TRIZ/USIT 論文: TRIZ シンポジウム 2009発表 | |
TRIZという生き方? | |
高原 利生 ( ) | |
日本TRIZ協会主催 第5回日本TRIZシンポジウム、2009年9月10-12日、国立女性教育会館、埼玉県比企郡嵐山町 |
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紹介: 中川 徹 (大阪学院大学) 英文: 2010年 2月4日 | |
掲載:2010. 9.23 |
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編集ノート (中川 徹、2010年 9月19日)
本稿は、昨年(2009年)の第5回TRIZシンポジウムで発表されたものです。もっと早くに、遅くとも今年のTRIZシンポジウムの前に、昨年のシンポジウムの論文をこの『TRIZホームページ』に掲載してしまいたいと努力していたのですが、遅れてしまいました。ぜひ載せたいと考えています論文が、まだ10編ほどあり、できるだけ早くに掲載したいと思っております。
本稿は、高原利生さんの新しい力作です。高原利生さんは、2003年以来独自の理論構築を重ねられています。私は2007年秋に初めてその意義を理解し、そのそれまでの高原さんの発表14件全体を収録して、「高原利生論文集: 『差異解消の理論』 (2003-2007) 、論文集解題、論文14編 (高原利生 、2007年12月30日)」というページを、このサイトに作りました (掲載:2008. 3.30)。その後の論文は、つぎのようです。
高原利生: 「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−」、第4回 TRIZシンポジウム2008発表 (2008年9月10-12、ラフォーレ琵琶湖)、(本サイト掲載: 2009. 7.10))
(本稿) 高原利生: 「TRIZという生き方?」、第5回 TRIZシンポジウム2009発表 (2009年9月10-12、国立女性教育会館)、(本サイト掲載: 2010. 9.25)
(最新稿) 高原利生: 「TRIZという生き方?(2)」、第6回 TRIZシンポジウム2010発表 (2010年9月9-11、神奈川工科大学)、(本サイト、後日掲載予定)
本稿で著者は、いままでに蓄積してきたTRIZのものの見方をベースにして、TRIZの精神を深く考察し、「TRIZの精神での生き方」を導き出しています。壮大で緻密な論理構成です。著者の独自の用語がありますが、それに少しずつ馴染まれると、この論理が分かってくることと思います。
本ページはつぎのように構成しています。ご自分で分かりやすいと思う順番で参照下さい。
[1] 論文概要 (著者) 和文 (概要と拡張説明、1ページ) 英文(概要のみ)
[3] 中川による紹介 (「Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2009」からの抜粋) (2010. 2. 4) 英文
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[1] 論文概要
TRIZという生き方?
高原 利生 ( )
概要
TRIZが各種のオブジェクトの変更からなる方法であり、人と制度を含む全分野に適用可能であることを第四回TRIZシンポジウムで示した[4]。中川の「TRIZのエッセンス−50語による表現」を手がかりに生き方を考える。
生きることは価値を実現するオブジェクト変更である。生き方とは、そのための思想と方法である。これらのための認識と行動の基本を、機能と構造という対立物と、機能をオブジェクトの粒度と機能、構造をオブジェクトの粒度(空間的,時間的範囲)と、サブオブジェクト間空間的関係と時間的変化の論理の相互作用からなる三重構造ととらえる。生きること、生き方、理想的な生き方の順に考える。
1.TRIZという生き方?
TRIZは、第一にその「発明問題解決の理論」という名前の示すとおり技術の方法論ではないか?しかしTRIZ自身の経験がビジネス等多様な各分野へ応用が可能であることを示している。それに著者はTRIZが、オブジェクト数や属性数の変化、物理的矛盾、技術的矛盾の解決、オブジェクトの属性の単純な変化の各過程を要素とする一般的オブジェクト変更の方法であり、各領域に適用可能であることを前回示した。
第二にTRIZは「変更の」方法論ではないか?これについてはTRIZの「根本原因解析」は優れた認識の方法であることを示している。
しかし技術以外の分野である人と制度に適用しようとすると、人と制度に特有の課題も明らかにしなければならない。特に、生きることは価値実現のためのオブジェクト変更であり、生き方とは、そのための思想と方法であるという場合の「思想」を明らかにしなければならない。中川の「TRIZのエッセンス−50語による表現」をこの二点でその適用領域を拡張する。 2.生き方
人が生きることは、価値実現のためのオブジェクトの変更と行動である。意図的な変更の場合、目的である機能の把握、オブジェクトの粒度、今後行うオブジェクト時間的変化の論理の把握が必要である。オブジェクトの粒度決定が生き方にとって決定的に重要である。
3.理想的な生き方
生き方の理想解を考える。理想的な生き方とは、絶対的事実だけに謙虚であり、何ものも信ずることなく既存の観念と自己を批判し続け、常に他人と世界の向上に同時的に全力で誠実に努力し続ける事実主義である。
今は、価値の根源が問われる危機の時代と言われる。危機と迷妄を脱するためには、生き方の多様性とTRIZという生き方の集団知の両立が必要であろう。それとも「TRIZという生き方」というのはおこがましいのであろうか?
[2] 発表スライド全文:
和文発表スライド (27 スライド、PDF 241 KB) (公開、変更禁止、コピー許可、印刷許可)
和文論文 (8頁、PDF 336 KB) (公開、変更禁止、コピー許可、印刷許可)
英文発表スライド (27 スライド、PDF 151 KB) (公開、変更禁止、コピー許可、印刷許可)
[3] 論文紹介 (中川 徹)
中川 徹: 「Personal Report of the 5th TRIZ Symposium in Japan, 2009」 (2010. 2. 4掲載) からの抜粋 (英文) ==>
[4] 発表全文 (スライド + トーク + 講演後の補足) [著者作成 2010. 8.22]
今晩は。高原と申します。毎回変な題で発表しています。7年前に会社を退職してから技術には全く興味がありません。ただ弁証法というものには興味があります。
去年の第4回TRIZシンポジウムでの日本の発表ですが、宮内さんというアメンボウについて発表された方が、半年しかTRIZを勉強していないんだけれども、TRIZを勉強してみてこれは「生き方」につながるんじゃないか、という意味のことを言われていました。半年の勉強でそういう理解をされるというのはえらいなと思いました。この宮内さんの発言に気がついたのは発表の題を決めた後だったんですが。
(以下、括弧内は講演に後から補足で追加した部分を示します。付録の説明、議論の内容は文字化していない200910,12)
とにかくTRIZを技術以外のものに広げて考えようというのが、もともとの考え方、出発点です。TRIZというのは、言葉に「発明」というのが入っていてもちろん技術がもとなんですが、ビジネスとか技術以外にもいろいろ適用がされています。
(TRIZはp.9のように一般的表現で表すことが可能ということで、)TRIZというのは、技術だけではなくて、人、技術、制度という全領域の全行為をカバーする統合的思想と方法の可能性があるということが去年2008年分かったということです。そういうことが分かったので、じゃあ、生き方ということにTRIZを適用してみようということです。
中川先生の「TRIZのエッセンス−50語の表現」というTRIZ紹介があります。これは中川先生のホームページにもTRIZ Journalにも載っています。その後半部分に、「弁証法的な思考、すなわち、問題をシステムとして理解し、理想解を最初にイメージし、矛盾を解決する」と書かれているんですね。これをヒントにして生き方というものを考えてみようということです。
こういうと、TRIZという名前を使って生き方を語るのはおこがましいとか、けしからんとかいわれる方がいらっしゃるかもしれませんが、この30分だけご容赦ください。(04:30)
生き方というのは、生きるための思想と方法だととらえていますが、この定義そのものだけでも議論するといろいろあると思います。
(しかし)生きることは、自分を含む事実を、利用するか、運用するか、変更するかということについては皆さん余り意見が違わないと思います。 (この意図的な利用,運用,変更を、差異解消ととらえていますということは、事実とは何か)が問題になります。私の意見では、事実を構成する要素というのは、物と精神と関係だということです。関係というのは扱いが難しいので、ここでは運動というものに置き換えて理解をします。要するに事実を、物と精神と運動と、それの積み重なった歴史というふうに理解をします。(この理解は通常の理解されているものより広くて、現在だけでなく過去の運動や他人の過去の精神の動きまで含みます) (05:27)
技術的システムとか非技術的システムへのTRIZの適用ということが言われていて、( TRIZの世界では)技術以外は非技術というふうに括られるんですけれども、非技術というのは何かというと、私は制度だと思っています。これは二十年来言っていることで、誰も賛成してくれる人がいないのですが、要するに、人間と外界の間に(道具など)物を介在させることによって間接化して物事がうまく動いていくというのが、技術で、それでは、技術以外に物の他に、何を人間と外界の間に介在させて物事がうまくいくかというと、共同観念です、共同幻想といっている人もいますが。(共同観念を媒介にした人の事実との関わりが制度です。これは、政治、経済、法、道徳、宗教、家庭、企業、国家を含みます)
物と共同観念が人と外界の間に入って、人は人たりえたというのがこれまでの人の歴史です。生き方を議論するにはこういった構造が頭に入っていないといけないと思います。
(事実の歴史を作ってきたのは技術と制度という二つの領域です[6] ) (06:50)
事実というものを認識してオブジェクトとして扱うわけですが、ではオブジェクトの種類というのは何かというと、物と「観念」と運動です。(事実の、物と精神と運動のうち、精神が「観念」に狭まります)
事実の全てを認識できないんですね。認識できるもの(要素)がオブジェクトです。では事実の中で何が認識できないかというと、他人が何を考えているかということが私は認識できないです。で、ここで「観念」が括弧で括ってあるのはそういう意味で、観念全てを認識できるわけではありません。他人が発言したものだとか、紙に書いて残したものだとか、観念の中で物理的実体に担われたものは認識できます。また私の観念は私が認識できます(ということにします)。そういう意味で、オブジェクトとは、物、「観念」、運動だというのが、賛成してくれる人がなかなかいないのですが、前から言っていることです。
それから粒度というものがあって、ソフトの世界ではだいぶ流通している言葉ですが、何かのかたまり、物事を扱うかたまり、空間的時間的(及びある抽象度の)かたまりの範囲ですね。重要な概念です。
何でこれが重要かというと、機能、構造を認識する必要があるのですが、このうち構造は普通、内部構造だけが構造と思われています。そうすると間違うんですね。粒度というのは、全体の世界からどれだけの範囲を切り取ってオブジェクトとして扱うかということです、それが粒度ですから、粒度というのは、外部、全体との関係を表しているんです。(構造は全ての関係の集まりですから、粒度と内部構造を合わせて、構造です。また、機能は基本的にオブジェクトの意味をいい、価値、目的のもとになる概念です)
これが今までの私の言ってきたことのおさらいです。(09:38)
いきなり理想的な生き方に移るんですが、理想的な生き方のために必要なことが三つあり、第一は、まず、扱う全ての対象、オブジェクト、またはその種類が事前に網羅されていないといけないということです。
つまり、何かを認識する場合でも(認識することも認識像という対象を「決定」することです)、何かを変更する場合でも、要するに何かを決める場合の対象全てについて、ですけれども――何から認識するか(どういう材料を元に認識するか)、対象(材料)から解を出すためのその対象(材料)には、可能性のあるもの、またはその種類が全て(事前に観念の中に)網羅されていないといけないということです。
(実際にはある意味で)この網羅は、されています。言葉がそれです。何万という言葉があるか知りませんが、海とか川とか名前がついていて認識の対象は言葉で言え、問題は全て言葉で言えるわけです。(解を出すための)変更の方法も言葉で言えるわけです。ですから言葉で対象は網羅されているわけですが、言葉の数は多すぎ、言葉には(ここで必要な粒度の)構造がない。
求めたいのは構造ができている網羅です。これがまず必要です。これで、漏れがなく認識し得る、漏れなく変更のための解を求め得るということになります。(網羅には、事前の要素の種類、つまり型、の網羅―オブジェクトの種類が、物と「観念」と運動からなる― から、その都度、状況に応じたオブジェクトの網羅にいたる階層構造があります。その都度の状況に応じた網羅は具体的に行われるのに対し、状況に関係ない事前の網羅は種類について行われます)注1参照
構造的網羅がされていて、漏れがないということが実現できた後は、 (理想的な生き方のために必要な)二番目は、今言ったオブジェクトの粒度の正しさです。適切なオブジェクトを決める、ということはオブジェクトの正しい粒度を決めてオブジェクトを指定して、どう全体から切り取る、という作業です。(オブジェクトの粒度を決めることは、オブジェクトを具体的に特定することとほぼ同義です。考えることの99%は粒度を決めることです。粒度が決まれば半ば自動的に、といっても場合によっては大変な努力の末でしょうが、その粒度に対応した認識なり解が決定されます。その認識や解は、粒度が正しければ正しいものが得られます。) (11:50)
注1 型
「何か」「領域(事実の変化の仕方)」「変化の方法」などその中からオブジェクトが選択される「もの」を分類して種類に分ける。
型とは、次の要件を満たすそのものの(少ない)種類。
1.統一性:種類毎に「扱い」が異なり同じ種類は同じ「扱い」ができ ,
2.網羅性:種類の集合の和がそのものの全集合を覆う。つまり種類が「そのもの」全部を網羅できている。
特に「何か」という対象(オブジェクト世界)について,要素の組み合わせで,任意のあるものが一意に再構成できる。
そういう型を見つけること。(第4回TRIZシンポジウム「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像 」)
三番目の作業は、定まったオブジェクトなりサブオブジェクトなりを、どういう(関係と論理の)弁証法を使って関連付けて認識するか、あるいは変更の論理を作り解を見つけるかということです。(つまり、これは認識と変更の方法です) (12:10)
(現実の自律的運動は相互作用である矛盾によって起こっています。つまり、人が介入しないという抽象の粒度でとらえた場合、全対象は、相互作用し合い、 運動、変化し、この結果が属性変化のみで終わる場合と、その結果として、オブジェクト数の変更、属性数の変更を起こす場合があります。20091228
一方、現実の意図的変更は一方向の因果関係を利用して行います。このギャップの謎を解かねばなりません。)
p.9のオブジェクト変更の図は、現実の矛盾を総括し、意図的な変更を行うという条件でのありうる変更の型を(二オブジェクト二属性以下という条件でオブジェクト発展の状態遷移をオブジェクトの生成を含めて20091019) 網羅した図です。(14:00)
(この三つの要素;オブジェクトの構造的網羅、オブジェクトの粒度の決定、オブジェクト間の論理と関係を指定する弁証法という全てのオブジェクトの認識、変更を可能とし保証する枠組みに対し、これを具体的にし、あるオブジェクトの差異解消、意図的変更を表したものが、このフローです。昨年2008年に発表したものをやや書き直しています)
(人生であれ、技術であれ、制度であれ)まず現実、目的とその差異を、認識し、抽象的に目的の型を把握します。目的の型とは、目的の種類で、新機能生成、理想化、問題解決のいずれかです。これはこういう形で網羅されています。
次にこれを、オブジェクト変更の型に変換します。
オブジェクト変更の型は、p.9のとおりで、オブジェクト数の変更、属性数の変更、「物理的矛盾」「技術的矛盾」の処理、一属性の処理のいずれかです。
この後に、既存のTRIZのツール――40の原理とかいろいろありますが――がここに入ってきて、オブジェクトの操作と変換の内容を特定します。それからそれが実行されるということになります。
この既存のTRIZのツールをいじるつもりは全然ありません。全くノータッチです。ただ、いじったことは今まで一回だけあって、ホロヴィッツさんのASITのツールの拡張を行ったことがあります。ホロヴィッツさんのASITのツールは当初4つ、その後5つになり、今増えて6つか7つになっていますが、そのツールが不備なので拡張をしたことがあります。それ以外は既存のツールに全く手を加えずそれらを前提として扱っています。
(弁証法の並列同時性を因果関係によって直列化するということが、困難な課題ですが、この直列化は、まず目的の型の特定、目的の型という目的の具体的内容を、形式化してオブジェクト変更の型に変換するプロセス,解を求めるプロセスで行われます。)
要するに、これが生きるという中身を理想化したもので、現実と目的の差異を認識し解消していく中で、変化も含めた扱う対象が構造的に網羅されていて、オブジェクトの粒度が(正確に)定まり、(正しく)弁証法を利用する、という三本柱が具体化されています。
現在はもちろん理想的になっていないわけです。
TRIZには、このうち弁証法は、不十分ですがあります。(これがTRIZが他の手法、思想に比べて圧倒的に優れている点です)
粒度というのは、今まで余り意識されていなくて、言葉でしゃべっていてもしゃべっていることがどういう範囲を意味しているかということが、話す側と聞く側でばらばらなんですね、理解されないということは(殆どの場合、双方の理解する)粒度が違うからです。個々の粒度の処理はTRIZは得意で、処理の方法そのものはそろっていて、オブジェクトの分割だとか併合だとか、9画面法だとかありますが、粒度を決めるもの(基準、原理)がない。
TRIZの粒度選定と構造的網羅の方法は不十分です。 これが何か別の思想なり方法にはあるかというと、どこにもないと思いますが。まあ、それを何とかしようと思っているということです。
(生き方に限定せず話してきたわけですが、)まとめて単純に言うと、「TRIZという生き方」には、弁証法はあるが、オブジェクトの構造的網羅と粒度選定の原理はない、というのが一応の結論です。 (19:20)
去年の私の発表をみられた方は分かると思うんですが、そうでない方は突拍子もないことを言うと思われると思うんですが、TRIZというのは、オブジェクトの変更(変化を修正)の型から見るとその全体像はこうなんだということです。多分、技術的矛盾とか物理的矛盾をご存知の方は、(この9ページの図は)違うんではないかと言われると思うんですが、今日はこの内容説明に立ち入る暇はありません。要するにTRIZというのは、オブジェクト数の変更、属性数の変更、一属性の変化、技術的矛盾と物理的矛盾の処理という、4種類だか5種類だかの処理が全てだと理解したということが、去年2008年に分かったことです。
このオブジェクト変更の図は、現実の矛盾を総括し、意図的な変更を行うという条件でのありうる変更の型を(二オブジェクト二属性以下という条件でオブジェクト発展の状態遷移をオブジェクトの生成を含めて20091019) 網羅した図です。
矛盾を総括し、因果関係によってオブジェクトを変化させるに当たって,矛盾の運動の結果と知見を利用するのです。
TRIZがすごいと思うのは、一つの属性の二つの値の処理を、物理的矛盾を解くということで処理をして、二属性の処理つまり二つのオブジェクトのそれぞれの属性または一つのオブジェクトの二つの属性の同時満足 (この二つの違いは扱う粒度の差です)を、技術的矛盾を解くということで処理をするということを見つけたということです。これはTRIZの驚嘆すべきすごさだと思います。
(「ある面を改良しようとすると、別の面が悪化する」という「技術的矛盾」を、一オブジェクト二属性の二値または二オブジェクト二属性の二値の同時満足すべき状態と形式化し、「一つの面に対して正逆の互いに反する要求が同時にある」という「物理的矛盾」を、一オブジェクト一属性の二値の同時満足と形式化するよう解釈しなおし形式化して結果的に拡張しています)
技術的矛盾で解くか、物理的矛盾で解くかという議論がありますが、私は両方必要だと思うようになりました。以前は物理的矛盾のほうが重要だと思っていたんですけど。
(この他の処理は、
オブジェクトの数の変更
属性の数の変更
一属性の一つの値の変更
ですが、これは比較的簡単です。といっても、物理的矛盾、技術的矛盾の処理の他にこの三つの変更の型があることを忘れないほうがいいと思います。この中で、属性数の1から2への変更である属性分割からオブジェクト数1から2への変更であるオブジェクト分割に至る道は、制度において歴史的発展において実際の矛盾を総括し解決する殆どを占めてきました。
なお念のため言っておくと技術的矛盾、物理的矛盾は現実の実際の矛盾ではなくそれを拡張した概念です。
また、この図は、オブジェクトの発展を示しているように見えます。事実、発展を検討する中でできたものです。これが変更の論理であることは、これ自体、弁証法における「歴史的なものと論理的なもの一致」という点から興味深いところです。事実、同じオブジェクトでもとらえる粒度を変えると、項が移行します。 )
これが、全てのオブジェクトの認識、変更を可能とし保証する枠組みです。 )
(以下昨年2008年の講演より:
2007年にやったのは,一オブジェクト以内の場合のオブジェクト変化の型というものを探って,私の言っている差異解消といっているものの構造が見えてきたと私は思っているんですけど,今年やったことはこれを二属性,二オブジェクト以内にゆるめて検討したのがこれです。(属性の数とは,8ページ2.2項 オブジェクトの構造の「属性2」の数のことです)
右の黄色いところは,オブジェクトの数が変化する。オブジェクトが,ゼロオブジェクトから一オブジェクトに変わる。一オブジェクトから二オブジェクトに変わる。
真ん中の茶色は,属性が分割するとか併合するとかで,属性の数が変わる。 (属性の数とは,前のページ2.2項の属性2の数のことです)
一番左側は,属性の変更です。(ここでいう属性は,前に述べた2.2項の属性2(これは、属性3,属性と値,量と質を含む)と内部構造です。したがって構造変化も含みます。これが重要なことです))こういう階層構造になっています。 (19:20)
「TRIZという生き方」には、弁証法はあるが、オブジェクトの構造的網羅と粒度選定の原理はない、というのが(ここまでの)一応の結論です。
以下はついでに、Ideal Final Resultというのがありますがそれをもじって、Ideal Final Way of Lifeを考えてみようということです。
四つありまして、一つは、変化を求め続けるということです。これはTRIZの考え方なり方法の根底に、惰性の思考を廃する考え方など、強力にある考え方だと思います。要するに結果が大事なのではなくて、変化し続けることが重要だということです。理想的な状態というのはないわけです。理想的な生き方のためには、理想的な状態に達して終わりということはなく、だから、変化させ続けるしかない、そのためには変化をもたらし続ける思考態度 もいるし、 変化を直接扱う方法もいる、これは「できれば」ですけれども、いるわけです。私が前に述べたフローというのは、偶然ですけど、変化を扱える、逆に変化しか扱えないものです。これは話が長くなりますので次に行きます。 (21:00)
二番目のIdeal Final Way of Lifeというのは、では、その変化を続けるためには、既存の枠組みと自己についての態度をどう変えないといけないか ということです。
これも究極の理想像を話しているということで聞いて欲しいのですが、
(一つは) 判断のための入力情報を常に検証し続け、場合によっては相手に検証を求め続け、行動結果の検証をし続けるという態度が必要ということです。やりっぱなしはだめで、インプットとアウトプットの検証を行う必要があるということです。
それからその次は、 これ自体矛盾で、なかなか解けない問題です。事実は、今までの宗教的観念を含めた膨大な蓄積を持っているわけです。この膨大な他の既存の観念、目的を含む事実を全て一旦謙虚に許容し受け入れる、同時にこれら既存の観念と自己の観念を信ずることなく、 それを全て相対化し批判し続けるというのは矛盾です。しかしこの矛盾の解決を理想的にはしなければならない。 (22:35)
では、何をその相対化、批判の対象にするかというと、前に「理想的な生き方」を述べたことと関係しますが、
まず網羅性というものを相対化、批判する。網羅と言ったって、全体像が分らないわけですから本来は網羅のしようがないわけです。世の中は変わり続けているわけだし。重要さの順に網羅しようと言ったって何が重要かもわからないし目的だって何が大事かということは分らない。(だから現実の網羅は、私の行っているものを含め必ず間違っています。20091229) でも網羅しなければならないんですね。正しい結論を出すためには。
(次は)粒度の批判です。現実の粒度は、基本的にまず間違っていると思っていいですからこの批判し続ける。
