TRIZフォーラム: 読者の声
「学び (Learning)」偏重から、「創り(Creation)」の重視へ

弓野憲一 (静岡大学名誉教授、日本創造学会会長)、
小冊子 「恩田先生を囲んでの新春座談会」(日本創造学会、2011年 6月) の抜粋

責任編集: 中川 徹(大阪学院大学 名誉教授)

掲載:  2012. 7. 3

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  編集ノート (中川 徹、2012年 6月26日)

私はこの4月に書斎の整理をしていて、たまたま、日本創造学会発行の小冊子 「恩田先生を囲んでの新春座談会 (2011年1月)」 を、再読しました。その2時間、十数名の座談の中で、最後の方に弓野先生が話されたことに、非常に感銘を受けました。弓野先生と日本創造学会の許可をいただきましたので、その部分だけをここに掲載させていただきます。(本ページのタイトル、およひ文中の太字は中川)

また、弓野先生には、第8回日本TRIZシンポジウム2012で、特別講演をしていただけることになりました。感謝いたします。


  小冊子 「恩田先生を囲んでの新春座談会」(日本創造学会、2011年 6月) の 部分再録

  弓野:

ちょっといいですか。ここ20年来考えてきた話をします。なぜ日本に創造性教育が根付かないかに関することです。

現場の教師にとっては、「学び」は100%OKなんですよ。「創り」ではなく「学び」 が全てなんです。アメリカ、ヨーロッパでは、学びの場と創りの場を別に設けて、両方の教育があるのです。ところが日本の場合、学びが九十パーセント以上を占める。アメリカやヨーロッパの教育には創りの場が入っている。

どこが違うか。最近になって僕はやっと気が付いた。結局ですね、自分の意見を出すかどうかがその違いの本質なんです。

自分の意見を出すと間違いが一杯出てきます。最初に考えたものを検証すると間違いがでてくる。次もまた間違う。さらに間違うということが起きる。人が自分の意見を出すと、次々に間違いが起きてくる。すなわち、創りは初めから間違いを含んでいる。しかし教科書や論文等からの学びは、正しく理解すれば間違いがない。

次は議論がなぜ必要かを話します。日本の教室にはほとんど議論がありません。なぜ議論が必要なのでしょう。

議論は時間がかかりますし、悪くすれば、相手を傷つけてしまいます。しかし、学問や科学を創るためには、「議論」が必須なのです。ある人が問題解決に関する1つのアイァアを考えついたとします。別の人は少し違うアイデアを考えついたとします。どちらが正しいかをどのように決めればいいのでしよう。この正しさを決めるために第三者も含めた議論が必要なのです。議論の中で、いろいろな研究者がたくさんのアイデアを出して、これがいいのか、あれがいいのかと議論する。これを長くやると、本当の意味で信頼できるアイデア(理論等)が確定される。

この過程を「創り」と呼びましよう。この創り過程で産出された優れたものが創造的な産物なのです。

このように考えると、日本の学校・大学教育に、多くの創りの場を設ける必要がある。日本が学問・科学で世界のリーダーになるには、学びの場は70%でいい。残りは創りの場が必要です

アメリカの大学の例をあげましよう。息子が今ちょうどアメリカの大学にいます。教授は授業で取り上 げる本と論文を決め、まず本を読め、そして論文を読め、と求めてくると聞きました。それで日曜日に も必死になって宿題をやっています。そして講義中に、「おまえはこれをどう思う?」聞かれるといいます。そうすると、テキストの理解に終始する日本の学校の学びでは足りない。本や論文のオウム返しをすると、「そこ書いているじゃないか」「誰かと同じじゃないか」「何か問題がないのか」と畳みかけてきいてくるときいています。当人は必死になって、新たな展開を考えざるを得ない。これが創りの場に当たります。

日本の教育に、まず創りの場を導入して、その中で創造性の育成を考える必要がある。

伊東: 

学びの場、創りの場の間に考えの場を入れなければなりません。創る前に、なぜかを構想する考えの場を学びの次に入れる必要がある。

  弓野:

すみません。少し違います。創りの場の中にそれが含まれている。

創造もそうなんですが、アイデアを出して、検討して、議論して、その後に、構想したものを作る。ところが学びの場は正しいものが決まっている。それで議論は必要がない。

そんな訳で、われわれが日本の教育を変えようとした時に、はっきり学びの場と創りの場の区別しなければならない。その比率は、先進的な大学・大学院では50対50でいいと思う。学びの場は宿題として本と論文を読み、まとめさせるといい。

コーネル大に行ったときのことです。学部の授業であっても、教授は一つひとつの本のトピックや論文の詳しい説明しません。学問の流れを説明する。これがこういうふうな問題意識で研究され、次にこういうふうに研究が進み、現在はここに達している。それじゃあ、「何が問題となる?」と学生にきく。ここに創りが入っている。

もちろん学部の学生は、最初は教授の言っていることの意味がよくわからない。ところが、教授はちゃんと授業を工夫している。学部学生の授業内容の理解を増すために、博士課程の学生が、「教授がおっしゃつているのは、こういうことですね」とか、「この理論の意味は、こんなふうに理解していいですね」とか、易しいサクラ質問をする。大学一年生が分かるような形で、確かめや質問の仕方を教育する。それは最初の内はギコチないが、五回、六回続くと、一年生も質問や意見や確かめをやるようになる。アメリカで、このような授業にめぐり逢った。

われわれが「創りを奨励する授業」を作らないと、より多くの人に独創性を育てることはむずかしい。たくさんの人が創りの場を体験する中で、自分の意見を積極的に出さない限り、どうしても、先進国のまねになっちゃう。真似では、新しい目標、新しい文化、新しい価値を自分たちが作れませんので、グローバル化した世界の中の競争に負けてしまうことが起きる。

恩田: 

今ね、先生の話に僕も共感をもって聞いていたけれども、創造性の教育について、僕は全国を走り回って、いろいろ研究指導してそれを研究発表して、何かしてみて、終わる。学校教育の場というのは同じテーマが長く持続できない。変えてしまう。新しいテーマに移ってしまう。

だから、要するに、考えの場、創りの場がなくて、学びで終わってしまう。だから、そういう面で長く続けられないじゃないでしょうか。

  弓野:

もう一点付け加えます。学校教育における創造性教育は、どうしても、教科書の内容に取り組まないと、後の世代に残すことがむずかしい

アイデア・マラソンは、すぐれたアイデアを子どもに生み出させるいい方法ですが、教科内容にかかわらないと、すぐに廃れる。
60年代、70年代の学校における創造性のブームは、教科書の内容に深くかかわらなかったため、一過性のブームで終わった。

それでまず教科内容があって、その教科内容を通して、創造性をいかに伸ばすかを体系的に考えないと、創造性教育は長続きしない。教科書の内容との絡みで創造性教育の研究と実践をやっていけないとだめなんですよ。そうしないとブームが起こるけど、教科との絡みで、本当の意味での「創りの場」がなければ、短期間で消えてなくなる。


  編集ノート後記 (中川 徹、2012年 6月26日)

以下には、2012年 4月29日に、中川が弓野憲一先生に差し上げたメールの一部を収録しておきます。

日本創造学会  (事務局気付)  弓野 憲一 先生

                                                   2012. 4.29   中川 徹

突然で恐縮ですが、メールをさせていただきます。
最近書斎の整理をしていまして、たまたま、日本創造学会発行の小冊子 「恩田先生を囲んでの新春座談会」(2011年 6月)を、再読いたしました。
沢山の有益な情報がありますが、その中で、最後の方で弓野先生が話しておられる点が非常に印象強く思われました。以下に、私の感想と、お願いを記させていただきます。

(1) 最も共感しましたのは、先生が20年来考えてこられて、「最近になって僕はやっと気が付いた。結局ですね、自分の意見を出すかどうかがその違いの本質なのです。自分の意見を出すと ・・・」と話しておられる所です。

(2) 私も、今春での大阪学院大学退職にあたって 14年間の「まとめ」を書きました。その中で、「創造的問題解決の思考法」をいろいろ研究・教育してきたことの記述の中に、1年生のゼミナールでの (一般的な)教育のことをわざわざ 節を設けて記述しました。このゼミは、『7つの習慣 ティーンズ』を教材にしたもので、行動・思考の習慣を学び・考える、特に主体性の確立を目指すものです。
この「主体性の確立」が、(TRIZの教育・普及などを含めた)「創造性の教育」の前提なのだ、というのが 学生たちのレポートを添削指導しながら辿り着いたことです。そして、学部学生にとっての「主体性」の中で、「自分の意見を出す」というのが、やはり最も大事なことで、ほとんど全くできていないことだと、思いました。(このレポートの実践記録、学生レポートとそれに対する中川コメントなどを、『TRIZホームページ』に掲載しています。)

(3) 「学びの場」の時間を削って、「創りの場」を学校教育・大学教育の中に作らないといけないのだ、というのは本当にそうだと思います。

(4) 弓野先生がもう一つ言っておられる、創造性教育を「教科内容の中に、教科書の内容に関わって」しないと、長続きしないのだ、という点も、そのとおりだと思います。
大阪学院大学でも、私の退職後に、私が始めた講義を引き継いでいただける先生を作れなかったことが、悔まれます。
もちろん弓野先生がおっしゃっていることは、日本の学校教育全般、大学教育全般に関わるスケールで話しておられることはよく分かります。

(5) 今、日本TRIZ協会にとっての大きな問題意識は、日本のTRIZのリーダの多くが、団塊の世代の (元) 企業人であり、企業内のより若い年代の人たち、また大学や学校教育への普及があまり進んでいないことです。今年 9月のTRIZシンポジウムで、「若者向けのTRIZ」「若々しいTRIZ」を模索する試みを議論したいと思っております。

(6) 日本創造学会は (TRIZ協会よりも) ずっと長い歴史を持ち、より広い学術領域をカバーし、また学校・大学教育のメンバーを多数持っておられますから、私たちTRIZ協会が学ばせていただくべきことが沢山あると思っております。


編集ノート (中川 徹、2012. 6.24)   参考文献

参考文献 「PDF-Book: 学びと創りの心理学」 弓野教育研究所ホームページhttp://dyumiken.com/ より

 

本ページの先頭 弓野憲一 座談会発言記録 中川 編集後記 TRIZシンポ2012特別講演 弓野研究所ホームページ   英文ページ

 

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最終更新日 : 2012. 7. 3     連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp