは不可能に近いように思える。
人の可能性を見つけ伸ばすことはできていない。
そこで、歴史的、科学的には、成立した個は、本来、多様な可能性を持って生まれているという仮説を作る。
多様性に気が付いていないだけで、多様性などという以前に、今は皆、全く違う人間なのではないか?
個が確立したなら、その個は必ず多様である。
つまり、個の確立と個の多様化は同義である。
確立した個は、十分な判断力を持ち、他と議論しなくても必要な判断はすべてできるということを前提に話を進める。

(1) 生物的な個の多様性の無限の可能性が生まれた時期の探求は課題である。
おそらく、主観と客観の二項の原型が言葉や道具の使用と同時に産まれた時と、文化文明誕生の時の間のいつかである。2021.03.02, 15, 05.11, 06.07

(2) 一方で、農業革命の時代に一体化が不十分だったのは、一体化の一方向性によるだけでなく(つまり一体化の不十分性によるのでなく)、十分な対象化がなくそのため多くの多様な個が広がらなかったことにもよる。
そして多様でなかったゆえに一体化が不十分に終わった。
当時の一方向一体化制度の場合、多様な個は要らなかった。
当時は、生物的には多様な個が可能だっただけで、社会には必要なかった。

(3) つまり、個の多様性の開花には生物的な可能性だけではなく社会的必要性も要る。2020.09.28, 29, 10.12, 12.01
対象化と一体化の中の一体化のもとになる所有が六千年前、帰属が四千年前に始まった。
文化・文明誕生は、思考と、多様化の可能性を、全ての人に広げる。2021.03.15

(4) そして、産業革命、資本主義は、個の多様性の開花の社会的必要性と可能性への道を拓いた。2020.11.30, 2021.02.07
一方向一体化から双方向一体化への「発展」も、論理的には多様性の展開である。
多様性の論理的展開が双方向一体化を作る。
本稿で仮説として書いたのはこれだった。

以上は、地球人の個に限定した自分と他人の話である。
こういう論理と歴史を経ない宇宙人がいるだろうから、宇宙論理学のためにも重要である。

4.多様性と単一性

多様性と単一性という一体型矛盾は、対象化と一体化の矛盾の一面の別表現か、対象化のもとでの矛盾である。どちらも対象化と一体化の矛盾の下位の矛盾である。

無秩序な多様化が進むとバラバラになるように見える。
つまり、一見、多様性は単一性と相反する。
この「物理的」矛盾をどう解くか?
多様性と単一性の矛盾の例が多いことを別の場所で述べた。

41. 共有すべき同一価値があれば一体化に役立つ。
共有すべき同一価値は、一見、多様性と相反する。
これについては、少なくとも人類という種の存続や個体の死より生が良いという価値などが共有,統一されてさえいれば、後は多様な個性が発揮されればよいと考え、分離して議論を進める。

単純にTRIZの分離原理によって分離する。
価値についてだけであるが、共有すべき同一価値と個の多様性を分離し共に重要な価値としたい。

42. 多様化が進むと単一的管理が必要になってくる。

多様性は、対象化から生まれ、かつ次のように、対象化と双方向一体化を統一した管理を必要とするようになる。
管理が必要なのは、人の単なる多さ、個の多様性と生産物の多様性ゆえである。

地球は多様な環境を持つ星なので、この環境下で、対象化により多様な生産物が生まれたことを述べた。
多様な生産物のための多様な労働が多様な個を産む基である。
農耕においては、人の努力で耕作地を、したがって生産物を多くすることができ、それによって人口も増えていく。
より多くの人口、より多様な生産物、より多様な個が、今のように複雑な制度、技術とその管理を必要にさせた。
対象化が進んでいき生産が多様で複雑になると、分業の中の管理の問題が起こる。
管理は、対象化による多様化がもたらす機能上の一体化である。
多様なものと大量のものの管理が必要で可能になっていく。
管理がうまくいくと全体の価値が増す。
この管理は対象化と一体化を統一する必要がある。

生産の多様性、個性の多様性がなくても、多くの感情と肉体を持つ人々をまとめていく管理という課題がある。
仮に、全く一様な個体数が多くなるとどういう問題が発生するか?
縄文時代三内丸山のような大きな集落でも人口は300人くらいだったらしい。
この人数なら、全ての人はお互いに血縁共同体の仲間と認識できる。
血縁であろうがなかろうが、お互いが顔を知っていることは、ある種の一体化を作るのではないか?
血縁共同体から地縁共同体に移っていくと、全体を一体にまとめる何かが必要になる。
それが法や宗教などの帰属の制度だった。

 

