高原利生 論文集(第6集) [62B] 『永久に未完成の哲学ノート』 Part B. 第一部
|
|
|
|
|
|
掲載:2022. 1.14 |
Press the button for going to the English page.
編集ノート (中川 徹、2021年 12月29日)
本ページは、高原利生さんの現段階での主著である 『永久に未完成の哲学ノート』 (B5版 17版)の、第1部の第1章です。基本概念からきちんと論述しています。
親ページとしては、「第6集 索引ページ」
、[62] 「永久に未完成の哲学ノート 索引ページ」
、および [62A] 「永久に未完成の哲学ノート 前書き&後書き部」
、を参照ください。
本ページに掲載部分の目次は以下のようです。
未完成の哲学ノート 第一部: 論理学、世界観、生き方
1.1 事実
1.2 事実についてのいくつか![]()
1.3 全体への態度と基本概念:仮説、オブジェクト・粒度・網羅
1.4 思考が生まれる歴史と論理
1.5 価値の全体と価値の実現:生き方の前提と準備
1.6 思考の機能
1.7 生きることの全体
|
[62G] 第二部 ポスト資本主義 |
[62] PDF |
未完成の哲学ノート 第一部: 論理学、世界観、生き方
1.事実、基本概念、価値と思考 [FIT2010-16] [TS2012] [THPJ2015/01]
1.1 事実
1) 事実:ある もの
1.事実の歴史と把握の準備
138億年前、ビッグバンが起こる。初めは存在と運動、空間と時間、内と外は分離しておらず一体だった。存在の形式は空間と時間、関係(運動)の形式は時間である。空間があって内と外がある。原初の物質から、空間と時間の区別が曖昧な差異と運動が生じ、エネルギーを前提として、存在・運動、空間・時間からなる宇宙が誕生する2021.03.03。存在と運動、空間と時間、内と外の分離が明確になる。2020.03.22,27,30 今ある「物」だけを、事実ないし客観と扱う素朴な扱いは多い。
何かが分かるとは、何かの本質と構造を把握することである(一般的には機能を含まず構造だけ含む。機能なしに構造は単独でありうる)。
構造は下位の要素群と要素間の関係(運動)の全体である。多くの定義は、単に関係の集合体とするが、要素と関係は同時に決まるので構造の定義に要素は不可欠である。上位、下位は相対的なので、当のオブジェクトの全体の中の位置を述べることも重要である。これは形式論理でない活きた論理のために必要な態度である。2020.07.11,2021.02.20 運動、関係、過程も構造の要素になりうる。
構造の属性がその外部に対して発する意味が機能である。何かを機能と構造の集合としてとらえることができる場合が多い。機能は、その時の主体の価値観に依存するので、この機能と構造の集合は、それを扱う特定の人にとっての機能と構造の集合である。機能と構造は、従来の弁証法論理の内容と形式にほぼ等しい。機能と構造でない内容と形式が思い浮かばない。対象化と一体化は内容と形式ではない。客観世界においても擬人的に機能と言う語を使う。
(機能と構造という概念の下位に空間、時間概念があるととらえる、と2020.01.05に書いたが取り消す) 2021.02.20
2.事実とは何か
人にとって、事実の本質は、ある ものである。事実の構造は、
1 どこにあるかについて、客観的事実と人の観念の中の像の二つ、
1' 両者間の関係(これらは、ある段階以降の生命にとっての事実に特有)、
2 事実の要素は、存在、関係(運動)の二つ、
2' 要素(存在、関係)間の関係
で網羅されている。2019.09.21, 2021.07.19,08.18事実の内容はその属性で表現される。2020.12.13 ある ものの中に扱えるものがある。
ある もの ⊃ 扱えるもの = 認識できるものと操作できるもの ⊃ 操作できるもの
目の前の現実は宇宙誕生以来の歴史の網羅的総括である。現実は論理と偶然の微細な事情の作用の二つによって決まってきた。その上で今後の認識、働きかけについては論理による。2021.01,02.01
21.存在のとらえ直し
事実を存在と関係(運動)で網羅的に全体をとらえきるために、次のように存在を考え直す。
存在は、一時的に固定的にとらえられる実在の 物理的生物的等の もの と固定的観念である。
関係、運動がそれを変更し新しい実在の もの や新しい観念にする。
この観念の固定的状態を扱う「存在」のとらえ方は常識と異なる。ある木の部品の集まった状態が椅子の状態Aであることが持続する時間は、数十年、観念のある状態Bが持続する時間は、数マイクロ秒かもしれない。このAもBも、変化するまでの持続する間、存在と扱い関係(Aの場合は工作、Bの場合は思考や議論)と対等に扱う。この存在に代わるいい用語がない。観念は、脳内のニューロンなどものの状態である。観念を成り立たせているのも もの であるが、もの と観念は独立していると扱う。
22.存在と関係(運動)の不思議な関係 2021.07.05
(1) 関係、作用、変化、運動、過程は、同じ事実,事象を、主体が別の見方で見たものと考える。
関係、作用はやや空間により、変化、運動、過程はやや時間によって見た表現である。
例えば、落下運動は、落ちる物と地球の関係である。自動車の運動は、自動車と大地の関係である。
変化は、運動、過程の時間の粒度を変えた表現である。
光の運動は別。光に原初の状態が残っていると見える理由は謎 である。(2) 存在と運動(関係)が等価な機能を実行することがある。正確には、機能的に「存在、関係(運動)」のセットが、別の「存在、関係(運動)」のセットと相互転化する場合がある。この例と根拠を、[FIT2004] [TS2005] [TS2005スライド]で述べている。
例: バケツ10杯分の水を川から汲み上げるために、10杯の容量の汲み上げ装置を1回使用しても1杯用の汲み上げ装置の10回使用でも、機能は同等である。10杯の容量の汲み上げ装置に1杯分だけ入れて10回使用しても同じである。[TS2005]
s1×t1=s2×t2 を、s1のt1回の運動がs2のt2回の運動と、機能が等しいことを表す表現とする。
上の例では10×1=1×10である。
この例では、物質的な「存在」と「作用」という「運動(関係)」のセットと、他の「存在」と作用のセットが等価であった。観念世界での「存在」と「作用」のセットと、他の「存在」と「作用」のセットも等価である。私は実際に汲み上げ装置を使ったわけではない。観念の中で別の抽象化をすることも、さらに今書いているような思考を進めることもできる。これは、ある 状況をまたがっては起きない。
(今までこの内容を「存在と関係(運動)」の関係とし下記22の一部として扱ってきたが、間違っていた。「存在と関係(運動)」の関係でなく、23の存在と関係(運動)が独立している場合の特殊な場合に当たる。16年勘違いが続いていた。2021.07.06)
23.存在と関係(運動)
(1) 存在であり運動である場合がある。
例:何か分からないものが動いていると感じる。
光が粒子であり波動である、これは、形式上、存在と関係(運動)が分離していなかった原初に近い。
原初の非分離(の一部)が、光で実現されている。原初の非分離と、分離後の「存在であり運動である」ことの関係は何か?
(2) 存在と運動が相互転換する場合がある。
存在と運動(エネルギーE)が、瞬時に/ 時間をかけて、転換する場合がある。同時にこれは存在と運動(エネルギー)が等しいことを表す。
例: E=mc2 (mはものの質量、cは光速、この式の実現時間不明)。
h上にある水を落とすと、h=mv2/2g (mは今流れている単位時間の水の質量、gは重力加速度、vは水の速さ)のエネルギーを得る。二式は、当たり前だが似ている。(3) 存在と関係、運動(エネルギー)が独立している場合がある。
例:(後述の)矛盾モデル、素粒子とその間の運動。
この場合だけ二つの存在が必要である。これは、矛盾(運動)モデル「オブジェクト1−関係−オブジェクト2」のように単純に表される。このオブジェクトは、はじめは存在だったが、矛盾の複合体でもよいように拡張される。以後、存在と関係(運動)が分離した後の世界を主として扱っている。
3.観念の中の事実
客観の事実は問題が少ない。客観の事実は、言わば「宇宙の神」の視点によって「宇宙の神」が認識できる全てである。全宇宙には、宇宙の全ての生命体のあらゆる時間の脳内を含む。
客観的事実の例:
縄文時代に、人が食べていた食べ物。
今、あるトンボの目に映っている情報。
絶滅した宇宙人の種の歴史。
縄文時代にある集落で共有されていた観念。現に人の観念に今「ある」ものには、各個人の脳内の過去、現在、未来についての像を含む。「変化」「変更」の無数の可能性がある。この網羅される変化、変更の可能性も、観念に生ずる限り事実である。論理的に可能なものなどたかが知れている。それは現実に規定されて、今、自分が考えつく限りの種類、型の「論理的網羅」に過ぎない。
問題は、個々人によって異なる主観的内容の扱いである。
主観的内容の事実の例: ある人の脳内に、昔一瞬浮かんでいた幻想、妄想や未来像。
ある人に把握された法則。今、私の認識しうる客観と私の頭に浮かび扱える全てが私の事実である。
4.事実のまとめ
人は狭い五感と常識の固定観念により、今あるものの全てである事実の一部しか知覚できず認識できない。その今扱う事実を、人は把握し必要なら変更する。
扱う事物については、自分がどの事物を選ぶかを明確にし、場合によっては「定義」し、考え、表現する必要がある。2020.01.07
事実に、概念としての事実と現実にある事実がある。
現実に、概念としての現実と、今私のここにある現実がある2020.01.11。私にとっての事実とその他の事実がある。
誰のいつのどういう観念迄含むかを使い分ける;私にとっての事実、大多数にとっての事実、世界の誰かが把握している事実の最大限がある。以上の事実把握は最も単純かつ必要十分な把握である。
2) 運動
(2) 運動に、位置的運動、物理的運動だけでなく、化学反応、生物学的運動、社会的運動や、心理的運動、感情の動き2021.07.19、思考、議論も含む。実用上、運動しているかどうかの認識は、変化を観測できるかどうかによる。変化を観測できるかどうかは、認識する粒度に依存している。
(3) その上で
1 運動を、ある状態にあり同時にある状態にないという論理的矛盾として理解する。
2 運動を直接観測できない観念について、変化が観測できれば運動があったとし、思考や感情を扱う。一般的運動の場合、変化の観測を用いその属性が「ある状態にある」と同時に「ある状態にない」ということを次のように表現することができる。これは運動の構造を示さない、最も粗い密度での運動表現で、論理的矛盾に似ている。(「論理的矛盾」的矛盾ないし「論理的」的矛盾であるが、論理的矛盾と書く。)
ある時点t で属性Aがcという値の「ある状態」にあり、時点t +冲でAがcに等しくないc +冂という値である時、Aは「ある状態にない」。
冲 をゼロに限りなく近づけていくと冂がゼロに限りなく近づいて行くがゼロにはならないことを「ある状態にあり」かつ「ある状態にない」という。
但し、不連続運動は扱えない。[FIT2004, 05/2] [TS2008, 12]
1.2 事実についてのいくつか
1)事実とオブジェクトの認識の全体と認識順序
1.客観的事実が先にある
人間がいなくても客観的事実、宇宙、世界はある。論理の単位であるオブジェクトは、事実から、人が知覚によって必要なある粒度で切り取り表現する情報である。
2.認識はオブジェクトの知覚から始まる
ところが、単なる一つの事象の把握でさえ、(個々の一人の)自分(あるいは宇宙人)が知覚によって把握した情報から得られている。つまり、単なる事実の把握は、まず、頭の中で(事実から切り取られた)ある個々の情報の把握から始まり、次にそれらを合成した事実を把握するという順序になる。実際にこういう把握が行われるためには、生まれて以来のものや運動の学習の歴史がある。生まれた赤ちゃんには、意味のない画像や音列があるだけである。
3.認識はオブジェクトの知覚から始まる(2.)にもかかわらず、事実が先にある(1.)とする仮説を取る理由
それは、この理解が、次の三点を簡単に整合的に説明できることである。
(1) 人が存在しなかった昔、純粋に客観的事実、客観世界があった時がある。この時にも時の流れ、歴史はあった。知的宇宙人の住む星にも、知性誕生以前から客観的事実があった。
(2) 人が登場して以降、事実は、観念、情報、思考世界を産み、これらを含むようになった。(古い「唯物論」では「もの」だけを事実と扱うことが多かった)
(3) 客観的事実と観念、情報は、何重にもなった入れ子構造になっている。
もし、事実は観念の中にだけあるとすると、この三点を簡単に説明できず、人の認識が客観世界と観念にまたがって歴史的に進んで行くことを説明できない。例えば、物々交換の開始を説明できない。物々交換は、客観世界と観念にまたがって生まれた最初の行為だった。[TS2012等]
2)昔あった「唯物論」か「観念論」か、という問題 (14版を簡略化)
昔「唯物論」か「観念論」か、という問題があった。私は唯物論という言葉は嫌いで、事実主義ということにしている。エンゲルスの「フォイエルバッハ論」[F]に、唯物論の四つの意味が書かれている。
(2) 「フォイエルバッハ論」は、次のことを前提として述べている。人間の物質的生活の成り立つことが思考、行動の前提である」という立場、粒度からの「唯物論」。実現価値の系列仮説「種の存続―個の維持―個の属性(自由と愛)」の中で、種の存続―個の維持は「物質的」、個の属性(自由と愛)は「物質的」と「精神的」の両方が対等で入れ子になっている。
(3) エンゲルスの第二の定義で、次のように「事実」に対する態度をとらえる「唯物論」 :
「われわれは現実の世界――自然と歴史――を、先人の観念論的な幻想なしにそれに近づく者のだれにでも現れるままの姿で把握しようと決心した。われわれは、空想的な連関においてでなく、それ自身の連関において把握された諸事実と一致しないあらゆる観念論的諸幻想を、容赦なく犠牲にしようと決心した。一般に唯物論とはこれ以上の意味をもっていない」[F]
(4) エンゲルスが、「世界は、物の集合体でなく過程の集合体である」[F] と述べた事実主義。
「世界は、過程の集合体」というのは、
第一に「世界は、物の集合体」というとらえ方が、(1)の意味の「唯物論」を前提にしているのに対して「世界は過程の集合体である」という表現は、この前提を必要とせず、これより広い。
第二に、存在と関係の二種であるオブジェクトが、実際に動き運動して事実、世界の近似の単位である矛盾(=項1−関係(運動)−項2)を作る。項は存在として検討が始まった。二項を三項以上に拡張することもできる。存在は、一時的に固定的にとらえられる もの か 観念である。関係が、それを変更し新しい もの や観念に変える。(1)は、哲学の領域から科学の領域に移り、(2),(3),(4)だけが態度、哲学として有効である。(1)の意味での「唯物論」という哲学はなくなっている。科学といえども仮説なので、科学的論証、実証がされれば変わり得る。(3)は事実主義と言った方が良い。これは完全に生きる態度として正しい。(4)にも賛成する。(3)が態度としての「事実主義」、(4)が事実としての「事実主義」の意味である。以上は世の「唯物論」批判でもある。
1.3 全体への態度と基本概念: 仮説、オブジェクト、粒度、網羅
何かが分かる,何かを理解するとは、何かの本質と(機能と)構造を把握することである。これが分かることの全てである。機能は、全体が人の価値に関わる場合、考慮する必要がある。構造は、構成要素の両立と関係、細かく言うと、下位の要素群の両立と要素間の関係(運動)の全体である。変更するとは、要素の新しい両立と関係を作ることである。2021.05.29
必要なのは、常に真実を求め続け、価値の粒度(空間範囲、時間範囲、属性)を広げ続け、実現し続けること2020.12.23。
何事にも、全体は何か、全体の構造(要素と要素間の関係)は何か、要素は何か、という両方向の全体に向かって続いていく三つの課題がある。今、注目するオブジェクトをここでの全体として次第に右に進んで行く場合、注目するオブジェクトをここでの要素として次第に左に進んで行く場合がある。このためこの全体は、空間、時間、属性(粒度。後述)のそれぞれについてある。2021.02.23, 03.23, 07.04 この階層のどこの位置かを意識し特定する必要がある。開かれた直並列、木構造という開かれた構造を想定しがちであるが、閉じた双方向入れ子の場合もあるであろう。全くのしろうとの仮説だが、個々の素粒子が双方向入れ子で一つの宇宙に繋がるのは無理なので、これを解決するトポロジーがある。2021.05.10,29, 07.05, 08.03このため、
1 近似による単純化,仮説を作る態度と
2 概念
を準備しておく必要がある。2021.08.121) 全体への態度に必要な近似による単純化、仮説
まず、事実を、
1 客観的事実、
2 知覚した一次的情報、
3 それを対象化した二次的情報
と近似する。021.02.02,03.15
2, 3の中の認識と働きかけ方の論理の分かる事実が、扱える対象である。
知覚した事実を対象化した二次的情報で述べる言説は仮説であり、その正しさは一次的情報により検証され正しいかどうかは結果でわかる。今より良い仮説は必ずでき、他により良い仮説も必ずある。この態度の何よりの利点は、傲慢にならず他や自分の考えに向き合えることである。2020.12.22, 2021.01.19
正しい仮説は通用し続け、法則や常識,哲学になる。同時に、法則や常識,哲学は古くなり続ける。故に、法則、常識,哲学は変え続けなければならない。2021.0.2.07複雑な事実を扱うため近似モデルで単純化する。2020.07.07, 2021.07.04
例: 世界を、関係命題または矛盾モデルの複合体で近似。
文化・文明を、科学、技術、制度、芸術の複合体で近似。
哲学の第1近似は弁証法論理学、第2近似は世界観、弁証法論理学と基本概念。2) オブジェクト
両立に、命題の両立とそれを支える前提の概念の両立がある。2021.01.24
このうち、概念体系(オントロジー)は無意識に世界観を前提にしている。両立把握の原動力は、認識についても自分の積極的な働きかけである。次に、2 概念のいくつかを述べる。事実を、ある粒度(抽象化具体化の程度)で、網羅された中から、着目し知覚と思考によって切り取り扱う情報がオブジェクトである。Objectを訳すと「対象」である。ここでは、オブジェクトを、上の意味に使っている。
オブジェクト−粒度−網羅の三つは、整合的な概念体系、オントロジーの根本を作る。
a 事実(存在、関係,運動,矛盾)、オブジェクト,粒度,網羅、価値、保守,革新、自由,愛、哲学,常識、
b 機能,構造、
c 技術,制度,科学,芸術
などの概念がある。
オブジェクトの組み合わせであるオブジェクト世界が、複雑な現象に対応する。(存在であり運動である事象などを除く) 重要なオブジェクト世界に矛盾がある。変えられるオブジェクトは認識できるものの中にある。3) 粒度 [FIT2005/2]
1.粒度とは?
粒度(の本質、機能)は、オブジェクトの抽象化の程度である。その構造、要素は、オブジェクトの空間的範囲,時間的範囲と、無数の属性の中から着目し選んだある抽象度の属性である。粒度の定まった粒を、粒度ということもある。
属性が、本質で、機能になり得る。空間、時間はその存在形式である。粒度は、まず生理的に個人の知覚が、次に個人の観念が決める。しかし、今はほとんどの人に、知覚、観念によって粒度が決まっているという自覚がない。
この自覚のなさは、人が、自分が「正しい」と無意識に思ってしまう理由の一つになっている。
地球では、空間的範囲:時間的範囲の間には経験的な法則性があり、片方が大きくなると残りの片方も大きくなる傾向がある。
例: 人間,生命の種:100万年,1000万年、
社会:100年−1000年、
人間,生命の個体:10年−100年。[FIT2005/2改] [TS2008改] [TS2012改] [THPJ2015/1改]空間粒度は、語そのものに明示的に示されない。今までは意識する必要はなかったからであろう。
オブジェクトを特定するだけなら粒度だけでよいように見える。しかし、ある粒度を特定するには、そのオブジェクトを要素とする上位のオブジェクトを網羅した中から選ばれないと抜けが出る恐れがある。オブジェクト−粒度−網羅の三つは、両立しなければならず、同時に決まる。([FIT2005/2]では、粒度と密度の二つの概念を使っていた。今は、密度の役割を網羅が果たすように変えている。)
概念の両立把握を容易にするために、多様な意味で使われている概念を、意味を限定して使っているものがある。意味の限定と言っても、全て従来の意味を含む一般化である。
他の概念を再定義する場合は、なるべく従来の意味を含むように行っている。
しかし、この「粒度(抽象化具体化の度合い)」[FIT2005/2]の意味は、辞書に載っている「粒のギザギザの程度」という意味と異なる。ここでは、ソフトウェア分野の意味を拡張した。今、一般にも使われている。[辛島、松林、澤田, "異粒度データ分析のための非負値行列分解に基づく確率モデル", 信学論, Vol.J100D, No.4, pp520-529, April 2017.]
面、側面を再定義することも考えたが、誤解される恐れがあるので使わなかった。
部分は空間的過ぎる2021.01。
視線、視点というのは、態度に相当する語である。態度によって決まるのが粒度である。しかしこの語も空間にとらわれすぎる。
階層という語も、空間、時間にとらわれ過ぎ、またやや概念が異なる。外延,内包を合わせた概念にも近い。普通、人は無意識に粒度を決め行動する。世のほとんどは、抽象化も推論(仮説設定)もなく、思い込みの自説を自分に都合の良い例を挙げて説明することが続いて行く。考えていないことの例ばかりである。2020.01.29 必要な時には論理的に意識して決めるのが良い。
2.粒度の内容:属性
21.属性、値
属性はオブジェクトを具体化して表現するものである。
属性はよく分からない。おそらくオブジェクトの内容のうち空間的規定と時間的規定を除いた全てのものが属性である。オブジェクトは無数の属性を持つ。粒度は無数にあるので、属性、機能は無数にある。
オブジェクトの属性は,(狭義の)属性と、オブジェクトの内部構造(要素である下位のオブジェクトの並立,要素間の関係)である。(狭義の)属性は,外部に対して機能となりうるものである。(狭義の)属性の数だけ機能がありうる。
オブジェクトは無数の属性を持つが普段は眠っているが、粒度の指定により2021.02.21、ある時それが現実化し機能として現れる(シカフス)。(狭義の)属性は、変化しやすい状態と、変化しにくい(最狭義の)属性からなる[TS2007] [TS2008]。状態と(最狭義の)属性の差は相対的である。
風呂の場合、普通,水位は状態、バスタブの形は属性と扱うが、バスタブの色はどちらの場合で考えられることもある。[THPJ2012]変化しやすい状態は、「値」と呼ばれ(狭義の)属性の場合、温度20度のように量的に、または赤のように非量的に表現される。色が属性の場合、赤、青は、量ではないが値である(波長を量で表せるが)。「値」は、内部構造が、細胞分裂の時のように変化しつつある時は、内部構造の具体的状態である。
(2021.03.02 何年振りかで修正。まだ少しおかしい気がする)
量と質は反対概念ではない[TS2008]。量、内部構造の変化が,属性を質的に変化させうる。
質の反対は、量と内部構造である[TS2008]。
一属性を変更する方法に、オブジェクト操作の型(変換D,U,Pと、操作R;オブジェクトの持ち込み、持ち去り、取替え)がある。
変換原理 Dは、オブジェクトの内部構造(要素、要素の数、要素間の関係)の変更が新しいオブジェクト生成や自身の消滅、オブジェクトの複数の属性変更をもたらす。
変換原理 U、Pは矛盾モデルのオブジェクト1、オブジェクト2、関係が各オブジェクト自体またはその属性を変化させる。[TS2008, 09 TS2008のスライド]22.価値と属性
価値とは、主体によって異なる、良いこと、またはその基準である。
価値と属性が同じものから徐々に分かれていく歴史の仮説を述べる。
今の私にとっての価値と属性は、次のような連鎖を経た相互規定の関係にある。
これらの差が生じる歴史は、抽象化と具体化の歴史である。
今の行為の目的は、無意識の価値を具体化したものになっていて、価値は無意識の行為を規定する。
何かの意味は価値に規定されている。
機能は、運動、行為の「意味」である。
属性は、客観的なものであり、ある状況で機能に対応する。こうして、次の階層ができる。
(1) 究極の理想的価値→ より粒度(抽象化の程度)の細かい価値→ 具体化された目的、
(2) この目的が目指し意図する私の機能と意味→ 今は意図しない私の機能と意味→ 可能性だけある私の機能と意味、属性→
(3) 多くの人の機能と意味→ その可能性の機能と意味、属性 → (単なる)属性
こうして、主観的なものが、次第に客観的な属性にまで長い歴史の末に展開される。[THPJ2012改]
この逆の流れもある。究極の価値も日常の意味の歴史を総括しても得られ、今の目的が、大きな価値、今の物事の意味の総体に規定されてもいる。上の系列の矢印は逆向きでもある。
価値 ←目的 ←機能 ←(単なる) 意味 ←属性 [THPJ2012改]。
つまり、事実の属性も価値も歴史的に変化する。 歴史という事実と、価値、理想は相互規定し合っている。属性と価値の相互規定と似ている。属性の全体が事実なので、属性と価値の相互規定は、事実と価値の相互既定の一部である。
これらと歴史と論理の一致から、事実、事実の変化の歴史、事実の変化の論理、価値、価値を実現する生き方は、同じようなものであるらしい。2020.04.05
地球の存続は目標にすることができる。宇宙の存続は種の存続より大きい価値だが、このための努力は、今はできない。できないことを目標にはできない。将来、可能な時が来るかもしれない。
23.内部構造
構造とは、要素である(下位の)オブジェクト群、(その数)、その間の関係である。
ものや情報の存在だけでなく運動、関係、過程も構造の要素になりうる。様々な人が把握する機能と構造がある。多くの人が共有すべき機能と構造がある。
3.粒度決定タイミング
粒度特定のタイミングは、考え判断する時、価値と事実の差である問題をとらえ解を出す時である。個人の場合、すぐに解の出ない問題に時間をかけ取り組む時や、議論で自分の意見を相手に述べる時に、粒度を示して説得する場合に限られるであろう。取りあえず、これらの場合に、粒度を意識することから始めよう。
4)網羅
1.網羅から考える
網羅は、より大きな全体のオブジェクトの中の、当のオブジェクトを、漏れ(と、重なり)の無いように、個々の要素のオブジェクトで数え上げることである。
重なりの無いことが必要なのは、どういう場合かはよく分からない。
網羅は、デカルト [RDI 精神指導の規則 原著1701.] のラテン語 "enumeratio"の訳語で、野田訳では「枚挙」である。"enumeratio"は、英語ではenumerate, enumerationである。"e"はすべてを表す接頭辞。
デカルト「精神指導の規則」規則5に「複雑で不明瞭な命題を、段階を追うて一層単純なるものに還元し、然る後すべての中の最も単純なるものの直感から始めて同じ段階を経つつ、他のすべてのものの認識へ登り行く」とある。この全体を、近代合理主義を作り、かつ超える方法として読む。
[RDI これの高原利生の AMAZON書評も参照。「精神指導の規則」は、未完の書で、入社後、自然を管理するコンピュータ・通信システムの設計方法論として読んでいた] これが論理的網羅思考の始まりだったように思う。
一つしかないものは、その一つを数えて、網羅は終わりである。複数のものの物理的網羅が簡単にできる場合もある。普通はそうではないので、やや複雑な処理を要する。適正な粒度は、網羅された中から選ばれるべきで同時に網羅はある粒度に拠って行われる。粒度と網羅は、同時に定まる矛盾である。
例:日本における虹の七色。虹の7色の中の「青」の属性粒度は、色を7で網羅した時の青である。[HDK] [THPH2015 /01]
ある箱の中のボールは、ボールというオブジェクトの(塵を除く大きさ、固体などの抽象度で決まる)粒度で箱の中を網羅された中にある。11.共通の基本概念1: 存在と運動(関係)。
今の事実の要素が、存在と運動(関係)の二つである。もともと同一であったものが宇宙発生後に何かに分化したとすると、存在と運動(関係)の二つに分化したのである。存在は空間と時間の二つの形式を持ち、運動(関係)は時間だけの形式を持つ。分化において主導するのは、空間か時間かはよく分からなかった。しかし、分化は時間における分化であり、存在は空間と時間の二つの形式を持ち、運動(関係)は時間だけの形式を持つので、時間が主導するという仮説ができる。これは、後に出てくる「状態より過程が良い」仮説にも、最近分かった、論理学と世界観という哲学の要素の中で論理学が主導するという仮説にも合う。2019.12.22,2020.12.13,2021.05.14
12.共通の基本概念2: オブジェクト、粒度、網羅
基本概念の網羅。反対物でも他方に転換可能でもない網羅。オブジェクトの階層毎に網羅がある。
13.共通の基本概念3:空間的網羅と時間的網羅
空間的網羅と時間的網羅それぞれに、抽象度に応じた網羅があり、基本概念,具体的なものの区別がある。2019.08
はじめは、網羅を空間的網羅に限って考えていた。2019年10月に、当たり前の重要なことに気づいた。現実は、今までの宇宙の歴史の網羅的総括であることである。網羅を、新たに時間的網羅を含むように拡張する。ある事実、オブジェクトの時間的網羅を、その事実、オブジェクトの発生からの全ての時間経過における作用を網羅することとする。歴史と論理の一致という仮説と合わせると、事実を、論理(と小さな偶然の変化)が作った歴史の網羅として扱うことができる。何のことはない。今の事実である現実、オブジェクトは時間的網羅の結果の一つである。
14.網羅の応用例
(1) 事実の網羅。
例:概念としての事実と、現実にある事実がある2020.01。(2) 対象化と一体化: お互いに反対物で、同時に入れ子になっている理想の網羅。
(3) 新しい機能を作ること、不具合解決、理想化による機能実現の方法の網羅: 粒度の違いによりどれも可能で、お互いがダブっている網羅。[TS2009,10,11]
15. 網羅の内部構造
(1) 閉じた世界の個別的物理的網羅
(1-1) 離散的なものを数える場合の網羅
例:小さな箱の中の10個の玉を数え上げる。(1-2) 連続的なものの網羅
例:日本における虹の七色。(2) 種類,型の網羅である論理的網羅
(2-1) 種類
例: 生命の種。技術手段は、操作系から始まり、産業革命以降、容器・輸送・動力系(ものの保存・輸送系、エネルギーの生成,変換・保存・輸送系) [ここまでは資本論第一巻第13章] が加わり、情報革命以降、情報系(情報処理・伝達・保存系)が加わる。論理的網羅が歴史とともに変わる例である。2020.11.02,2021.02
(2-2) 型
例:運動と矛盾の型 [本稿。THPJ2012の 5章6章]、概念も型の一種である。この分類自身、論理的網羅の例である。
オブジェクトの分類結果を、存在に対しては種類、運動(関係)や命題に対しては型と使い分ける。同じ種類、型には同じ形式的処理が、異なった種類、型に対しては異なった形式的処理ができ、かつ種類、型の総和が全体を網羅する両立矛盾が、種類、型の数だけある場合、この矛盾を満足する分類結果が種類、型である[TS2008改]。
固定している種類、型、変化する種類、型がある。これらが本稿の骨子を作る。4.3 1)「粒度、網羅の原理」に粒度と網羅の要点を書いた。
2.網羅の機能、意味の網羅、網羅としての事実
粒度、網羅に関する多くの矛盾について[THPH2015/1]で述べている。
無限の内容を持つ無限定の事実を、どのように概念としてとらえるべきかについての、今までの多くの人の把握を網羅してできた仮説は、発見である。より正確な本質と内容を、把握し続けなければならない。一方、個々に扱う事物については、今、自分が何を特定したかを明確にし、場合によっては「定義」し考え表現する必要がある。
もともと同一であったものが宇宙発生後に時間的に何かに分化したとすると、存在と運動(関係)の二つに分化したのである。
3.網羅が作る全体
何事にも、全体は何か、全体の機能と構造(要素とその間の関係)は何か、要素は何かという三つの課題がある。さらに
(1) 要素が、新しい全体になり次に行く場合、全体が何かの要素になり次に行く場合がある。
(2) 認識の場合、操作像生成の場合がある。後者の場合、求める全体の機能と構成要素の機能の二つが矛盾を構成することがある。2020.08.10, 2021.03.03
1.4 思考が生まれる歴史と論理
1) 生命が誕生し動物が生まれる。動物は、世界を知覚し変更して生きる生命である。動物は、最初は一方向に知覚に反応し一方向に対象を変更する。カエルが目の前を通り過ぎる虫を捕えて食べる。これは次第に高度な行動になる。
(食べる機能がなく、交尾し繁殖だけを行うある種の「かげろう」がいると知った2020.01。その後、かげろう以外にも同様の生き物がいることを知った。感動的な話だが彼らを除いている)
2) 次いで、相手とのコミュニケーションが必要な段階が来る。知覚によって危険を察知した鳥は、自分が逃げると同時に叫び声を挙げて仲間に知らせる。一つの情報の他への一方向の伝達が行われる。何らかの手段で現実との差が伝わる。これを実現するのは一種の「単語」である。
複数の「単語」を持つ生命もいる。だが「論理」はないか不十分であり、言語はまだない。
3) 言葉がない間の、行動を変更させ目的を達成する言葉以外の手段の一つは、一方向の物理的行為である。オスがメスにプレゼントをする。馬に水を飲ませるのに、水を馬の近くに置くか馬を水のある所に連れて行く。物理的行為による変更は単純になりやすい。
単純な解の極端なものは単純否定である。単純否定の極端な一つに相手を殺す行動がある。
4) ライオン、オオカミなどの集団による狩りがある。目的を二つ以上の個体間で作り上げ伝達し分担行為の内容を決める必要がある。分担行為の内容は、個体ごとにそれぞれ異なる。言葉がまだないので、目的も分担内容も、おそらく、同じ空間,時間にいる二つ(以上)の個体間で双方向に同時並行的に生成される。内容をこの個体間で作り上げる段階と実行する段階もまだ分離しておらず同時に行われる。
この狩りの中には、生命誕生当初の一方向知覚、一方向対象変更から進んで、高度の抽象力、超感覚、「空間的判断」力があった。単一目的に特化されているものの、複数個体間の高度な双方向コミュニケーションと極めて高度の抽象力により行動の目的の全員の一致、全体の中の自分の位置の把握、高度な超感覚、「空間的判断」による個体毎の行動像が一瞬の内に実現されている。この動物の高度な判断は、今の人の時間的推論過程でなく一瞬に空間的に行われる。
言葉と論理以前の、行動を変更して目的を達成する手段は、このような、種の存続をかけて身に付けざるを得なかった高度なメカニズムであろう。
5) この段階に欠けている知的能力が必要だったので、人類はこの過程を一般化し単一目的から全体把握、複雑高度な目的、実行力の獲得の方に進んでしまった。それが「空間的判断」力を失う代償で得られた時間的言語だったのではないか。言語誕生により人は空間的超能力を失っていった。超感覚、空間的超能力は今もおそらく潜在的にある。
おそらく、4)の高度なメカニズムを3)の物理的行為などより複雑な形で効率的に実現し一般的能力を得るため、事実の変化から観念の中に論理とそれを担う言語が発生した。さらに論理、世界観、生き方が分かれていく。2020.03.13 この一般的能力がその後に続く全ての人の潜在的可能性の基になったというのが仮説である。
ある時、人に生物的な個の多様性の無限の可能性が生まれた。それはいつかは、分かっていない。(5.6節)2021.03.02,15,05.11,06.17文化・文明誕生は、思考と多様化の可能性を全ての人に広げ、産業革命、資本主義は、個の多様性の全面的開花の社会的必要性と可能性への道を拓いた。(5.6節)。2020.08.04, 2021.03.02,15
地球の植物、動物全体は地球の一日、一年の時間粒度によって生き変化している。これに加え、地球の生命の一部は、「空間的」な判断力を得る。昔の人も同じように同等の判断力を持っていた。今の人の論理は、これらと異なり空間だけでなく数マイクロ秒の時間で変化する汎用性を生んだ。論争の結果が暴力に至ることも、戦争に限らずまだ多い。物理的行為による変更と、言葉による変更の区別は明確にしておく必要がある。
言葉による弁証法論理が、自分と相手の双方を活かした解を可能にする。相手の一語に一語を返す動物に言語はない。論理はまず二つの要素の間の関係であるから、必ず二語以上の単位の連鎖が必要である。正反合なら二語以上の単位からなる三単位の意識が要る。弁証法的止揚は、困難で逐次的に進んで行かない不連続な運動である。
弁証法的止揚による思考や議論は、事実に強制される科学や技術、労働において、実質的に日常、行われている。しかし、弁証法的止揚による思考や議論は、まだ、特に政治、行政、マスメディアなど、事実に直接関わらない領域においては、殆ど行われていない。かつ、政治、行政、マスメディアが実質、支配層を作っているという問題がある。しかしこれは人類に可能性があるということである。多数がこれを実現している「国」はない。せっかく「空間的判断」力を失う代償で得られた汎用能力を人類はまだ得ていない。
哲学が人の価値観、潜在意識、態度、感情に作用し生き方を作る。人はこれらによって対象を認識し働きかける。言葉、論理を、思考、議論の手段と考える。動物の無意識の価値は生だけだったが、言語、哲学が生の属性;対象化と一体化、自由と愛の統一という新しい価値の段階を作ることができるようになった。これが生とその上位の種の存続という価値を画期的に高める。これが、生の属性の重要さの意味である。
1.5 価値の全体と価値の実現:生き方の前提と準備
自明である種の存続、個の生物的生を超える価値の探求を行う。
1) 実現価値の全体像の準備: 価値系列
人々の価値認識は多様であるべきだが
「1 種(オブジェクト)の存続、
2 個(人)の生物的生、
3 新しい生(オブジェクト)の属性」
という価値系列があり、この順に大きさと共有の必要性が重要であることが共有されるべきである。(国は入っていない)2020.04.11,2021.03.05人は、目の前の課題を解決しながら、同時に世界と人の事実を認識し、より大事な価値を求め、その価値実現のため努力してきた。これが人類の歴史だった。
1.価値認識の前提1: 客観的事実認識
種の存続については、数百年後には化石燃料が枯渇することを含め、次のような事実認識が人によって大きく異なる。[FIT2017]
例1:直径数十メートルクラスの小惑星は月と地球の間を、年平均三個通過している。西暦2135年に直径500メートルの小惑星ベンヌ(101955 Bennu)が2700分の1の確率で地球に衝突することが予測されている。全部の小惑星が把握できているわけではない。
例2:日本で十和田湖や鹿児島湾を生み出したような火山のカルデラ噴火が起こる確率は、一万年に一度くらいらしい。世界に広げると、千年に一度の確率で、全地球で長期にわたり太陽光が雲に遮られる。
日本は世界の1割の火山、地震が集中している。日本に限った話だが、東京、京阪神、東南海沿岸など今後の三十年間に、最悪数十万の死者をもたらし、都市壊滅に近い被害の地震が予測されている。数十年千年おきに大地震大津波が起きることが予測されるのは日本の殆どの場所である。世界に広げるとこの十倍の災害が起こる。
例3:大規模太陽嵐・太陽フレアは、地震と異なり過去のデータが殆ど記録に残っていない。しかし、千年に一度程度の確率で、国を横断する規模の停電を起こす大規模太陽嵐・太陽フレアが起こるらしい。
例1,2,3と合わせて五百年に一度程度の大きい確率で(五百年後ではない)、地球規模で長期にわたり再生エネルギー(さらに場合によっては通信や電気が全て)が停止する事態が起こり、今のままでは、人類の大半の死亡が起こりうる。
例4: 地球の磁気はマントル運動が作っている。マントル運動はいずれ消滅するので、生命を守っている磁気は将来消失する。他に宇宙線から生命を守っているオゾン層、酸素の消失の恐れも重大である。
例5: 他の惑星の衛星と異なり、月は相対的に地球にとって大きい。地球との距離と公転が地球の自転速度に及ぼす影響も比較的大きい。徐々に地球との距離は大きくなり自転速度は遅くなりつつある。これが地球内部のマグマ運動、地殻変動や地震、火山活動に影響する。
例6: 例4,5と同様、あるいはもっと時間の長い将来の話であるが、今が第4間氷期で氷河期が長く続くのか、このまま温暖化が続いていくのか今は明らかになっていない。どちらの場合も想定しておく必要がある。地球から大気がなくなってしまう恐れも想定しておく必要がある。
2. 認識の前提2:人の生の価値とは?
21. 身体性と感情、感性に規定される価値
価値は、論理以上に、身体性と感情、感性にも規定されている。身体性、感情、感性は、それ自体、自律的な抽象力があると同時に、世界観、価値観に相互規定され影響される。
身体性、感情、感性には、具体化する力はなく抽象力だけがあるか?よく分からない。
22. 人の生の価値再検討
「人は、皆、平等である」という命題は、歴史上、多くの人の血と汗の努力の結果で得られた。人種、性別、宗教などによる価値の区別はなくなった。これは画期的であった。
しかし、なかなか難しい命題である。人それぞれの価値は実際には等しくない。
人の生の価値は、まずその人の今後の人生の価値である。老衰で死が近い老人の生より、若い人の生の価値はより大きい。また、人それぞれの価値を増す力は、外部に価値の結果の差を生む。
これが、どういう理由によるどういう差なのかは、今まで明示的には表現されていない。
人がこれからどういう価値を生むか分からなくても、全ての人は生きる意味があると考えられる。
ただ、これでは次の問題の答えが出ない。
例1: 歳を取り、労働から引退する。もう充分働いたから社会の価値を増す行動はしなくてよいか?
例2: 極端な場合、自分が、常時、介護が必要になり、コミュニケーションができなくなった時、一見何の価値も生まないように見える。この人に、生きる意味、価値があるとしたらどういう意味のどういう価値か?
2016年、相模原で、そういう人は安楽死させるのがよいと大臣に提案し聞き入れられず、介護施設の入居者19人を殺害した人がいた(犯人の実名は明かされ、2020年この人は上告せず死刑が確定した)。
この人はどういう意味で間違っていたのか?コストが唯一の価値なら、相模原事件での殺害は正当化され得る。だからコストが唯一の価値でないポスト資本主義は必要である。しかしこれは積極的理由ではない。
新しい価値を提案しているが全く普及していない 2021.05.08 ので、彼を間違っていると批判できない。
事件直後(半年後くらいだったか?)のNHK特集では、全く犯人批判の理由が述べられておらず、亡くなられた被介護者が、残ったものにとって「大事な」存在だったという例が述べられただけであった。
大事と思わない家族がいることはあり得る。それに大変なコストはかかる。そのコストは他に使うべきではないのか?この疑問を提起したのが「犯人」だった。
これを考える中で仮の答えの案がやっと出せた。
新しい価値が実現していない段階でも、個体の生が、「生の属性」より重要なのは、生は生の属性の前提であり、生きていると、本人と本人を支える多くの人の生き方の一歩が、人類に小さくとも必要な何かをする可能性があるからである。その一歩が、全体の革新のための閾値を超えさせるかもしれない。小さくとも人類に必要な何かをするか閾値を超えさせる人が、いつの誰かは、今は分からない。かつ全ての人が生きてみないと分からない。社会や宇宙から見れば、全ての人は生きなければならない。人とは、その人の社会的関わりの総体(マルクス)である。若きマルクスがフォイエルバッハテーゼで述べたこの有名な言葉は、人について述べられた。本質は機能で近似される。
社会からも観なければならない。社会とは、全ての人の自然的社会的関わりの総体である。この再帰的表現は、人と社会の相互依存を表す2021.03.08,04.08。この事件の2年後、2018年のNHKテレビ特集は、周囲の人が被介護者の人間性を伸ばす努力を行っていることを伝えた。この努力をされている人は、この努力の中で得たものを是非公表し、マスメディアは是非とも伝えてほしい。これは全ての人が知る必要のある内容である。
全く別の問題として、条件の厳しい死ぬ権利、尊厳死の問題がある。
3.共有すべき価値と多様な価値の二種
最初に価値系列の共有を述べた。共有されなければならない価値と多様であるべき価値の関係について考える。
31. (観念の)多様性は重要だが共有すべき(価値の)内容の方がより重要
その上で多様性、多様な価値がある。
共有すべき価値は、まだはっきりしていない。個人毎にその把握の内容は異なる。はっきり把握されれば多様性の重要さも明らかになる。共有価値は各人に強制することになるかもしれない。実際に人に危害を加えれば法による強制を受け、多くの国で死刑さえある。[THPJ2015/3]
本稿は、共有すべき基本的な哲学(論理学、価値観を含む世界観)、生き方を述べ、その上で多様な個性展開を主張する。
32. 静かに受け入れるべき多様性と展開すべき多様性
自分で変えられない人種、肌の色、LGBTなどは展開し広める多様性ではない。そのまま静かに受け入れるべき多様性である。これと展開すべき多様性を区別しなければならない2021.06.03,07.19。
33. 共有価値以外の多様な個の価値の中から新しい価値が生まれるかもしれない
4.対象化の価値と一体化の価値
価値が、主体によって異なる「良いことまたはその基準」であるのは、主体による対象化を前提条件にしているからである。一体化が、より普遍的な価値への道を拓く。
2) 価値の実現:生き方の前提
誠実であることを検討の前提としている。嘘をつかない、約束を守ること、偽善、欺瞞のないことは誠実さのイロハであるが、誠実さの内容ではない。
誠実さの内容を述べることが本稿と言えなくもない。
求めようとしているのは、種の存続−個体の生という自明の実現価値に続く「生の属性」の内容である。これが分かって初めて「人は、皆、平等で基本的人権がある」。少なくとも近づける。
この内容の検討が本稿のテーマの一つである。シカフスによると、人の属性は活性化されると外に機能として発現する。個人を含めたオブジェクトの属性は、その外部に対する運動となりその意味が機能(または反機能)になる。
2019年6月、この「生の属性」が得られれば「種の存続」を究極の価値にしても良い可能性が生まれるのではないかということに気づいた。
1.求める価値の内容は「生の属性」
大きく長い空間時間の価値が、小さく短い空間時間の価値の前提になっている。
従ってより重要度と優先度が高い。そして、価値が目的、機能、属性を規定する。
価値の中にも、より大きな価値から小さな価値に至る階層がある。[THPJ2015/1] [FIT2015]
お金は対象化(と自由)だけの価値だった。人の行為には、対象との向き合い方として没入行為や何かとの一体感を感ずる行為のような一体化の方向のものと、設計のように何かを突き放して扱う対象化の方向のものの区別がある。
また、行為を左右する精神として、論理より常に強力な感情がある。[TS2006改] [TS2010]
世界の価値に客観的に寄与することと、主観的な人の幸せな生き方の両立を目指すことが、今、可能になってきた。そのために、対象化と一体化の統一の必要性も分かった。(後述)
2. 人は事実から価値を作り、価値を実現する論理も作ってきた。これからは、よりよい論理が作れる2020.04.13
21.歴史と論理の近似的な一致から作る論理学
明示的に、近似的に歴史と論理は一致すると述べたのは1915,16年ころのレーニンだった [哲学ノート]。これらの元はヘーゲルである。ヘーゲルにとっては自明なので、明示的にそう書くことはなかった。彼によれば、神により、物事に内在する論理が展開して現実の運動が行われるので、論理は歴史と正確に一致する。神により展開されるということは、理想的合理的にノイズなく展開されるということである。「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」[法の哲学]という彼の有名な言葉も、歴史と論理の一致の表現である。
文化・文明成立後の歴史と論理の近似的一致の、大雑把な根拠は、次のとおりである。
(1) 事実の歴史的積み重ねの把握、歴史的変化の把握、条件設定による推論から、それぞれ帰納、演繹、仮説設定が生まれ論理ができていく。歴史が論理の原型を作る。
(2) 文化・文明成立後、徐々に論理が事実を作る歴史が続いていく。論理が歴史を作る。
(3) 事実は、現実の目の前の存在、関係だけでなく、各人の観念世界の中の、事実の歴史や思考の歴史の記憶と、未来像、論理、感覚、世界観、価値観を含む。また、逆に各人の思考世界、観念、情報は、その事実を含むようになった。これが繰り返され、一つの客観的歴史的事実と、知的動物の個々の観念,情報は、何重もの入れ子になり、お互いに含み合う。(1)(2)と併せ、歴史的事実と、観念、論理はお互いに似た内容になっていく。
地球では、論理の歴史的結果の結実が、今の多様な矛盾モデル(または関係命題)(後述)である。
矛盾(運動)モデルに、以下の順に、後の高度な矛盾が、前のより基本的矛盾の上に積み重なりながら発展する構造ができた。
(宇宙創成後)外力による変化・変更と(擬人的な)機能と構造の矛盾。自律運動をする生命の誕生。
→(生命誕生後)無意識の一体型矛盾 (例:進化)。
→(知的生命誕生後:人に生物的な個の多様性の無限の可能性が生まれた後)意図的変化・変更。
→(技術開始後)意図的な可能性と現実性の矛盾(機能の可能性が現実になり得る客観的事実を意識する運動)、意図的な機能と構造の矛盾(機能を実現する構造を意識的に作る運動)。
→(農業革命、6千年前の物々交換、制度・技術の文化・文明開始後)矛盾の発展した変形として、矛盾の二項の向上をもたらし続ける一体型矛盾として、意図的な対象化と(間違った所有と帰属の)一方向一体化の一体型矛盾(が機能と構造の矛盾と併存)。
→(今後)意図的な対象化と双方向一体化の一体型矛盾(が機能と構造の矛盾と併存)。
(4) 事実や歴史についての世界観は、論理から作られる。かつ論理の中の矛盾も論理である論理的網羅思考も、歴史的事実の把握を含む世界観の中核に拠っている。
これらが歴史と論理の大まかな一致の根拠の概略である。
但し偶然の微細な差異がその後の歴史に影響を与えてきた。客観世界もそうである。
1 この歴史のエッセンスが論理学になる。
この論理学と、2 世界観、3 オブジェクト、粒度、網羅という基本概念が哲学である。
事実に、客観的事実、客観的事実を知覚した一次情報、それを対象化した二次情報の順に、前のものから次第にやや独立していく三階層があり、二次情報で述べる言説は常に仮説である。
これらの全体が、例えばカントの判断における悟性や理性の代わり、ヘーゲルの即自、対自、有、定有、定在などの代わりである。
歴史の論理、その発展方向と蓄積の精髄が、今の論理、仮説設定(後述)の内容になる。
方法(論理学)が世界観を作り、知覚と把握した哲学が、潜在意識、態度、感情を作り生き方となる。2021.01.18 カントなど生き方を哲学に含む既存哲学もある。論理と歴史が一致するような、空間、時間、抽象化された属性がある。 歴史と論理の一致は、思考の歴史、論理の歴史が、思考の発展のために重要であることを示す。現に対象化と一体化の矛盾の発見はこれに因っている。これにより、従来の哲学と異なり誰にも分かる哲学ができる。2020.05.12
22.歴史から価値を求めることができる
歴史と論理の一致という近似命題によって、歴史から価値、理想、本質を求めることができる。この本質は、扱う歴史の長さ、どういう前提の歴史であったか、歴史が成熟しているか依存する。
事実が変わると時代時代の共有される価値が変わる。人の歴史の中で、人間の歴史に限定して 価値−属性 という系列がある。価値、理想は、この逆方向の論理があり、事実と双方向で長い年月をかけて、価値、理想は得られ、歴史という事実と価値、理想は相互規定し合っている。
これは、前に述べた属性と価値の相互規定と似ている。属性と価値の相互規定は、事実と価値の相互既定の一部だろう2019.09.03。23.価値を実現する論理は必ずできる
意識できる価値を実現する論理は必ずできる。新しい価値は、機能と構造の矛盾を解けば実現できるので、新しい可能な価値を見付けるのが重要である。2021.06.07
これは未来についての態度を産む。2020.03.31
過去に対しては「その時代は、何が論理的に解決可能な課題であったか、しかし実際にはどういう解決策しか取れなかったか、その論理的理由は何だったか?」という問いを産む。
これが、歴史と論理の一致という命題によって歴史から得るべき教訓である。必要なのは、歴史論理学、論理歴史学である。24.価値の把握のために事実の法則、真理が必要
価値の把握、価値実現の論理のために、事実の法則、真理が必要である。2020.04.30
3) 哲学と生き方へ
事実の変化の歴史、事実の変化の論理、価値を実現する生き方は、同じことの別表現である。
同じになるような生き方が良い。 2020.04.05,14
複雑な事実を扱うため近似モデルで単純化する2020.07.07。エネルギーを前提とする。
事実を、近似的に、
1 客観的事実、
2 知覚した客観的事実の一次的情報、
3 それを対象化した二次的情報
とする。これは、事実(+観念)の近似最小モデルである。実際には、2 一次情報さえも、3 二次情報によって作られる世界観に規定されており単純ではない。2021.02.02, 03.15人の、事実と向き合う態度には、科学が明らかにした事実の把握を前提として、
1 事実に対する今後の「今より良い仮説」を考え出す認識,働きかけの方法(論理、論理の集大成である論理学)、
2 事実のとらえ方の世界観と、
3 これらを支える基本概念の体系、オントロジー
がある。論理学と世界観は一体型矛盾の2項(さらに基本概念を含め3項)である2021.04.13, 05.02。人の作った何事にも完成したものはない。完成したと思う思考は死んだ思考の絞りかす、完成した本は死んだ思考の絞りかすである。特に問題定式化中の未完、未発表の書には比較的に思考が残っている。2021.01.30,06.03
哲学も虚構かもしれない仮説である。より正しい常識、哲学、科学を目指して変更を続けていく必要がある。しかし人は、教育やマスメディアにより作られた共同観念、常識を疑わず生きてしまう。
本稿は、古い既存の思考の論理、方法や世界観、常識などの共同観念と世界変革の内容を、歴史の総括によりゼロから作り直す。事実の認識,働きかけの方法、論理が、事実のとらえ方である世界観を決める。
世界観は、そもそも、把握の方法、論理によって得られ、
1 認識の方法、論理のない事実をについてはただ論理と科学による解明を待ち(ほとんどの宗教に世界生成神話がある)、
2 方法、論理によって分かった事実については、科学の論理と僅かな偶然によって明らかになった結果である。哲学を構成する弁証法論理学と世界観は、双方向一体型矛盾の入れ子の二項を構成しお互いを含み合いながら、次のように発展させていく。
1 弁証法論理学により、世界観の対象である事実は変わっていく。
2 一方、世界観は価値観を作る。
3 新しい事実と価値は新しい問題を生み、新しい論理が必要になり、弁証法論理を発展させていく。
4 1に戻る。これは、弁証法論理学が主導権を持っている運動である。既存の常識・哲学によらず、方法(論理学)が世界観を作り、新しい哲学が出来上がる。2020.12.25, 2021.02.26, 03.16
本稿の哲学の単純な近似表現は弁証法論理学になった。2021.05.27人は常識,哲学により新しい観念を作る思考をする。
知覚と哲学が、潜在意識、態度、感情に作用し生き方を作る。
感情、感性は重要だがなかなか変えられない。本稿は論理だけを扱う。論理がやがて感情、感性を豊かにしてゆく。
一人一人の哲学(論理学と世界観)・常識、潜在意識、態度、感情、生き方は、同じものの別の現れである2021.02.17。
人は、知覚と生き方によって、事実を認識し現実に働きかける。一人一人の人が今、生きることを、次の相互作用の系列の繰り返しで近似する。
今、生きること=
事実に対する( 知覚
⇔(世界観→ 価値観)
⇔(潜在意識、態度、感情)
⇔(思考の論理(学)、認識,行動の決定象)
⇔ 文化・文明の支援による認識と行動)これから、物理的知覚と認識と行動そのものを省いたものが生き方である。
生き方=
(世界観→ 価値観)
⇔(潜在意識、態度、感情)
⇔ 論理(学)論理学と世界観を作っていく歴史過程を知ることが、論理学(と世界観)を潜在意識に組み込み、生き方を作る2020.10.25。
潜在意識そのものは意識できないが、論理学と世界観を作っていく過程を意識し続けると潜在意識に入り[ES]、態度、感情に作用する。論理学も世界観も、真理も価値も変わっていく2021.01.30。
大雑把には、できあがった世界観、論理は同じようなもので、
哲学を 1 空間を全体的に、長期的に見たら世界観であり、
2 今、着目する空間を、今、変更するという短期で見たら論理学である。今の意識的生き方を、少ない概念,原理により作り直す。
新しい生き方の基本原理は、
1 手段、方法として
11 事実と価値の全体を求める態度,論理的網羅、
12 結果より論理重視,状態より過程重視,一体型矛盾、
2 目的として、対象化と一体化(自由と愛)の統一(後述)である。
対象化と一体化(自由と愛)の統一は、今、
1 抽象的な客観と主観の統一を具体的に一瞬に実現し、
2 復讐、いじめ、労働疎外等人の問題や、経済や「国」間の問題を解決する。2021.03.13, 05.13既存の哲学、現代哲学によらず、知覚と、事実と人の関係の歴史蓄積だけに基づいて、少ない概念と原理によるシンプルで合理的、正確、厳密という点、時代に合った論理学・世界観という二つの利点を持った哲学の骨子を作る。以下、事実について仮説を作り考えていく。2021.02.06
人は人の作った事実より上位にあり常に事実を超えていく。生きることは、「価値、目的を実現するために事実を知り変える」ことである。論理学も世界観も、真理も価値も変わっていく2021.01.30。
新しい生き方の中に新しい論理学を作ること
を作ることが入り、自分の生き方と新しい社会を作ることを同時過程にする。2021.08.054)価値の役割と重要度緊急度の数値基準
価値は、実現とそのための行動に関し次のような役割がある。[THPJ2012] [THPJ2015/1]
1.価値の行動における役割
第一に、価値は多くの場合無意識に実現の優先度を決めてしまう。
第二に、価値は、多くの場合無意識に実現のための行動の目的を決めてしまうので意識すべきである。
第三に、価値は、多くの場合無意識の実現のための行動の原動力となるので意識すべきである。
第四に、行動の結果は、目的を規定する価値、論理、実際の行動の有効さの全体で決まる。
このうち、日常の領域が制度の場合、結論は、論理の「正しさ」よりも価値の粒度 (誰のどのような時間のためという空間時間の範囲、属性)とその全体構造に、実質的に殆ど依存してしまう。
第五に、価値とその全体構造は、行動結果の正しさの検証のために必要である。行為の検証は行われないことが多い。検証の方法は確立されていない。
2.価値の認識における役割
また、価値は、認識における役割、意味がある。
第一に、価値は、多くの場合、無意識に、認知、認識の対象を規定している。
第二に、価値は、認識結果、法則や学説の検証のために必要である。[THPJ2012] [THPJ2015/1]
3.重要度緊急度の数値基準
意識的に重要度緊急度を出して実現の優先度を決めることを提案する。
重要度緊急度は、次の一人の個別の値を求めた後、ある期間の全地球について各人毎の各項の積の和を作り各案の比較をする。[FIT2015]a) 一人の生について 1 (実際には異なるが若者と老人なども同じとする)。
b) 生の属性である自由と愛について一人ずつに対して 1 以上。
この重要度緊急度は一次近似で、実際の判断には建物、公共インフラ、個人の財産が付け加わる。
重要度緊急度はa) b)の積なので、人の数が多いほど重要度緊急度は大きい。
1.6 思考の機能: 像の生成と変更
一般的な思考、一対一の対話、集団による大勢の討議:思考は、前の自分と今の自分の対話である。思考、議論は、機能的内容的には、事実、過去の自ら,他人の観念を1 把握し、2 それを活かし両立する、あるいは機能とそれを実現する構造を両立する新しい像を作ることである。2021.04.17
1) 思考、一対一の対話、集団による大勢の討議の構造、形式
思考、対話の要素は、個々の「発話」の交換のリアルタイム性、単純化すると、一文、文章、数文章(例:ブログへのコメント、投書)、もっと大きい文章である。この分類の意味は小さい。
2)思考、一対一の対話、集団による大勢の議論の機能、内容
思考、一対一の対話、集団による大勢の議論は、機能としては同じものである。いずれも、思考、対話で、文、文章、その複合から、人は、次の思考の機能を得る。
1 相手(又は前の自分)と自分の持っている情報の同一、相違を確認し、事実や自分の思考内容についての情報を与え合うか(これは、思考における矛盾の項への入力である)、
2 ある事象の全体の中の位置、それが実現する価値を判断し、
(1) 新しい認識,行動像を作るか、
(2) (世界観による個人の価値観、態度、粒度(抽象化具体化の程度)、論理、方法を前提にして)認識を変え、(多いのは価値という機能を実現する構造により)行動を変えるか、
(3) 前提となっていた世界観、価値観、態度、論理、方法を変える。
1.7 生きることの全体
1)認識と変更
生きることは、エネルギーの前提で、価値を実現するために事実を認識し変える運動である。
運動に、値の変化・変更と、二つが両立しているあるいは両立を目指す運動の二種がある。
世界も人の行動も、運動の集合体である。その近似単位が矛盾モデルである。認識を、知覚から法則の把握までを含む広い意味で使う。
事実を変更する場合だけでなく、認識も、受け身ではなく、仮説を立てる積極的行為である。これではじめて、様々な事象や意見が理解でき変更ができる2020.02.02, 2021.04.13。
ある一つのものの変化・変更の認識が、知覚され「受け身」で行われることはある。
例1: 何か分からないものが、チカチカしているのが見える。
この例と宇宙創成時の「存在であり運動である」ことや、光が「光子であり波である」ことの関係は不明。
例2: 自動車の運動は、「自動車−関係−土地」で表される自動車と土地の関係であるが、自分が土地に一体化しているので、自動車が変化・変更の運動をしているように感ずる。
一般的に、何かの認識の例:今、部屋に、テレビ、PC、ボールペンなどがある。
事実の「問題」は何もないように見える。しかし、これらを、対象として、でなく、彼らと一体化して見る場合、大きな問題があるかもしれないがまだ分からない。結果として、無数の実際にはほどほどの数の矛盾モデル(関係命題)ができる。[FIT 2014,15, THPJ2015/1,2改]
事実を変える運動の答え、解への態度、解の数について、
1 解を一つ求めればいい、
2 解をいくつか求める、
3 解を全てあるいはできるだけ多く求める、
4 最も「良い」解を求める
という場合、態度がある。
4 の最も「良い」解を求める場合、「良い」解の基準(根本的な解か、安価な解かなど)も網羅しておく必要がある。
この前提の、解の有無について
5 解があるまたはないことを証明する問題があり、
解がない場合、
6 解に最も近いものを求める問題がある。
理想的にはあらゆる状況のあらゆる矛盾と解を求める。通常は状況を判断し、どのような解を求めるのか、一つだけで良いのか、出来るだけ良い解を求めるのかを決める。[OTW1992]事実を変える運動の解の目的に、
現状をもっと良くする理想化、
不具合の解決、
新機能生成
の三種がある。重なりのある網羅の例である。
これらの差は相対的なものでいずれでも定式化できる [TS2007]。
ASIT [RH] は、問題解決を新機能生成に置き換えて解く手法である。生き方の基本原理は、
対象化と一体化の統一(自由と愛の統一)と、
常に全体を求める態度(特に論理的網羅)
の二つである。
これは今のあるべき生き方であると同時に、今の世界の問題解決の基本原理でもある。
これは、理想化と不具合の解決が同じためである2020.07.02。
この実現には大変な努力を必要とする。過去の歴史から学んだ論理が根拠であるため、歴史と論理と結論は、常に見直しが必要である2021.07.15。(5章に詳述)
2)思考の順序 [FIT2014, 15] [THPJ2015/01,02]
1 事実がある。(順序を変更する指定がない限り次に行く。以下同じ)。
2 事実からある粒度で複数のオブジェクトを切り取る。
3 何か変えるか又は新しい何かを作るか?
3.1 YESの場合、4に行く。
3.2 NOの場合、1に戻る。4 事実の矛盾(後述)(オブジェクト1−関係−オブジェクト2)を確定する。
つまりその機能に関する全ての矛盾の網羅的総体からなるオブジェクト世界を認識する。
法則の認識である場合、粒度と網羅の矛盾の中の型の矛盾を認識する。5 事実の矛盾を解の矛盾(後述)に変換し機能を確定する。
6 法則の変更以外の変更の場合、機能と構造の矛盾で解の矛盾を解き、構造を実現し、1に戻る。
法則の変更である場合、粒度と網羅の矛盾の中の型の矛盾も解き変更し、1に戻る。7 新しく発見,発明された命題はないか、それによって可能になる価値がないか、基本概念の変更の必要がないか検証し、必要なら見直しを行う。1に戻る。
|
[62G] 第二部 ポスト資本主義 |
[62] PDF |
|
最終更新日: 2022.1.14 連絡先: 中川 徹 nakagawa@ogu.ac.jp