TRIZフォーラム: 
教育実践報告: 1年次ゼミナールでショーン・コヴィー著『7つの習慣 ティーンズ』を学ぶ (その4)
学生レポート「ゼミで、学んだこと、考えたこと」とコメントの精選集 (2011年度)

大阪学院大学 情報学部 ゼミナールIB 中川ゼミ  学生 9名

コメントと編集: 中川 徹 (大阪学院大学 情報学部)、2012年 2月 1日

掲載: 2012年 3月 6日
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編集ノート (中川 徹、2012年 3月 1日)

一昨年の初めから、「教育実践報告: 1年次ゼミナールでショーン・コヴィー著『7つの習慣 ティーンズ』を学ぶ」という一連の報告をしてきました。第1報 (2010. 1. 3) 、第2報 (2010. 3.11)、第3報 (2011. 3.13)。今回はその第4報にあたります。これらのページの構成の概要はつぎのようです。

本ページは同じ1年次ゼミナールでの、今年度の学生たちのレポート (原文のままのものと添削後のものを含む) の精選集で、各レポートについての中川のコメントをそのままの形で記録しています。この報告の趣旨を、繰り返しになりますが、簡単に説明しておきます。

(1) この1年次後期のゼミナールは、「読み、書き、考え、発表する」基礎訓練を目的とする全学統一のゼミナールですが、教材ややり方は各教員の判断に委ねられています。今年度は中川は 1クラス(12人) を担当しました。

(2) 中川は、2008年度からこの『7つの習慣 ティーンズ』を教材として採用しました。ゼミ (90分) では、学生諸君に順番に半頁〜1頁半を音読させ、「ここの記述をどう思う?」という質問から、討論していきます。ところどころを端折りながら各回 20頁程度進み、14回でちょうど完了します。 ただし今年度は、海外出張と健診のために2回休講し、その補講を夕食会での討論の形で行いました。

(3) 「書く訓練」を重視し、(一昨年度は3回でしたが) 昨年度・今年度は4回のレポート提出を課しました。「ゼミで 学んだこと、考えたこと」が共通テーマで、「感じた、思った」という「感想文」ではないことと指示しています。各学生のレポートを読み、その主要部を添削し、また書き方について、書いた内容について詳しいコメントをしました。

(4) クラスの全学生のレポート(全文)をまとめた「レポート文集」と、全学生分の「コメント集」とを毎回作り、学生にフィードバックしました。みんなのレポートを互いに読むこと、また、それぞれに対する中川のコメントを読むことが、1対1の指導よりもはるかに有効だと考えたからです。この趣旨はゼミの最初に説明して、学生諸君の了解を得ています。

(5) レポートの指導は、第1回、第2回あたりは文章の書き方の添削が中心ですが、後になるほど、中身の議論が主になります。本の内容の理解を求めるより以上に、本の著者の記述を自分がどのように考え、自分自身の考え方や生活を省みて記述することを求めました。「評論家的な、当たり障りのない文章」 を書いたレポートに対して、もっと内実のあるレポートを書くように再提出を求めたこともあります。

(6) 今回、学生諸君の了解の下に、学生諸君のレポートとそれに対するコメントを、できるだけ生の形でまとめて、教育実践の報告としてここに掲載しております。今年度は、学生諸君のレポートの2/3程度の部分を選択して掲載し、中川のコメントをそのままで掲載しています。学生諸君が何を考え、何に悩んでいるのか、またゼミで何を学んだのかを、学生諸君の文章で掲載しておくことが、よいだろうと思った次第です。

(7) この文集を編集するにあたって、昨年度とほぼ同様で、つぎのようにしました。
   ・ 学生たち自身の文章 (黒字) と、それに対する中川のコメント (青字) とを組にして、ここに載せる。
   ・ 各自のレポートの全文を掲載することはできないので、一部分を省略して中川がコメント集に選んだ部分 (それをさらに選んで) を載せる。
   ・ 初回や第2回の提出レポートでは、文章が稚拙な点があり、その文意を保って中川が添削した形 (すなわち、コメント集での形) で載せる。添削の程度はいろいろであり、随分大幅な添削の場合から、微小な添削、あるいは添削なしの原文のままの場合まである。添削の程度を、添削文/少々添削/微小添削/原文として明示する。
   ・ 学生各人のものを一箇所にまとめる。テーマごとに見るよりも、学生の心の変化が読み取れるからである。
   ・ レポートを提出した学生全員について掲載する。現在の学生諸君の気持ちを理解するのによいと思う。順不同。
   ・ 小見出し、太字、微小の補足 ([ ]内)、小規模の中略(■)、大規模の中略 (■■) などで、コンパクトに読みやすくした。
   ・ 学生たちの名前は明示しない。ただし、著作権があるから、イニシャルで示す。
   ・ 中川のコメントのうち、文章の書き方に関する項目は●印を付す。その他の項目は○印とし、文章の内容、理解のしかた、考え方など、全体的なコメントをしている。 

なお、『7つの習慣 ティーンズ』 の主要目次は以下のようです。

-  「習慣」の意義
-  パラダイム と原則 -- (思いこみと自分の考えの中心) 
-  ボクのワタシの「自己信頼残高」  -- (自分自身への約束を守り、自信をつけていく)
- 第一の習慣: 主体的に行動する -- (自分で判断して行動する、自分自身をコントロールする)
-  第二の習慣: 目的を持って始める -- (自分の未来、ありたい姿、自分の才能を考える、自分のミッション・ステートメントを書こう)
-  第三の習慣: 一番大切なことを優先する -- (生活時間の管理の考え方、緊急性よりも重要性、快適ゾーンから勇気ゾーンに飛び出す、意思の力で選択する)
- 人間関係信頼残高 -- (人からの信頼をこつこつ築く)
- 第四の習慣: Win-Winの考え方 -- (勝ち負けにとらわれない。自分も勝ち、相手も勝つ。)
-  第五の習慣: まず相手を理解してから、次に自分が理解される -- (心から耳を傾ける、真のコミュニケーション)
- 第六の習慣: 協力から生まれる相乗効果 -- (違いを認めて、益にする)
-  第七の習慣: 自分を磨こう -- (身体、知性、感情、精神を定期的にリニューアルする)

なお、各人のレポートとコメントをクラスの全学生にフィードバックすることについて、当初は学生にためらいがありますが、実際に始めてみると非常に有益だと理解してくれます。この点に関して学生の気持ちを書いた代表的な例は、今回の TU 君の第4回レポートの記述を参照ください。

 

本ページの先頭 (2011年度) YI君のレポートとコメント HO君 TI君 TM君 TN君 YM君 TU君 RK君 RT君 編集後記 英文ページ (親ページ、2010.1)

 

教育実践報告親ページ(1) ゼミナールIBの趣旨 ショーン・コヴィー著『7つの習慣 ティーンズ』 ゼミでの「7つの習慣」の指導 学生のレポートへのコメント例 学生15人のレポート集(2009年度) 中川 徹のミッション・ステートメント 学生レポートとコメント(2010年度、火曜クラス) 同 (2010年度、木曜クラス) 編集後記   英文ページ

 

ショーン・コヴィー著 (キング・ベアー出版)
『7つの習慣 ティーンズ』 を読んで

このゼミで、学んだこと、考えたこと

学生のレポートと中川のコメント (精選集)

大阪学院大学 情報学部 ゼミナールIB  中川ゼミ?学生 9名
コメントと編集: 中川 徹 (大阪学院大学 情報学部)

2011年度後期  (2011年10月 〜2012年3月)


YI 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

YI 君 [第1回] [添削文]

この『7つの習慣 ティーンズ』を読んで、自分は納得する部分もあれば、少し考えさせられる部分もあって、面白いと感じました。というのも、この本は人の習慣という人間の行動基盤・土台について、分かりやすく書いているからです。望ましい7つの習慣と同時に、その反対の「7つの悪習慣」も取り上げている説明が面白いと思いました。

人が理解したり、行動したりするときの大元の原理は、何事に対しても2つに分けられていると、自分は思ってきました。例えば、男⇔女、生⇔死、陰⇔陽、 善⇔悪、・・・などです。だから、人が考えたり行動したりするときには常に、物事を二者択一で考え、それを繰り返して枝分かれした判断で実行しているのだ、と自分は考えてきました。それは、自分の中で、ある程度、固定観念になっていたかもしれません。

ですがこの本を読んで、自分は「パラダイム」(固定観念) という概念と、「パラダイムシフト」の必要性を学び、(まだわずかですが) 自分の中の「パラダイムシフト」という現象に出会いました。物事に対して、正か反かのどちらかだけでなく、第三者視点で考えられるようになると、すべての物事を面白いと感じるようになりました。この本を何回も読み返している内に、正/反、善/悪という単純な理解でなく、様々な答え考えが自分の中で生まれて来ているように思います。このような考えができてきた今、日常が以前より充実している感じがあります。恐らく、この本を読んだ人はそれぞれに何かの答え考えを作っていくのだろうと思います。今後、自分でもよく考えて行きたいと思っています。

● YI君が言いたいことは、全体としてよく構成されていると思います。

● ただし、文章をもっときちんと区切り、一つ一つを明確に述べて、それを積み上げていくようにするとよい。読点「、」を入れること。文を続け過ぎずに、文を分けて、明確に句点「。」を入れること。上記の添削を参照。

● たらだらと続けると、どうしても言葉足らずで、言うべきことの一つ一つが曖昧になり、論理が飛んでしまいます。第二、第三段落での添削例をよく検討下さい。

● この文章は、第二段落が本を読む以前の自分の考え、第三段落が本を読んで自分の考えが変わってきていることを書いています。本を読む前を明確に過去形で書くことが大事です。第三段落は、(英語でいえば)現在完了形と現在形で書くことになります。そして、最後は、今後のこととして、未来形 (あるいは現在の意思を示す形)で書くことが大事です。

○ 二者択一の考えから、より高度な、第三者視点での考え、状況による変化を認める考えに進んでいっていることは大事なことと思います。この本を読みながら、単純な善悪論でない、単純な道徳論でない考え方を感じ取っていることは、素晴らしいことだと思います。

YI 君 [第4回] [添削文]

第4の習慣での「WIN-WINの考え方」とは、WIN-LOSE (自分が勝って、相手が負ける) や LOSE-WIN (自分が負けて、相手が勝つ) のようにどちらか一方が負けるのとは違い、自分も相手もどちらも勝つというシステムやり方である。

私は、勝ち負けがあってこそ、人と競い合ってその勝利の気分を味わい、また、負けて初めてそこから貴重な経験という知識体験を得られるのだと思います。私はWIN-LOSEやLOSE-WINの経験はありますが、WIN-WINは今まで生きてきた中で一度も体験したことがありませんでした。そういう経験からして私は、WIN-WINとは、誰しもが望む理想だが実現不可能なものだと思う結論にいたりました思っています。

第5の習慣において、「相手を理解してから、次に自分が理解される」とこの『7つの習慣 ティーンズ』は書いていますが、私もそのとおりだと思います。

人は相手の意見や話を聞く際に、ただ相槌をうって上の空で聞いていたり、相手が話していることの端々で自分に関心があることだけを選択的にとらえて聞いたりするパターンがあります。私は、相手や場合によってパターンを変えていますが、どのパターンの場合でも、相手の話を最後まで聞いてそこから自分に置き換えて考えてみると、少し聞いてすぐに相手に意見するよりも、相手を理解できてより親身に話すことができます。だから、相手が話す際に、聞き手は先ず相手のいうことをきちんと (あるいはじっくりと) 聞くという姿勢を持つのがよいと思います。

● YI君のこの文章は、書きなぐっただけで、一つ一つの文が意味を成していないことがほとんどです。上記に示すように沢山の添削をしましたが、まだ、本当に (YI君が言いたい) 何らかのことをきちんと書けているとは言えません。

○ このゼミでは、「文章をきちんと書く」というのが、基本のトレーニングでしたが、残念ながらYI君はそのトレーニングを本気でしなかったように思います。今後、そのようなトレーニングをして貰える機会がいつ来るかは分かりません。一方、「文章をきちんと書く力が不十分で、随分損をした」という機会は、在学中にも何度も何度もあり、卒業してからも度々あるでしょう。--- この点を自分で悟り、自分で直すという努力を本気でする時が、できだけ早く来るとよいと、私は思います。

○ 内容に関しては、いい面と不十分な面とがいろいろ混在しています。文章自身が不十分ですので、内容の議論にまで踏み込むことができません。残念なことです。


HO 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

HO 君 [第1回] [微小添削]

 私は『7つの習慣 ティーンズ』を読んで、自分が日頃から思っていることが、良い例として本に書かれていたので、いささか驚いた。 しかし、1つ違ったのが「Win−Winの考え方」というものだった。

 私はスポーツの部活動をしているので、どうあっても「勝ち負け」が存在する。勝ち続ければ優勝、負ければ、敗者になる。そんなことは当たり前だ。私はこの「Win−Winの考え方」を否定する。勝負事の世界の中ではどれだけいい試合をしようが、どれだけ多くを学ぼうが、負けてしまえばそれで終わりなのだ。まだ1,2年生で、次の大会があれば「よく学べた」ですむかもしれないが、中学時代、高校時代、最後の試合では結果を残すか、残さないかで人生が大きく変わってくる。私も高校時代にインターハイ出場という結果を残すことができたから、今の自分があるからだ。

● 文章の書き方としては、比較的短い文で、簡潔に書いていて、よいと思います。ほんの少しずつ添削をしています。

○ HO君が、この本で薦めている「7つの習慣」の大部分を日頃から思っていて、心がけていた、というのは素晴らしいことです。

○ それでもこの本には、いろいろと深い考察がありますから、今後読んでいくことが無駄にはならないでしょう。分かっているつもり、そう心がけているつもりでも、より深い考え、より大きな心、よりしっかりした行動というものが、きっとあるでしょう。

○ 「Win-Winの考え方」は、スポーツなどの勝負の世界、あるいは経済競争の世界では、なかなか理解されにくい点があります。ただ、それでも、「スポーツマンシップ」というのは、「単純な勝ち負けの世界」ではないもののはずです。この本の第4の習慣を学ぶときに、もっと深く考えるとよいでしょう。

○ この本には、沢山のポイント (重要点) があります。HO君が、それらのポイントを一つ一つ学び、考えていくとよいでしょう。

○ レポートは、まず「何を学んだのか」を書き、そして「何を考えたのか」を書くとよいのです。「7つの習慣の一つに Win-Winの習慣というのがある」というだけでは、あまり学んだことではありません。そこで言っている「Win-Winの習慣」とはどういうもなのかを、自分のことばで記述してみて初めて「学んだ」と言えるのです。それから、それに反論して (あるいは、それを取り入れて) 考えたことを書いていくとよいのです。-- ともかく、今後に期待します。

HO 君 [第2回] [添削文]

 本の内容では良い習慣と悪い習慣がありその悪い箇所や、対処法なども書かれており、本当に10代のために少しでもより良い方向に進むように書いてくれているのだなと思った。思い込み未来を想像し、それに向かって進もうとする意思も十分力になることもこの本を読んで解った。これからも自分の力を信じて、夢に向かって進んでいきたいと思う

● (1) 「思い込み」というのは、「間違ったこと、本当でないことなどを、正しいと思ってしまい、それから離れられない状態」を指します。単に「思い」あるいは「想い」と書くと、「そうあって欲しいと思っている/願っていること」を指すでしょう。ここではもっとはっきりさせるために、「未来を想像し、それに向かって進もうとする意思」と表現しました。本に書いていた、「想像力」と「意思の力」のことをHO君が言おうとしていると考えたからです。

● (2) 上記(1) は、一つには言葉の理解の問題です。日本語には (そしてどの国の言葉にも)、それぞれの使われ方、言葉に含まれている (言外の) 意味、ニュアンスというのがあります。それをきちんと理解して話し、書くことができるのが、「日本語をきちんと使える」ということです。外国人にとっては非常に難しいことですが、日本人にとっては、できるのが当然と思われていることです。意識して、言葉、(自分が話し/使っている) 国語を、勉強しなさい。

● (3) 上記(1)のもう一つの点は、自分が言いたいことを、きちんと言葉で表現する努力をすべきことです。「思いこみ」を「思い」と書くと、間違いではなくなりますが、言おうとすることが相手に十分伝わりません。著者が、きちんと書いていないのですから、相手に伝わらないのは当たり前です。何を言いたいのかをしっかり書くこと。

HO 君 [第3回] [一部推敲]

 今回の章を読んで改めて人生には目標が必要だと思った。人が前に進むためには、漠然とした目標でもいいので目印を決めておかないと、「あとどれくらい進めばいいのか?」と不安になり精神的に疲れてしまい、前に進むことができなくなってしまうからだ。長距離のマラソンをするときでも目標が無く走らされているより、「あと3キロで終了だ」と言われればそれだけでも「あと少し頑張ろう」と思える。

  人生というほど大げさに言わなくても、ちょっとの小さいことでも目標を持てば事が運びやすくなる。目標を常に持つことによって、人生をより楽しく、スタイリッシュに生きることができるだろう。

● 舌足らずのこと (言いたいだろうことは分かるが、適切に表現できていないこと) を直しています。文意については、変更していません。

● この文章は、「まったく無難な」、「当たり障りのない」文章です。新聞などの随想・評論の記事として典型的に出てくる文章です。それが中学や高校などでは、(さらにその他の社会教育の場面でも)「よい文章」であると思われていることがあります。

● しかし、このゼミナールでは、私は、よい文章であるとはちょっとも思いません。一つの本をゼミナールで議論しながら学んで、「本当に何を学び、本当に何を考えたのか」がまったく記述できていないからです。

○ 「常に目標を持って始めよ」と本に書いてあって、「常に目標を持つようにしよう」と学んだというだけでは、学んだ内容そのものにも深みや広がりが感じられません。

○ 一番の問題は、ゼミのレポート課題は「学んだこと、考えたこと」なのに、HO君は「考えたこと」を何も書いていないことです。

○ 自分はいま「目標」という点ではどんな状況にあるのかをよく考えてみるとよいでしょう。生活の小さなことで、具体的な目標を持っていますか? この学期末のことで目標を持っていますか? 正月明けて、今年の目標をどう考えていますか? 大学4年間の目標は? 卒業後の目標は?

○ 「学んだこと」だけを書いた「無難な」文章は、(たとえ文章としてきれいであっても、美文であっても) 実質の意味を持たない。他人にも役に立たないし、自分にも役に立たない、と私は思います。

○ 「学んだこと、考えたこと」について、第3回レポートを再提出して下さい。【第3回再提出レポートは掲載省略】

HO 君 [第4回] [少々添削]

 私はこの教科書『7つの習慣 ティーンズ」』を読むことによって、色々なことを学ぶことができた。「7つの習慣」はそれぞれ深く考えさせられるものであったが、やはり自分が一番考え、解釈に困ったのは、第4の習慣「WinWinの考え方」だ。

 私は、何回も話したように、スポーツ選手だ。スポーツには必ず勝者と敗者が存在し、試合で戦った者同士が両方勝つことはあり得ない。勝者が次の道に進むことができ、敗者は勝者に道を譲るしかない。

  私は高校の3年間部活でフェンシングに熱中し、試合に勝って部活の仲間たちと笑い合うこともあれば、勝つことができずに涙を流すこともあった。だから、ゼミの最初の頃は、私はこの「Win-Winの考え方」を理解することができず、それを否定していた。

しかし、本を読み進み、先生や、ゼミの仲間たちと話し合ううちに、この「Win-Win の考え方」をだんだん理解することができてきた。

  要は、「試合の勝ち負けはさほど重要ではなく、その試合でいかに多くを学べるか!なのだ」というのがこの本が言っていることだと、私は解釈した。さらにいうならば、「ここぞという時の試合までにどれだけの経験を積み、どうやって困難を乗り越えるかが大事なのだ」と私は思う。

  勝利とは甘く、とても素晴らしいものだ。周りから寄せられる好奇の目や尊敬の眼差は、敗者には絶対に味わうことができない贈り物だ。これを味わってしまうと、負けるのが悔しく、敗北するのはなんとしても嫌になるだろう。

  しかし、勝者には、敗者の経験は絶対にできないのだ。勝利だけでは完璧になれず、敗北だけではプロにはなれない。歴史の偉大な人物たちも失敗や、敗北から多くを学び、様々な偉業を成し遂げてきたのだ。

  失敗や敗北は悪いことではない。むしろその人にとって、必要な経験なのだ。このことを私はこの本で学ぶことができた。1人のスポーツ選手として、また1人の人間として、成長することができた、と私は思う。

  このことに気づかせてくれたこの本と、この本に出会わせてくれた先生、意見を交わし合ったゼミの仲間たちに感謝します。短い間でしたが、本当にありがとうございました。

● 文章が少し舌足らずなので、添削しました。基本的には論旨をきちんと書けており、よい文章だと思います。

○ 第1回レポートのときからのHO君の課題であった「Win-Winの考え方」に、焦点を絞って述べているのがこのレポートの良いところです。

○ テーマは、スポーツにおける「勝ち/負け」の考え方であり、他方、本書での「Win-Lose」および「Win-Win」の考え方です。本書の「Win-Lose」は、「自分が勝ち、相手が負ける」(ことを追求する) 考え方/姿勢/人生観ですが、それがスポーツでの勝負の考え方と同じであるのかどうかが問題です。もし同じなら、スポーツで勝ちを求める選手にとって、「(自分が)Win- (相手が) Lose」こそ追い求めるべきことで、「Win-Win」などは (試合をする以上) あり得ないことです。

○ (技・身体能力などだけに限定された) スポーツでの「勝ち/負け」と、(権力・財力・人間性・人間としての優秀さなど一切を内包する可能性がある) 本書でいう「Win-Lose」とが違うのだと、私には思われます。

○ HO君が、違う観点からこの問題を論じているのが、このレポートの優れた点です。スポーツにおける「勝ち/負け」には、その特定の試合における勝敗だけでなく、その勝ちあるいは負けがその選手の (スポーツの力量や人間性に関して) 将来に大きな影響を与え、教訓を与えるのだ、と指摘している。

○ 「勝利だけでは、完璧になれず、敗北だけではプロにはなれない。」また、「失敗や敗北は悪いことではない。むしろその人にとって、必要な経験なのだ。」とHO君が書いている。力強い言葉だと思う。

○ スポーツで追求する「勝ち/負け」が、人間を上下関係にしようとする「Win-Lose」とは、違うのだということの、一つのしっかりした理解に至っているのだと思う。

○ HO君が、「1人のスポーツ選手として、また1人の人間として、成長することができた」と書いているのも、素晴らしいことです。


TI 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

TI 君 [第2回] [微小添削]

 第1の習慣の「主体的に行動する」について学習して、この第1の習慣を身につけることは他の習慣をすべて身につけるためのカギだということが分かった。

 主体的に行動する人は何事に対しても (受け身な考えの反応的な人と違い) 自分のことに責任を持てたり、自分でことを起こすことができる。そういったことがきっちりとできるから他の習慣を身につけることが出来るんだと思う。