(三番目は)既存の観念、TRIZも含めてです。私自身はTRIZを批判するつもりは全くなくて十分謙虚に受け止めているつもりですが、一般論から言うと、既存の観念全般の相対化と批判をし続ける。
特に宗教とか、何々主義の教条ですね。宗教というのは基本的に何かを信ずる態度ですね。ここで宗教を批判するつもりはないですが、何かを信ずるというのは、ここでのIdeal Final Way of Lifeには全く違反しますね。何かを信ずるということは全くしてはいけない。だから宗教はだめだというのはなかなか言えなくて、宗教に反対するといっているマルクス主義でも似たようなものでね。例として、弁証法の教科書が挙げてあります。皆さんは弁証法の教科書を読んで分りますか?私は読んでさっぱり分らないんですね。三つ法則があって、などというのは全くおかしい。(宗教も)マルクス主義も教条を廃して取り組まねばならない。 (そういうものを)教条を廃して批判し続けなければいかない。
(新約聖書の「ヨハネの第一の手紙」について、 「ヨハネの第一の手紙について 」として高原利生のホームページに公開しています。
また、 既存の弁証法の「間違い」と思えるところを「弁証法ノート」として高原利生のホームページに公開しています。これはノートで、本当はまだお見せするようなものではないのですが。いずれもかなり長いので恐縮です。またホームページのリンクの張り方がうまくないのでみづらく恐縮です) (25:00)
以上は、物事を対象化してみるという見方なんですけれども、もう一つの相対化、批判の対象は価値です。価値には、一体化してみるという立場も入ってきます。これを見直し続ける。
何が価値かというのは、今までの既存の観念を時間をかけて見て総括してでき上がっていきます。それが具体化されて目的になります。
ここに書いてあるのはとりあえずの私の総括です。(この項だけ、今までの価値観を批判した結果ですが、これも批判、相対化の対象になります)
中粒度での客観的価値として、生命の数、愛、自由、自然負荷ゼロ、が挙げてあり、主観的価値として謙虚さ、誠実さが挙げてあります。これは高原が勝手に言っていることです。人類全体の(最低限共有すべき)共通項を見つけなければいけないと思いますが。
この中の「愛」は、対象化を離れて一体化に関係しています。(愛を、他との一体感と他のための努力ととらえています) お前に愛など聞きたくないと言われそうなのでこの辺にしておきます。 (26:50)
まとめですが、人、技術、(技術以外といわれている)制度の全領域の全行為に適用可能な統合的思想と方法は必要で、TRIZにはその可能性があります。(p.9のTRIZの全体像はそのことを示しています。このことが「生き方」の前提です) 特に弁証法があります。不十分な点は
・方法が統一されてないこと、だから私などがあれこれ言っているわけです。
・構造的網羅がないこと、特にオブジェクトというのはものだというのは、何ということかと思います。
それに、
・粒度設定方法論がないことです。じゃあ何にあるかといわれるとないと思いますが。それに、 Ideal Final Way of Lifeを考えてみました、ということです。
(「生きる」という内容、機能があり(2)、次いで、その実現の方法、構造がある(3)がこの正しさは(2)が正しいことの必要条件であり、価値を含めた既存観念の相対化、批判を行い続けることが、もとの内容(2)の正しさを保証するのではないか(4)。これがこのまま一般化できるものかそれとも「生きる」という特殊な内容に限定して導かれたものか分りません。20100101,10,12,13,14,15,17,18,0220,0507,12))
この後に参考文献、資料がついています。 (28:40)
付録
(以下昨年の講演より)
この階層構造とTRIZの40の原理を対応させてどうなっているのかということを書いてみると,こうなります。(概要ですが)長いので一枚に書けず二枚に分かれています。
(技術に限定せず全ての領域に適用すべきものとしてこの表が得られたということが重要です。
TRIZの40の原理の再整理を
オブジェクトのプロセスオブジェクトとシステムオブジェクトの両方への読み替えを徹底的に行い、
分割,排除,併合の対象をオブジェクトと属性の両方に読み替え,
属性を,狭義の属性と内部構造とする視点で再解釈をする
という前提で行っています)1)項のオブジェクトの数の変更,0から1,1から0というのは,仲介原理と排除原理。
それから2)項の一つのオブジェクトの処理というのは,去年2007年にやったんで簡単だろうと思っていたらこれに一番難しくて苦労したんですが,結論を言うと,ご承知の「物理的矛盾」,一つの属性に二つの値があるのを分離をしますね,TRIZでは。これが一つの矛盾の解決です。
(分離できない「物理的矛盾」は実際に運動します。目の前の現実の「物理的矛盾」は運動しているか運動を始めるかします。対立物が分離される場合というのは,まさに一対一の直接的な相互作用と見えたものが実はそれが一対一の直接的な相互作用以外の相互作用だったことを表しています。
分離できない「物理的矛盾」が運動してしまう場合を除いて,その解決の行為自体は矛盾の運動ではなく,意識的な因果関係の利用行為です。)それから,(223)項と2332)項の)属性の変化,これはたくさんTRIZの40の原理の中には入っています。(ここでいう属性は,前に述べた2.2項の属性2と内部構造です。したがって属性変化に内部構造変化も含みます。これが重要なことです)
それから,属性がなくなるというのは排除原理。
3)項のオブジェクトの数の変更,1から2,2から1というのは,比較的簡単でして,一つの属性が二つに増えるのは,汎用性原理(実は,典型的なのは汎用性原理であるが,属性,機能が増える原理は他に,セルフサービス原理等,数多いです。属性を属性2ととらえると,属性2はオブジェクトの外に対する機能に対応しています),二つの属性に分割されるのは分割原理。
二つの属性が一つになるのは,二つの属性のうち一つがなくなる分離原理と排除原理,二つが一つになる併合原理です。これは比較的簡単です。
(それから,今,目の前に,一オブジェクトの二属性があるとして,これに何が起こりうるかを考えると,一つは,属性が変化しないことです。この場合,属性が一つであろうが二つであろうが同じですが,存在や運動は続いていくということです。したがって二属性が変化しない場合は,人が何かを必死に行ってそうなっていようが人が何もしない場合であろうが,運動は続いていきます。直接の一対一の相互作用の場合,矛盾という運動を可能にする形態が作られているということになります。
もう一つは二属性が同時に変化することです。ここで一属性のみまたは一属性づつ別々に変化する場合は2)項のケースです。
そもそも本表の重要な点であり欠点でもあるのは,オブジェクトの発展と視点が混在していることです。
この二属性の同時変化は,二属性の非質的同時変化と二属性の質的同時変化に分かれます。この属性の非質的変化とは,2.3項で示したように,属性の量または構造が変化するがオブジェクトに質的変化をもたらさないことです。質的変化とは,属性の量または構造が変化してオブジェクトの質的変化をもたらすことです。)
この4)項の二つの属性の変化が同時に起こる場合は,一つはいわゆる「技術的矛盾」です。
(これは,二オブジェクトのそれぞれの属性と一オブジェクトの二属性の両方に起こります。そして, 「技術的矛盾」 は厳密な意味では矛盾としては扱われない相互関係の場合を含みます。
それから今までTRIZであまり扱われていないのが,二つの属性を質的に変化させるということです。先ほどの商品の場合の,使用価値と交換価値の,次第に別のものに変わっていくという例がこれに当たりますが,これはTRIZには余りなかったんではないかと思います。
5)項のオブジェクト数の変化,1から2へ,2から1へというのは二種類あって,オブジェクト数を1から2にするのは分割原理,オブジェクト数2から1は,片方が消滅する排除原理と,二つが一つになる併合原理です。)
(ここの分割原理による分割が,最終的に矛盾を解決することが制度には非常に多いです。今の複雑な制度の全ては,水平/ 垂直,地域的/ 時間的な様々な形態の分割の結果です。
また,この併合の場合には,発展的解決または消滅的解決による運動の消滅が含まれ,いったん今までの運動を総括して一つになるけれども,新しくこれから前と違う発展を始めるための一段階になり,前とは別の二つのオブジェクトに分割しなおして新しく発展していくというケースも制度には非常に多いです)
(6)項は二つのオブジェクトの二つの属性の場合で,勝手に4)と同じとしていますが,未検討です)
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最終更新日 : 2010. 9.23 連絡先: 中川 徹 nakagawa@ogu.ac.jp