5) 対象の拡大のための一体化

一体化を双方向にする必要性が実感にならない。
一体化を双方向にする利点、必要性
があるとしたら、全てのオブジェクトを、自分を対象化し続け、対象化と一体化の範囲を広げる必要性である。
双方向一体化は、人間中心主義を克服し、他の生命も、地球のものもお互いを対等に扱うために必要である。

今後、全ての他生命、全地球、宇宙へ、価値を含んだオブジェクトを広げ続けなければならない。
科学の進歩により知識を得たら、その知識の利用には責任が生じる。
これも大きな一体型矛盾を作る。
より正しく広い科学的真理、求める価値を含むオブジェクトの認識の展開と、人の価値実現を含んだ全ての運動に対する責任との矛盾である。
これを、プラスの変化の連続になるようにしなければならない。

多くの人にとって、一体感は、今は残念なことに、とりあえず、地球に独特の、静的な帰属感、帰属意識(自分が何かに属している、包まれている意識)と、所有感、所有意識(何かが自分に属している意識)である。
この所有感、所属意識に代わる新しい意識が必要である。

双方向一体化は、
        1 相手が人の場合と、
        2 それ以外の生命の場合、
        3 それ以外のオブジェクトの場合がある。

 

6) 事実と価値の判断ができない

客観的な正しい事実と価値の判断ができない場合がある。

1客観的な正しい事実と価値の判断が必要である。

ある集団の各人の努力は、その集団のどういう価値の粒度(今後の時間の未来のどういう属性)での未来像を提示しそのための努力をすることである。
複雑で変化の速い今は、その正しい把握は困難である。
実際上の大きな問題は、どのマスメディアにも、価値と真実の相対性の意識がないままに、正反対の意見が横行するようになり、小さい価値だが「大衆」受けする記述が増えたことである。
以前からそうだったのかもしれない(第2部)。
これは、マスメディアを信じず各自がそれぞれ努力しなければならない時代になったということなのかもしれない。2021.04.20

2「価値の大きなものが優先」という「原理・原則」をそのまま機械的に適用すると、より大きな正しい価値、「大義」のために「偽善・欺瞞」である手段を取ることもあり得る。
実際にも多い。
これで良いのか?
これを扱う大きな原理が、まだない。
他の大きな問題の一部、前提である。
ある判断が客観的な正しい判断か、偽善・欺瞞か見分けにくい。

一般論だが今(昔もそうだったかもしれないが)政党、マスメディア、各国の諜報界は「国」の狭い利害にとらわれていて、当てにならない。

本稿の生き方の検討は、偽善欺瞞の排除は前提にして述べている。
偽善的欺瞞的生き方は、楽を求め努力しない生き方と重なる。
共通に偽善・欺瞞の排除の検討にもなるかもしれない。
これを扱う原理がない。

(1) 「価値の大きなものの優先原理・原則」による「大義」のための「小悪」手段([http://tanakanews.com/191126iraq.php]のような諜報界が「正しい」こともあるかもしれない)についての考え方がまとまらない。
2020年、年明け早々の、米軍によるイランの革命防衛隊スレイマニ司令官殺害があった。
スレイマニ司令官殺害はトランプ大統領の指示による。
オバマ大統領時代のビンラディン殺害と同じである。
人を殺すことは「悪」である。
問題はこの小悪を善とする大義、大善があるかということである。
革命防衛隊は、イラン国内では、経済組織であり、反政府の1000人を超える殺害を行った弾圧部隊、海外でも超法規的諜報機関である。
ホメイニ師・革命防衛隊と、大統領は一枚岩でもない。
個人的には、客観的にこの殺害が多くの人の命を救う可能性が大きく「小悪を善とする大義があった」気がする。
アメリカの諜報機関が小善だった例である。
国際法上の問題はともかく、この一般化はできていない。

さらにその上に次の問題がある。同じ問題かもしれない。

(2) 宇宙にとって、全員の正しい生き方と知恵の結集を目指した方がいいのか、それとも全体としてある期間のエネルギーを最少にする方がいいのか。2019.12.07, 2020.12.11, 2021.07.20

 

 

本ページの先頭

5.対象化と一体化、自由と愛の統一による生き方

5.1 弁証法論理と歴史

5.2 物々交換の開始以前

5.3 物々交換の開始とその後 

5.4 対象化と一体化の矛盾

5.5 実現の課題 5.6 実現の課題の考察  

 

5. PDF 

 

 

 

[62] 主著『哲学ノート』17版 親ページ

[62A]『哲学ノート』 前書き部/後書き部

[62B] 1.事実、基本概念、価値と思考

[62C] 2. 弁証法論理、3. 矛盾モデル

[62D] 4. 論理的網羅

[62E] 5. 対象化と一体化

[62F] 付 マルクス再考 他

 

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最終更新日:  2022.1.14    連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp