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編集ノート (中川 徹、2016年 8月 28日; 更新 9月 1日; 追記 9月30日)
本ページは、高原利生論文集第4集 の中心をなす「研究ノート」四部作の全体の概要を示すものです。(この研究ノートの紹介は、論文集第4集の紹介をお読みください。) この研究ノート全体は約80頁の大部のものです。読みやすさのために、四部に分割した構成にし、下位の4つのHTMLページ、PDFページにしています。
全体の目次と、本サイトでのページ構成は以下のようです。
[追記 (中川、2018. 9.30): 先の8月30日の段階では、第一部、第二部、および第四部前半をHTMLページにせず、PDF版だけ掲載しました。しかし、やはりこれらの部分もHTMLに起こし、私自身がきちんと勉強しないといけないと、思い直しました。高原さんが私の思いに応答下さり、第一部、第二部、第四部、および全体の概要部の最新版を9月16日に送ってくださいました。そこで、前回HTMLページを作らなかった部分の最新版をHTMLに起こすとともに、いろいろ分かりやすく追記・推敲されている「概要」部分のHTMLページを最新版に修正しました。]
未完成の哲学ノート(2018 年): |
掲載 HTMLページ、PDF | |
1.前書き: 価値を実現するために生きる 2.根源的網羅思考
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3.前書き 4.矛盾
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7.対象化(自由)と一体化(謙虚さ、愛)の矛盾による価値実現
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第四部 人工知能、宇宙論理学、人類の統一理論、ポスト資本主義の準備 8.前書き 9.人工知能
10.宇宙論理学
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上記のような構成であり、本ページ(全体ページ)には、以下のものを掲載しています。
全体 編集ノート (中川、紹介と構成など)
概要
おわりに
参考文献
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論文概要 (和文(再改訂稿): 2018. 9.16) 論文概要他PDF
矛盾モデルと根源的網羅思考による人類の生き方の基本原理についてのノート
未完成の哲学ノート (2018 年)
高原 利生
『TRIZホームページ』寄稿 2018年 4月12日、改訂 2018年 6月13日、再改訂 2018年9月16日、
掲載 2018年10月 日
概要 (2018年9月)
1.はじめに:目指すこと
人の作った何事にも完成したものはない。そして、完成したと思う思考は、死んだ思考の絞りかすで、常に否定し止揚し続けるべきものである。特に哲学は、常に仮説であり、常に未完成で発展の途上にあることを意識すべきものである。
この意味で、哲学は、作り続けられる仮説(極言すれば、虚構,フィクション)である。したがって、無意識に哲学によって作られる常識も、極言すれば虚構,フィクションである。無意識の哲学によって作られる、知識の体系である科学も、極言すれば、作られてしまった虚構,フィクションである可能性があり、より正しい科学を目指して変革を続けていく必要がある。哲学によって作られる生き方は、認識、行動に直結しているから、フィクション、虚構になる恐れは小さいが、意識的に変革を続けていく必要はある。
しかし、常識や生き方は、対象化されず意識されない故に、余りエネルギーを使わず有効に働いているとも言える。 [C.f. THPJ2015/3 6.1.1 b) 国家や企業、宗教における共同観念の共有は、そのために、法による罰の強制力や「道徳」や、これに代わるまたは補完する国家や企業、宗教への帰属意識を用いることができた。この強制力や帰属意識は、普通、対象化されず意識されないため有効に働く。この事情は今でもそうである。]
もし全ての人が、これからどう行動するかをゼロから意識して考えるとしたら、人類の活動は止まってしまう。したがってこの変革は困難な課題になる。よほど変更の根本的必要性が、確かな根拠で、多くの人に理解されないと実現できない。本稿は、今が、変更の根本的必要性のある稀な時代と思うので書いている。
人類の歴史を貫いている「基本法則」「基本原理」を求めること、世界の価値に寄与することと人の幸せな生き方の両立を目指す。
世界の価値に寄与することと人の幸せな生き方の両立は、検討のために最低限の自明の要件,必要条件だと考える。世界は破滅に向かっているかもしれないのに自分だけが幸せであることも、それぞれの人を置いて世界が良くなることも、ともにあり得ないからである。自分の幸せ(な生き方)だけを求めていい場合が、もし、あるとすれば、世界の全体が、常に、良い価値に向かっている客観的事実とその認識があり、個々の人と世界が関係無く存在している場合だけである。もちろん、価値とは何か、各人の共通価値があるかが議論の前提になる。価値については後で述べる。
この「基本法則」「基本原理」「生き方」は、少なくとも今まで千年の歴史から得られ、今後の千年の全ての人の指針になる、論理的にも歴史的にも「正しい」ものでありたい。個々の問題なら「正しい」ことは個々の人や他の生命により異なっている。できれば全ての人や生命にとって「正しい」「基本法則」「基本原理」「生き方」を求めたい。こういう立場は不遜になるかもしれない。不遜、傲慢にならない原理も「基本法則」「基本原理」「生き方」に入るとよい。
・ 理想の生き方とは、技術と制度を変え利用しながら世界の客観的な価値を実現することと、全ての人の主観的幸せが統一された生き方である。これは分かりにくい。具体的に、この新しい生き方のために何をすればいいのか?
・ 人類の歴史を貫いている基本法則、基本原理があるのではないか?あるとしたらそれを求めたい。
・ この二つを求める方法は何か?この三つは同時にしか求められない。
一般に、全てはお互いに関係しあっているから、全部を求めない限りその一部も求められない。例えば、全ての人が幸せにならないと誰も幸せにならない。図で表すと次元が増えて全体像が分かり易くなり、そのため一部も分かることがある。これは空間的関連から述べた二つの理想への近づき方である。
また、一般に、理想を、高い水準を超える状態ととらえると、努力を持続してもいつまで経っても理想は得られない。(少し努力して得られる状態を理想とは言わない) 理想を、努力の過程だと考えると、持続する努力が不可欠であるという「欠点」はあるものの、理想は常に得られ、しかも理想の「状態」に常に近づいている。これは時間から述べた理想への近づき方である。
以上から、次のようになる:
全部を完全に求めることはいつまで経ってもできないので、関連する全部の努力をいつまでも続けるしかない。これは時間と空間から述べた理想への近づき方である。空間と時間、二面の結論が統合される。さらに、複数の課題解決を必要とする生き方のような「大きな問題」の場合、同じ方向の多くの人の努力が要ることになる。関連する全部の課題の多くの人の努力を続ける必要がある。
2.生き方
人が生きることは、後天的に作られた世界観に規定される価値(観),感情,潜在意識,態度と論理によって、外界とのやり取り、認識と働きかけ、をすること、という単純な考え方によっている。
つまり、人は、カントなどのように先験的に理性や悟性を持っていて、その上で判断しているととらえない。人は、フロイトなどのように本来、闘う本能を持っているなどという前提を置かない。人の感情,潜在意識,態度は、主に教育、マスメディアによって作られる世界観、価値観に左右されている。
人が、今、生きることを抜き出してとらえると、
1.知覚、
2.歴史と現実を総括して得た世界観、価値(観)、
3.人の潜在意識、態度、感情と、これらが規定する粒度設定、論理,方法、それによる認識像と行動像の生成、
4.技術・制度・科学・芸術からなる文化・文明の支援による認識と行動、
の系列となる。粒度とは、扱う問題を決定するものである。まとめると次のようになる。、
生きること =
(知覚)⇔
((世界観、価値観)⇔ (潜在意識、態度、感情) ⇔(粒度決定、論理,方法、決定像))⇔
(文化・文明の支援による認識と行動)、
の繰り返し。生きることから実際の知覚、認識像、行動像、認識、行動を取り去ったものが生き方である。
生き方 = (世界観、価値観、潜在意識、態度、感情) ⇔ (粒度決定、論理(方法))
となる。
この中の価値や態度を決める世界観と論理(方法)が、哲学である。世界観と論理(方法)は、全ての人に必要である。
しかし、どちらも今、必ずしも十分な内容のない状況である、というより、はじめて、世界観と論理(方法)がどうあるべきかが分かった。
ある仮説に拠っているが、それを述べる。
3.哲学1: 論理、方法は矛盾モデルと根源的網羅思考
世界観、論理(方法)を哲学ととらえた。
論理,方法として、矛盾モデルと根源的網羅思考を提案している。
これは、物事の全て、始まりと運動、変化を扱う論理である。全てのものに関係があり、世界観と論理(方法)にも関係がある。論理(方法)は世界観の中核を基にしており、世界観は論理(方法)から作られる。つまり、両者は入れ子になっている。客観世界と人類の生きる世界に共通なことがある。
1. 何事も、始まりとその後の運動の歴史がある。
2. 二項のモデルでの外部または内部の力が作る差異とエネルギーが、全ての運動を作る。
(矛盾モデル) [FIT2006-16] [TS2006-12] [THPJ2012] [THPJ201501, 02, 03]
世界も人の行動も、運動の集合体と考え、「項1−関係(運動)−項2」という矛盾モデルの集合体で近似する。
大きく二種の矛盾がある。
一つは二項の差をなくす変化,変更である。一つのものの変化または変更のような運動のようにみえるものも「項1−関係(運動)−項2」という矛盾モデルで表す。例:自動車の運動は、「自動車−関係−土地」のように、自動車と土地の関係である。
もう一つは二項の両立を目指す運動である。例:エンジンの高出力化と軽量化の両立。
前者は、差異解消矛盾といい、通常の変化,変更であり、後者は、弁証法の意味の通常の矛盾で、両立矛盾という。両立矛盾も、両立していない状態としている状態の差異解消の運動である。
通常の日本語では、(両立)矛盾は、二つの項が両立しないことを表す意味で用いられることが多い。しかし、ヘーゲルなどの弁証法論理の使い方により、二つの項が相互作用しつつ両立する (両立している、あるいは両立を目指す) 意味で用いる。
この両立矛盾の特別の形に一体型矛盾があることが分かった。永続運動をする矛盾である。
次のいずれかの条件があると、永続する一体型矛盾ができる。
1. 外部に永続する強制力があること、
2. 矛盾に永続性を内蔵する入れ子構造があること。1の例 1: 種の進化における機能と構造の矛盾では、生き残るという基準が矛盾を永続させる。生き残っている種では、矛盾が永続している。
1の例 2: 生産力と生産構造の矛盾の場合も、うまくいかないと会社などはつぶれてしまう。生き残っている会社では、矛盾が永続している。2は、お互いに、
1) 各項が、他項を、自らの発展の条件とするか (例:システムと運用)、または
2) 各項が、他項を、自らの情報のサブ要素として取り込むこと (例:雄と雌)
である 。一体型矛盾の各項がお互いに発展させ続けることができるようになった。
なお、一般的には、必ずしも発展が起きるとは限らない。悪化させ続けることもある。同じ運動が、あるものには「発展」、別の人やものには「悪化」と見えることがある。一般的には、一体型矛盾では、各項がお互いに変化を起こさせ続ける。
(根源的網羅思考) [FIT2010-16] [TS2012] [THPJ2015/01]
思考は、認識又は事実変更という目的を達成するために、矛盾モデルと、その粒度を管理し矛盾モデルの運用、運動を行う根源的網羅思考により行う。
根源的網羅思考は、内容的には、事実と価値の、より大きな全体と本質を求め続ける思考である。根源的網羅思考は、方法的には、仮説設定をし、仮説を検証する過程を続ける、演繹や帰納を包含する思考である。
つまり、認識も(原理や法則の認識も)、変更も(事実の「問題」解決も)全ての思考は、根源的網羅思考を用いた矛盾モデルの運用、運動による。
議論も根源的網羅思考による。したがって民主主義は、根源的網羅思考なしにはありえない。根源的網羅思考は、多数決で結論を出すことはない。多数決は、時間の限定された場合に、例外的に非常手段としてはあり得る。どういう場合に多数決が許されるかは、厳密な検討が必要である。生き方のような永続する矛盾で構成される運動は、何か二項がお互いを高め合う一体型矛盾であるはずである。
矛盾モデルの内容を具体的に決めるのは粒度である。粒度とは、認識、変更像、行動の影響の及ぶオブジェクトの、空間、時間、属性の範囲である。
例えば、問題にしている「価値」の粒度は、どの空間範囲の誰・何のための、どのような時間範囲の、どのような属性内容の価値であるかということである。世界も人も、複数の矛盾モデルの集合体で近似することが多いので、思考の殆どは、関連する複数の矛盾が同時に成り立つ粒度を決めること、各矛盾の全ての時間、空間、属性の粒度が両立するということである。
根源的網羅思考は、単純な思想方法なので、誰もコンピュータも、思考、議論を高度化して行ける。AIは根源的網羅思考による定式化により高度化して行く。人の思考力はAIに勝り続けて進歩して行ける。
4.哲学2:人類の基本原理の作る世界観が、価値観,態度を決める
世界観、論理(方法)が哲学であった。世界観とは、人が、外界の構造とつながりにどう関わるかの、過去、現在、未来の像である。これが、価値観、潜在意識、態度を規定する。
自然を運用・利用する技術によって価値が実現される。農業革命後の人類の歴史は、価値を実現する技術と、それを補足し適切に運用する制度、科学、芸術の歴史である。
「種の存続−個体の生」は、取りあえず固定されており単純だが、「生の属性」は、そうでなく、生き方によって動的に得られる価値である。生き方と同時に得られる運動、矛盾であると言ってもよい。
前提: 自分だけの幸せはだれも望まない。主観的な「幸せ」が、客観的な全てのものの価値の増加と両立していることは基本的前提である。
意志のある全てのものの、全ての「価値」をお互いに高めて行く客観と、その主観的な実感である「幸福」の両立。これが、誰にでも思い浮かぶ内容だろう。
しかし、この表現は、一般的抽象的過ぎ具体的内容が伴わない。一つ一つの行動、態度を規定する具体性が必要である。
エミール・ポッティジェリは、「経済学・哲学手稿」フランス語訳の序文で「ヘーゲルが絶対理念の弁証法で解決した主観と客観との同一性の問題,それをマルクスは具体的に解決する」[EPM p.256]と述べたが、これは間違いである。マルクスはここで問題提起しただけで「具体的に解決」は、していない。仮説: 今、人類に必要なのは、今の人の一つ一つの具体的な態度、行動の根本を決めている概念とその反対概念の矛盾であり、その解はこの二者の弁証法的止揚である。
具体的には、歴史の中から、態度、行動を規定する基本法則、原理である重要な矛盾の対を見つけることが必要である。
その二項の候補は、今の人の行動の基本である対象化とその反対概念である。一体型矛盾は、外部に対して結果を出し続けるが、内部的にもお互いに矛盾の二項を充実させながら進化していく。したがって対象化の反対概念は、歴史の初期段階では初歩的なものでもよい。この反対概念は何か?人類の歴史を以下に概観する。その目的は、歴史の中からこの仮説の論理を探すためである。そして、それが徐々にあきらかになってきた。対象化の反対概念である一体化の初期形態は、一方向の一体化である「所有」や「帰属」らしい。それを次に記す。
1) 生命が登場する以前
始まりは客観的な自然の場合も人の意識的努力による場合も同じようにある。
地球が生まれ、マントル運動が大陸、山を作る。マントル運動が起きる原動力は、惑星が生まれた時にあったエネルギーと地球の自転による。
マントル運動により山が誕生し地震が起きる。差異を起こすのは、通常、外部からの力である。風が吹くのは、惑星の自転、太陽エネルギーによる水の蒸発などによる。地球は多様な環境の星になった。
2) 生命登場以降の農業革命まで
地球で生命が登場すると、多様な環境下で進化が起こる。生命の進化は、無意識的な機能と構造の矛盾が継続する変化運動である。やがて両性生殖を行う生命が生まれる。その進化には、通常の遺伝子組み合わせと遺伝子コピーミスによる突然変異の二種あると考えられる。生き残るとは生きるエネルギーを確保することである。進化の場合は、種の存続−生の個体のエネルギーの存在という基準が、この継続する変化運動に働き続けた。生命の存続のためには、日常的な個体維持に加え、親子の系列が、突発的変化と通常の変化に対応しなければならなかった。この突発的変化と通常変化への対応の運動は、無意識的な機能と構造の矛盾という継続する変化運動、一体型矛盾であった。
動物が生まれ、知覚と反応という特性が加わって、意図的な運動が始まる。
長い時間が経ち、狩猟、採取において、言語が生まれ、意図的な機能と構造の矛盾による道具改良などが始まったと考えられる。
主観と客観の原型は、言葉や道具の使用と同時期に産まれた。言語、初歩的な道具の使用という対象化は、主観と客観の原型を作る。主観と客観は、地球では約二百万年の歴史がある。主観と客観は、一般的には重要であるが、ここではまだ意味がない。生まれた当初は、主観は初歩的で、そのため客観は、主観と対立するものではなく客観と主観は矛盾ではなかった。この客観と主観だけでは、世界の単なる一般的抽象的静的関係に過ぎなかった。この状態は、人類の農耕が始まるまで続く。
態度、行動である生き方の指針を作るためには、客観と主観の関係を具体化し活性化する矛盾が必要である。生きる上で最も根本的な矛盾は、今の人の態度、行動の根本を現に決めている概念とその反対概念の一体型矛盾であり、その解はこの二者の弁証法的止揚である。
この矛盾の粒度が求まればよい。粒度は、論理的に正しくかつ歴史的に確認されたものでなければならない。そしてヘーゲルの弁証法によると歴史と論理は大きな粒度で一致する。以上が、「論理的」検討の全てである。さらに歴史の中でこの論理が成り立つ粒度を探そう。
3) 物々交換の開始
約一万年前、太陽エネルギー利用による農業革命が起こる。農耕という対象化が、その後の人類の進歩を決定的に変える。農耕地開拓により生産物が増え保管が進む。保管している食料を奪いに来る相手との闘いで死者が出るようになる。正確には、当初は相手のものを奪うという意識はまだない。この闘いの中で、次第に「所有」や「奪う」という概念が、三、四千年かかって生まれていく。
おそらく出生時の死亡を別にすれば、当時の最大の死因は、この闘いでの死だった。この問題をどう解決すべきかが集団のリーダーの悩みの種だった。約六千年前のある時、物々交換という偶然の解決策が得られ広まっていく。[IEICE2012][THPJ2012] 物々交換は「所有」という、あるものを自分(達)に引き付ける一方向一体化概念の成立後に生まれた。「所有」が最初に生まれた一体化だった。
それから約二千年経ち、今から約四千年前、多くの個をまとめるために集団や神や自然への「帰属」が始まる。これはあるものに自分(達)を引き付けるもう一つの一方向一体化である。こうして、対象化と「対」になる「所有」や「帰属」という一方向の一体化の初期形態が生まれる。これが対象化と一体化の矛盾の始まりである。
併せて、物々交換によって生まれた等価原理が科学、制度を進歩させていく。「所有」も普及して法的概念になり制度化される。
既にあった技術、芸術、科学に加えて制度がここで出来上がる。これで人類の対象化、一体化を行う要素が出そろった。こうして、進化だけの他の生命と異なり、
外界に働きかけることを道具を媒介にして行う技術,共同観念を媒介にして行う制度、
認識を体系的に行う科学,一体的に行う芸術
の四つからなる文化・文明が誕生する。
操作 認識対象化手段 技術 科学一体化手段 制度 芸術
人以外の動物も苦労、努力をしている。殆どは、個体の生を守り、子を育て子孫を残すための努力である。生きることができず子孫を残せなかった個体の遺伝子は失われる。人も、個体の生を守り、子を育て子孫を残す。動物は、性欲と闘争欲を持っている。ただ人だけが、意識的苦労、意識的努力ができる段階に至り、その努力の結果が人と外界を媒介する外部に蓄積されるようになった。他の動物と違うのは、外部に蓄積物を持ち、生き方を新しくすることができた点である。動物の性欲と闘争欲が、それぞれ、人の一体化と批判(対象化)の動物的原型ではあろう。
こうして人の生きる構造は次の図のようになった。
技術とは、技術手段と、それを生成する過程、それを利用,運用する過程の総体である。
制度とは、共有される共同観念と、それを生成する過程、それを利用,運用する過程の総体である。共有は関係の一種である。
図 人類の生きる構造 (FIT2016を改良、FIT2017スライド)
4) 対象化と一体化の一体型矛盾の完成が必要な今
化石燃料利用による産業革命、資本主義は、対象化を急速に発展させ人の価値を高めたが、対象の価値を高めなかった。それどころか、人が地球を破壊しつつある。
こうして、双方向一体化によって対象の価値を高め、同時に対象化の問題も解決する必要があることが、今、明きらかになっている。農業革命後の人類の歴史を総括した結果、今後の生き方を規定する基本法則、原理は、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾、自由と愛の矛盾であると分かった。この三つはほぼ同じもので、どれも態度、行動が同時に実現すべき矛盾である。これらは一体型矛盾という型の矛盾で、お互いに相手を変化させる永続的運動を作る。
対象化は、対象を自分と切り離した対象として操作する態度、意志、行動である。
批判は、否定でなく対象化された双方の意見の弁証法的止揚である。
対象化の価値を、対象を変更する能力である自由としている。操作できる力が大きいほど、人はより自由になる。一体化、愛は、自分と対象を一体として扱い、双方の価値を高める態度と行動である。
謙虚さは、自分と対象を一体化してみる態度、行動である。誠実さは、その前の前提である。
一体化の価値は、自分と対象を一体として扱う愛の広さ、強さである。これと同時に、客観と主観がお互いに含み合い、観念も事実も複雑になっていく。時間をかけて、客観と主観はお互いがお互いを高め合う一体型矛盾に近づいていく。
この矛盾はまだ抽象的である。つまり、理想の目的は、意志のある誰もが(可能なら全てのものが)、いつでもどこでも全てのものの「価値」をお互いに高めて行く客観と、その主観的な実感である「幸福」の二つの両立であるような全体、本質、方法を求めることである。
しかし、これは抽象的であるだけでなく内容がよく分からない。この抽象的な主観と客観の統一の実現方法が、個々のオブジェクトへの向き合い方である対象化と一体化の一体型矛盾であった。
対象化と双方向一体化の一体型矛盾が本質的である理由は、対象化と一体化が、論理的にお互いに反対概念であり、同時に、対象に対する根本的な態度、行動を網羅しているからである。そしてそれが歴史の中からも見つけられたからである。
一体型矛盾は、普通の意味の矛盾である両立矛盾が、一回解が出れば終わりなのに対して、永続して相手を変化させ続けるという解を出す矛盾である。こうして、具体的な対象化と一体化の一体型矛盾が解決して、初めて抽象的な客観と主観の一体型矛盾、「価値」を高めて行く客観と主観的な実感である「幸福」の二つの両立を持続的に行う一体型矛盾が解決できるようになった。
5.結論と課題
思考は、より正しい認識またはより良き事実変更という目的を達成するために行う。
その中で、根源的網羅思考は、内容的には、事実と価値のより大きな全体と本質、価値を求め続ける思考である。
理想の目的は、意志のある誰もが(可能なら全てのものが)、いつでもどこでも全てのものの「価値」をお互いに高めて行く客観と、その主観的な実感である「幸福」の二つの両立であるような全体、本質、方法を求めることである。
この主観と客観の統一の実現方法が、矛盾モデルと根源的網羅思考からなる弁証法である。根源的網羅思考は、方法的には、仮説を立てそれを検証する過程を続ける、演繹や帰納を包含する思考である。
1. 主観と客観の二項は、言葉や道具の使用と同時に産まれた。地球で数百万年の歴史がある。
理想の目的は、意志のある誰もが(可能なら全てのものが)、いつでもどこでも全てのものの「価値」をお互いに高めて行く客観と、その主観的な実感である「幸福」の二つの両立であるような全体、本質、方法を求めることである。
しかし、この客観と主観は、一般的抽象的静的関係である。生き方の指針を作るためには、客観と主観の関係を具体化し活性化する矛盾が必要である。
それは、人の態度、行動を最も根本的に変える矛盾で、かつ永続する一体型矛盾でなければならない。2. 人が生きる最も根本的な矛盾は、今の人の態度、行動の根本を現に決めている概念である対象化と、その反対概念である一体化の矛盾であり、その解はこの二者の弁証法的止揚であるという仮説を作った。
この矛盾の粒度が求まればよい。粒度は、論理的に正しくかつ歴史的に確認されたものでなければならない。そして弁証法によると歴史と論理は大きな粒度で一致する。この矛盾は、六千年前くらいに物々交換とともにその萌芽が生まれた新しい矛盾である。3. 四千年前、既にあった技術、芸術、科学に加えて制度が出来上がる。これで人類の対象化、一体化を行う要素が出そろった。
こうして、進化だけの他の生命と異なり、外界に働きかけることを道具を媒介にして行う技術,共同観念を媒介にして行う制度、認識を体系的に行う科学,一体的に行う芸術の四つからなる文化・文明が誕生する。人類の対象化、一体化を行う要素が出そろった。4.こうして始めて、物々交換後、六千年かかって具体的な対象化と一体化の一体型矛盾の解決が、初めて抽象的な客観と主観の一体型矛盾を解決できることが分かった。
抽象的な主観と客観の統一は、具体的な労働と生活の中での、それぞれの個人の一瞬の生き方の理想である、自由と愛の統一、対象化と一体化の統一、批判と謙虚さの統一である。その間に、これと並行し、客観と主観がお互いに含み合い、観念も事実も複雑になっていく。時間をかけて、客観と主観はお互いがお互いを高め合う一体型矛盾になっていく。
こうして二つの一体型矛盾が同時に進んでいく。個が、全歴史全世界とその中の自分の位置を知った上で、一瞬にオブジェクトと一体化、没入と同時にオブジェクトを対象化し、同時にこの一瞬に、客観的に全歴史,全世界の問題解決が進みつつあるという参加の主観における実感が得られる。[THPJ2015/1, 2改]
さらに、理想は、自由と愛の統一、対象化と一体化の統一により、意志のある誰もが(全てのものが)、どこでもいつでも全てのものの「価値」をお互いに高めて行ける。
この客観的価値実現と私の主観的幸せの統一が求めるものである。この客観と主観の一致、一体感が生き方を作る。
解決の課題例を二つ観よう。
例1: 例えば、労働の場合、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾、自由と愛の矛盾の内の、対象化と一体化の矛盾が重要である。
労働を、より良いものをより効率的に作る目的に加え、人間や対象の価値を増すためという目的を加えた労働に代える。利益を増す「合理的」労働に加え、人間や対象の価値を増すことを重視する労働に代える。
この労働は、ものやサービスを作り運用する労働だけでなく、科学、芸術、技術、制度を作り運用する労働も、今、賃労働として扱われていない労働も含む。人は、人とオブジェクトの双方を活かすためには、人の価値と、対象であるオブジェクト全体−−入手する素材の生産過程、流通、包装、消費、廃棄などの全過程を含め−−の価値を共に高める(愛の)ためにはどうすれば良いかも考慮することが必要である。これは、今のところ、全体を見通せる大企業や、商社、広告会社などのインテグレータ、国の官僚だけが行いやすい。彼らを含め、全ての人が、労働と生活の場で、動いている全過程に自由と愛、対象化と一体化の目を配る意図と仕組みが必要である。
こうして、労働が、自分の能力の全面的発現と全てのオブジェクトの価値のためのものになる。他のオブジェクトのための労働の変更が、全世界でどれだけの良い結果をもたらすか、もたらしたかを示せるとよい。
以上は、生活の場合にもほぼ同様に当てはまる。例2: 例えば、議論や思考の場合、つまり他人が相手の場合、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾、自由と愛の矛盾の内の、批判と謙虚さの矛盾が重要である。
これは、自分と相手の弁証法的否定、つまり「正反合」の運動を行い、お互いの意見を統合する。これが本来の議論であり、また、思考そのものの内容であるはず(自分の前の意見を新しい意見に代えるのが思考であるから)である。
しかし、今は、思考も議論もなく、したがって民主主義の中身もない。思考と議論が豊かな内容に変わることも、重要である。この二つが、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾、自由と愛の矛盾である。これは、ほとんど、豊かな生き方の全て、理想の生き方の条件であり理想そのものである。これがポスト資本主義を作る。
今はただ、理想の目的と、解決すべき矛盾が分かっただけで、全く実現には遠い。矛盾の端緒ができたのが六千年前、矛盾の形が分かるのに今までかかった。対象化と一体化の一体型矛盾は、二項の入れ子になった矛盾を意識して十分に働かせ、意識的に、不十分な項を完成させること、多くの人が努力することが望ましい。
岸見一郎によると、アルフレッド・アドラーの「自己像、世界観、自己理想」からなる「ライフスタイル」は、この生き方に近い。ここでアドラーは世界観を今の世界の現実像に限っている。
岸見一郎や、アルフレッド・アドラーは有益な内容を述べている。しかし、彼らは、客観と主観の統一さえも述べていない。さらに、自己について現実像と理想像があるように、客観の世界像には、過去の世界像、現在の世界像、未来の理想世界像と続く流れがあり、その中に原理、法則を見つけられる。この人類の過去、現在、未来像から導き出される客観的原理(法則)が、対象化と一体化の統一、自由と愛の統一である。それが、この客観的価値実現と私の主観的幸せの統一の内容である、というのが私の主張である。対象化と一体化の統一とは、論理的なオブジェクトの関係についての最も基本的な概念とその反対概念との統一である。
ユバル・ノア・ハラリの「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」(河出書房新社2016, 原著2011) [YNH]と、ジャレット・ダイヤモンドは、一種の人類の統一理論の試みをしていると理解できる。ユバル・ノア・ハラリの書は、主観の誕生を重視し、本稿より時間粒度が大きいが、文化、文明の発生と運動の今後の展望を十分明らかにしない。[IEICE2018]
これが、アルフレッド・アドラーとも、ユバル・ノア・ハラリとも、ジャレッド・ダイヤモンドとも異なる点である。アルフレッド・アドラー、ユバル・ノア・ハラリ、ジャレッド・ダイヤモンドには優れた中身があり有用である。しかし、アドラーにはやや内容が不足し、ユバル・ノア・ハラリ、ジャレッド・ダイヤモンドにはやや不十分な内容があり、かついずれも見方が単純すぎる。
今、歴史上初めての画期的チャンスを迎えている。人の対象化(批判、自由)と一体化(謙虚さ、愛)を両立する努力が、世界と歴史に繋がる新しい価値と理想的生き方を生み、同時に制度を変えポスト資本主義を実現するチャンスである。
しかし、得られたのは安らかな「幸せ」ではないかもしれない。なぜならこれは、今の一瞬だけが大事であるとする生き方である。今の一瞬の努力を、永久に行い続けないといけない生き方である。
今の一瞬の、自分たちの自由と他の生命、他のものへの愛のための、文化・文明と心と行動の変革の永久の努力を行い続ける生き方である。今の一瞬が、祈りであり、思考であり、科学,芸術,技術,社会制度の変革行動であるような生き方である。それに、これらには、多くの人の「常識」を転換し、対象化と一体化、自由と愛の一体型矛盾を世界観にする必要がある。そのための矛盾モデル、根源的網羅思考の普及も必要である。この「哲学」(世界観と方法)に全ての人の賛成が必要である。これは不可能に見える。
当初の一方向一体化を十分に理想的な双方向にするには、多様化が必要なことが分かってきた。多様化が進み、悪しき所有や他を排除する悪しき帰属という一方向一体化を克服すると、双方向一体化ができる条件が整う。
多様化は、もともと対象化がすすみ発展が進むと自動的に生まれる。多様化に、生産物の多様化と個の多様化(個の確立)の二つがある。そして多様化は単一化を目指す管理とともに進む。また、一体化を進める多様化でなければならない。
対象化(批判、自由)と一体化(謙虚さ、愛)の矛盾と同様、多様化とその反対概念である単一化の矛盾も一体型矛盾である。対象化と(双方向)一体化の矛盾と、その下位の矛盾、多様性と一体化の矛盾が必要である。
この二つの一体型矛盾は、農業革命後の物々交換以来の約六千年の歴史を持つ。あと千年か二千年くらいは、人類の主要矛盾ではなかろうか。
人類は今までに多くの知識を得た。知識を得たら、その知識を利用すること、しないこと、実現すること、しないことには責任が生じる。これも自由と愛の矛盾の一つの表現である。知識を得て対象化が進展することは、自由の増加である。それによって責任が生じることは、自分と対象とを一体にする愛の自然な帰結である。
地球誕生後、生命が生まれた。生命の系統樹の末端に、人、他の動物種、植物種が対等の立場で存在する。人が、もし、ペスト菌や他の動物種、植物種に比べて「優れて」いるとすれば、それは、得ている知識を、人のためだけでなく、ペスト菌や他の動物種、植物種の「価値」のために使える存在であるからである。人が一瞬でも謙虚でなく傲慢になればこの優位は消えてしまう。無意識に、単に人が他の生命より「偉い」存在だという傲慢さに陥ってしまう。(こういうことを言うことが、すでに傲慢だと言われるかもしれない)
この変革は、所有や帰属、「罪と罰」のような一方向一体化から生まれた今までの常識を考え直す変革なので,ゼロベースで考え直してみる必要があった。
本稿では、物々交換後の文化誕生後の文化の歴史が、人類を特徴づけるとした。人の歴史が対象化を生み、さらに一体化を生んだ対象化が、人を画期的な存在にする。論理的かつ歴史的という二つの粒度の統合でしか、人類の今後の生き方のような大きな問題を解決しない。この立場、粒度だけが人類の今後の展望も示すことができる。
本稿、中川徹『TRIZホームページ』への投稿 [THPJ2018/1-4]は、
第一部「根源的網羅思考」と第二部「矛盾モデル」で哲学の一部である論理(方法)、
第三部で哲学の一部である世界観と、それに基づいた生き方を述べる。第三部前半までが、従来とやや異なる哲学の提案である。
さらに第四部で当面検討の必要な課題を述べる。
2018年時点で、分かったこと、分かっていないことを書いた未完成の哲学ノート、その一部の応用問題を述べたものである。
キーワード:(矛盾、粒度、網羅)、(対象化、一体化)、(自由、愛)、(批判。謙虚さ)、物々交換、世界観、(論理、感情)、潜在意識
[注: 以下は四部作の本体部分です。それぞれ別ページにしていますので、参照ください。]
第四部 人工知能、宇宙論理学、人類の統一理論、ポスト資本主義の準備
おわりに
(生き方と根源的網羅思考)
根源的網羅思考は、論理の一部であり、同時に生き方の全てを規定している。
・ 人に何が必要か、どう生きればいいのか?新しい生き方は、客観的価値実現と、主観的幸せの統一である。
・ この人類の歴史を貫いている「基本法則」「基本原理」があるのではないか?
・ それらの方法は何か?個々の結果もさることながら、この三つを同時に求めることが不可欠でかつ可能であることが大きな発見であった。
対象化と一体化の統一、自由と愛の統一が、人類の歴史と論理から抽出された原理である。
理想の生き方は、多様な個の確立、対象化と一体化のそれぞれをより完全にしながら、統一する新しい世界観を持ち、これが態度、行動を規定する生き方である。これが新しい制度も作る。
今の一瞬だけが大事であるとする生き方である。今の一瞬を、自分たちの自由と、他の生命、他のものへの愛のために、永久の努力をし続ける生き方である。今の一瞬が、祈りであり思考であり変革であるような生き方である。
これは、結果として、サルトルの「全体化」の実現である。[SRTR]
また、マルクスの次の難解な言葉の意味を考えて得られたような気もする。マルクスのこの作品は。彼の死後数十年を経て発見された未完成未公開の草稿で、一部だけが読める状態で残っていたものである。そのため、全体として、難解で未熟な表現も多い。
「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」
「私が実践上,事物に対して人間的にふるまうことができるのは,ただ,事物が人間にたいして人間的にふるまうときだけだ」 [EPM第三草稿p.153] [DV]
根源的網羅思考により一時的な両立矛盾から永続する一体型矛盾が得られている。価値の要素である種の存続、個の生、対象化と一体化、自由と謙虚な愛という価値が歴史から抽出された。
この価値実現を始めたのが農業革命という太陽エネルギー革命だった。化石燃料革命である産業革命を経て、一体化と対象化、謙虚な愛と自由、謙虚さと批判という一体型矛盾の展開が必要かつ可能だと分かり、この全ての人の今の誠実な努力が、抽象的に見えた主観的な幸せと、客観的な世界と歴史の全体に繋がる喜びになり、ポスト資本主義を作るチャンスを迎えた。
この価値を超える大きなオブジェクトの大きな価値も全員で求め続ける必要がある。今後数百年の課題である。
この変革は、所有や帰属、「罪と罰」のような一方向一体化から生まれた今までの常識を考え直す変革なので,ゼロベースで考え直してみる必要があった。そして従来の演繹、帰納と異なり、仮説設定と検証だけが正しく新しい情報を作る推論である。
技術者、科学者は、人工知能技術で、人の新しい生き方、制度、技術を作ることができる。その中で、哲学、教育の意味が大きい。
(世界観)
1.全ての運動は、何かと何かの差異とエネルギーが起動する。その後の全ての歴史は、論理によって変化していく。これは、ヘーゲルの論理学のようにあたかも神の論理どおりに、物事が進んで行くという仮説である。
この論理を、二項間の関係である矛盾による世界の単位近似と、粒度管理のための根源的網羅思考からなる弁証法論理とするのが第一の近似仮説である。
これにより、次の事態が起こる。始まりには差異があり、差異解消のため運動が論理的に起動される。運動に、差異解消矛盾による運動と両立矛盾による運動がある。差異解消矛盾という普通の意味の運動が、質的変化を起こすことがある。これが次の事態である。
2.外部または人が起こす偶然のように見える微細な差異がその後の歴史に決定的な影響を与える。
地球の物理的条件下で、個と種の維持ができる生命が生じ、知覚と反応という特性が加わる。
人のような知的生命には、さらに特性が加わる。人に言語が誕生し精神、主観が生まれ、外界である宇宙、世界についての像を自分の中に持つことができるようになる。他生命と異なり、道具の製作・利用をするようになり外界に多様で量的にも大きな働きかけができるようになる。
地球の物理的条件に依存した人の宇宙を認識、操作できる「範囲」が問題である。人は、宇宙を認識、操作できるようになる。これらは大きな人の特性である。
偶然のように起きる微細な差異が決定的な影響を与える実現手段は、一体型矛盾を実現する入れ子構造のような構造である。文化誕生後の文化は入れ子があった[FIT2016]。また、この微細な差異は、必要性と可能性の差異により人が必然的に発見したものだったと分かる。
(まとめ)
物々交換後、六千年かかって具体的な対象化と一体化の一体型矛盾の解決が、初めて抽象的な客観と主観の一体型矛盾を解決できることが分かった。
抽象的な主観と客観の統一は、具体的な労働と生活の中での、それぞれの個人の一瞬の生き方の理想である、自由と謙虚な愛の統一、対象化と一体化の統一、批判と謙虚さの統一である。その間に、これと並行し、客観と主観がお互いに含み合い、観念も事実も複雑になっていく。時間をかけて、客観と主観はお互いがお互いを高め合う一体型矛盾になっていく。こうして二つの一体型矛盾が同時に進んでいく。
個が、全歴史全世界とその中の自分の位置を知った上で、一瞬にオブジェクトと一体化、没入と同時にオブジェクトを対象化し、同時にこの一瞬に、客観的に全歴史,全世界の問題解決が進みつつあるという参加の主観における実感が得られる。[THPJ2015/1, 2改] さらに、理想は、自由と謙虚な愛の統一、対象化と一体化の統一により、意志のある誰もが(全てのものが)、どこでもいつでも全てのものの「価値」をお互いに高めて行ける。
この客観的価値実現と私の主観的幸せの統一が求めるものである。この客観と主観の一致、一体感が生き方を作る。
解決の課題例を二つ観よう。
例1:例えば、労働の場合、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾、自由と愛の矛盾の内の、対象化と一体化の矛盾が重要である。
労働を、利益を増すためのより良い製品をより安く作る目的に加え、人間や対象の価値を増すためという目的を加えた労働に代える。利益を増す「合理的」労働に加え、人間や対象の価値を増すことを重視する労働に代える。
人は、人とオブジェクトの双方を活かすためには、人の価値と、対象であるオブジェクト全体−−入手する素材の生産過程、流通、包装、消費、廃棄などの全過程を含め−−の価値を共に高める(愛の)ためにはどうすれば良いかも考慮することが必要である。これは、今のところ、全体を見通せる大企業や、商社、広告会社などのインテグレータ、国の官僚だけが行いやすい。
彼らを含め、全ての人が、労働と生活の場で、動いている全過程に自由と愛、対象化と一体化の目を配る意図と仕組みが必要である。こうして、労働が、自分の能力の全面的発現と全てのオブジェクトの価値のためのものになる。他のオブジェクトのための労働の変更が、全世界でどれだけの良い結果をもたらすか、もたらしたかを示せるとよい。
以上は、生活の場合にもほぼ同様に当てはまる。例2:例えば、議論や思考の場合、つまり他人が相手の場合、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾、自由と愛の矛盾の内の、批判と謙虚さの矛盾が重要である。
これは、自分と相手の弁証法的否定、つまり「正反合」の運動を行い、お互いの意見を統合する。これが本来の議論であり、また、思考そのものの内容であるはず(自分の前の意見を新しい意見に代えるのが思考であるから)である。しかし、今は、思考も議論もなく、したがって民主主義の中身もない。思考と議論が豊かな内容に変わることも、重要である。この二つが、対象化と一体化の矛盾、批判と謙虚さの矛盾、自由と愛の矛盾である。これは、ほとんど、豊かな生き方の全て、理想の生き方の条件であり理想そのものである。これがポスト資本主義を作る。
人類は今までに多くの知識を得た。知識を得たら、その知識の利用、実現には責任が生じる。これも自由と愛の矛盾、その統一の解の一つの表現である。
地球誕生後、生命が生まれた。生命の系統樹の末端に、人、他の動物種、植物種が対等の立場で存在する。人が、もし、ペスト菌や他の動物種、植物種に比べて優れているとすれば、それは、得ている知識を、人のためだけでなく、ペスト菌や他の動物種、植物種の「価値」のために使える画期的な存在であるからである。人が一瞬でも傲慢になればこの優位は消えてしまう。
本稿では、物々交換後の文化の歴史が、ここでの人類を特徴づけるとした。人の歴史が対象化を生み、さらに文化において一体化を生んだ対象化が、人を画期的な存在にすると考えたからである。これがハラリとの大きな違いである。ユバル・ノア・ハラリが「サピエンス全史, 文明の構造と人類の幸福」[YNH2011]で書いた内容は少し違うのではないか?
この立場、粒度が人類の今後の展望も示すことができると思う。
対象化と一体化の矛盾がつくる作用も、書けるものは全て書いたと思う。中途半端のように見えるかもしれないが、今の時点で検討できる全てを書いた気がする。
一般論だが、問題が提起され書かれたということは解決に近づいたということではあるが、その解決策、または解決の方向が正しいとは限らない。
(課題)
残った課題は次のとおりだと思う。これに関する本文は、整理されておらず読みにくいと思うがそのままにしている。
・ 「対象化と一体化」、「自由と謙虚な愛」、「謙虚さと批判」の内容が大事である。
これは、取りあえず、何を対象化するか、何と一体化することから始まるだろう。
何を対象化するか、何に一体化の感情を抱くかは、自分では制御しにくい。生まれて以来の教育やマスメディアに作られた固定観念が邪魔をして、自分の対象化、一体化の内容はおそらく相対化、対象化しにくい。これは多様化、特に個性の開花は難しいということだろうと思う。
・ 努力を続ける人とそうしない人の差をなくすという課題は長く残る。多様化の重視で一部解決するが、どうしても、他の人が汗を流しての努力で得られた社会制度に安住し努力しない人は出てくる。
この生き方をする人としない人の二分の固定が起こるのではないか?格差の拡大が起こるのではないか?今、話題にされている所得の格差だけなら配分を外部から見直せば取りあえず解決する。生き方によって生ずる差は、片や、する人の全能力、全人格を発揮し、自分と他人、他オブジェクトを良くし続ける。そうしない人との差はどんどん広がる。
・ 「一体化の一体的努力を全ての人が行う」結果、できる社会は「善人」だけからなるつまらない社会かもしれない。
実際には理屈どおりにはならないから大丈夫と言ってはならない。論理的な可能性を無視してはならないだろう。多様化の重視で一部は解決する。しかし、単純な一方向一体化は、この多様性を排除してしまう。相手の排除という多様性否定(他を排除する帰属感)と多様な価値の軽視(所有していないものを大事に扱わない所有観)をもたらすからである。
一方向一体化がもたらしてきた欠点を排除するために、次の双方向一体化へ「発展」すればいいのか?多様化と統一すればいいのか?
ここから二つ方向がある。
一つは、「彼らを非難してはいけない。非難自体、彼らを上から見ている。彼らの生き方も別の生き方として尊重し、それで良いのかもしれない。しかしそれだけでよいのか?」と考える。二つ目は、「あくまで努力する生き方が正しいので、そうしない人の立場に立って、何とか自発的に努力するようにさせるようにしなければならない、彼らを生むのは目指す価値が必ずしも完全に正しくないからではないか?だから目指す価値の正しさは常に見直さなければならない」と考える。
どちらがいいのか全く分からない。後者の「目指す価値の正しさは常に見直さなければならない」気持ちを継続すればどちらも同じかもしれない。これと別の答えがあるのかもしれない。
ただ、おそらく、書かなかった、書けなかったことの中にこれからの本当の課題がある。
(結論)
今、人類は岐路に立っている。
本稿では、物々交換後の文化誕生後の文化の歴史が、人類を特徴づけるとした。人の歴史が対象化を生み、さらに一体化を生んだ対象化が、人を画期的な存在にする。
論理的かつ歴史的という二つの粒度の統合でしか、人類の今後の生き方のような大きな問題を解決しない。この立場、粒度が人類の今後の展望も示すことができる。
矛盾モデルと根源的網羅思考という基礎的「論理」とそれによる世界観の仮説、さらに重要と思う応用問題を述べた。応用は、全くゼロベースではない独断的仮説の羅列に終わった。ゼロベースで検討すると様々に有益な結果が導かれるはずである。
謝辞
本稿は、大阪学院大学名誉教授中川徹博士のご理解ご支援の賜物である。
中川徹先生の、
・ 「TRIZのエッセンス」[NKGW2001](これは、技術に限定されているが全領域に拡張して適用できる。短い中に、矛盾のとらえかたと生き方が凝縮され画期的であった)、
・ 「六箱方式」(前にも書いた [THPJ2015/01,02] が、一見当たり前のように見える六箱方式であるが自分で書いていくと同じものになった)[NKGW2005]、
・ 「人類文化の主要矛盾「自由 vs 愛」」[NKGW2016] [NKGW2017] (一見異なるように見えるところは中川徹先生の「倫理」へのコメントである)
の三つは驚異的、本質的でありほぼ全面的に賛同する。中川徹先生のhttp://www.ogjc.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jC/index.html「4.資料」に載っている「CIDコース教材セット: 創造的想像力の開発コース (小学校1-3年生向け) (Natalia V. Rubina (ロシア)、英訳Irina Dolina)」は、根源的網羅思考を考える上で大変参考になった。今、福田ちはるさんが訳を進めておられる。
今まで、中川徹先生のL. Ball,「階層化TRIZアルゴリズム」[LB]や、Denis Cavallucci [DC] 、D. Russo, S. Duci [RUSS]、Ed Sickafus [ES] などの本や論文の翻訳をお手伝いしてきた。いずれも目から鱗が落ちるものでその後の生き方を変えるものになった。いくつかは古謝秀明氏との議論と共訳の作業である。
これを記し古謝秀明氏、福田ちはるさんにも感謝を申し上げる。
文献 [第一部〜第四部 全体の参考文献]
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[KNT] I.カント,「純粋理性批判」篠田訳, 岩波文庫上, 1961. 原著2版1787.
pp. 149-159, (ここではカテゴリーの二分、三分について述べている)
pp. 286-294, (ここでは、存在と関係の関わりについて教えられた。I, 第二部門, 第一部, 第二篇, 第二章, 第三節, 3, c.)[EPM] K. マルクス, 「経済学・哲学手稿」藤野訳, 国民文庫, pp.98- 157, 1963, 原稿1844.
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[THPJ2012] 高原, “技術と制度における運動と矛盾についてのノート”, TRIZホームページ, 2013.
[FIT2013] 高原, “世界構造の中の方法と粒度についてのノート”, FIT2013. D-001, Sept. 2013.
[THPJ2015/1] 高原, “粒度、矛盾、網羅による弁証法論理ノート:ノート2015-1”, TRIZホームページ, 2015. http://www.ogjc.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2015Papers/Takahara-2015-NotesABC/Takahara-NoteA-151012.html
[THPJ2015/2] 高原, “中川徹の6箱方式へのコメント:ノート2015-2”, TRIZホームページ, 2015. 同上 http://www.ogjc.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2015Papers/Takahara-2015-NotesABC/Takahara-NoteB-151013.html
[THPJ2015/3] 高原,“弁証法論理の応用展開ノート:ノート2015-3”, TRIZホームページ, 2015. 同上 http://www.ogjc.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2015Papers/Takahara-2015-NotesABC/Takahara-NoteC-151103.html
[FIT2016] TAKAHARA Toshio, “Radical Enumerative Thinking and Contradiction of Unity for World View, the Way of Life and the Future of Human Being”, FIT2016, Sept. 2016. これから一体化と対象化の矛盾が各階層の構造の運動をエネルギー最小にすることが分かった。
[IEICE2016] 高原, “地球の弁証法論理”, 2016信学総大, A-12-1. Mar. 2016.
[CGK2016] TAKAHARA Toshio, “A Note on Energy and Post-Capitalism”, 平28電気・情報関連学会中国支部連合大会, Sept. 2016.
[FIT2017] TAKAHARA Toshio, “World View, Attitude and Logic of Life to Survive in the Universe”, FIT2017, O-018, 2017.
[IPSJ2017] 高原, “大きな問題の解決方法”, 情報処理学会79全大, 7F-02, 2017.
[CGK2017] TAKAHARA Toshio, “Radical Enumerative Thinking and Contradiction as the Way of Life”, CGK, R17-25-07, 2017.
[IEICE2018] 高原, “矛盾モデルと根源的網羅思考による人類史の論理と価値実現”, 2018信学総大, A-12-, Mar. 2018.
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最終更新日: 2018.10.10 連絡先: 中川 徹 nakagawa@ogu.ac.jp