  この二つのどちらかになるかを選ぶのは自分だということ、さらにそれを選ぶタイミングは一日に百回ほどあるということ、を学んだ。主体的になるか反応的になるかは自分の生活のなかでころころと変わっていくので、身につけるのは難しい習慣ともいえるだろう。だがこの習慣を身につけ、何事にも主体的に行動できるようになったとき他の習慣を身につけることができていくんだとおもう。

  この第1の習慣を身につけることは容易ではない。だが身につけることで自分の価値観が変わっていくんだと思う。

● (1) このレポートの原文では「習慣を身に着ける」と書いていますが、「習慣を身につける」と直しました。ゼミで使っている本でも「身につける」と平仮名になっています。「着ける」の「着」という字は、服を「着る」というときの字です。「身に着ける」とは、服だとか、帽子だとか、アクセサりだとかを、「身体の外から、くっつける」という意味になります。他の字もあり、「習慣を身に付ける」と書くと少しはよいかもしません (数十年前までは、多くの人がこの書き方をしていたと思います)。ただそれでも、「身体の外から、くっつける」という感じを拭えません。このような漢字がもつニュアンスが邪魔しますので、いまは「身につける」と平仮名で書くことが標準になってきています。同様な言葉の例は沢山あります。「見付ける」==> 「見つける」など。

● (2) 上記の文章は、あまり添削していません。その理由は、書いていること、言おうとしていることは、文として意味が通じるからです。添削しようとすると、内容が変わってしまうから、添削をしていないのです。

○ (3) では、よい文章か? まったく違います。問題は、「主体的になるか反応的になるかは自分の生活のなかでころころと変わっていくので、身につけるのは難しい」という部分です。自分の基本的な心の持ち方 (この本でいう「習慣」) というのは、ころころと変わるものではありません。一日100回ほどもある判断の機会の中で、それぞれが自分なりに重要さを判断して、どのように行動していくかを (自覚的/無自覚的に)決めているのです。そのベースにある心の持ち方が問題なのです。そのベースがどうであるかは、一日の中でも少し重要なことがらのときに、どのように考え (あるいは考えずに) 行動したかで分かります。授業で (周りに合わせて) おしゃべりをしていた、先生からの質問に対してだんまりを決め込んでいた、などです。

○ (4) 「主体的に行動する」というのは、もっと深いことで、もっともっと大事な、真剣に考えるべきことと思います。それが、「他の習慣を身につける基礎」、自分の行動や価値観の基礎になるのだ、ということは、本でも、このレポートでも書いているとおりです。

TI 君 [第3回] [原文]

 僕は、これまでの授業で第二の習慣と第三の習慣について学んできましたが、第二の習慣について一番印象に残ったのは、「ミッション・ステートメント」を作成するということです。

  ミッション・ステートメントを作るというのはその書いたものを自分自身の信念またはモットーみたいなものでそれを作ることにより自分にとって何が必要なのか、大切なのか、そのものの価値観に従って行動することができ、自分の人生にとって意味のあるものになるからこのミッション・ステートメントというのは作っていて損はしない。

  だからこのことを学習して、自分も精一杯考えて自分の為になるミッション・ステートメントを考えてみようと思った。

  そして色々なミッション・ステートメントの例を見てきたが、その中でも一番よかったのは、メアリー・ベス・シルベスターのミッション・ステートメントで短いものでも言いたいことがはっきりしていて「自分流に生きる」というところが一番良かった。

● 上記の黄色の網かけ部分 (すなわち第2段落) は、だらだらしていて、支離滅裂で、非常に悪い文の典型です。添削しようとしましたが、どうにもならないので、原文のままにしました。

● 文をもっと短く切って、はっきりした表現にしなさい。

● いいだしたことが、文の途中で消えてしまい、別のことに変わっていってしまっています。---- ともかく、TI君は文章の書き方をもっと真剣に学びなさい。

● この問題の部分をきちんと書きなおすことを、ゼミでやってみましょう。その後、今週中ににTI君がきちんと書き直して中川にメールで提出しなさい。

○ 「自分流に生きる」という言い方はときどき聞きます。しかし、それは実際には何を意味しているのでしょうか? それぞれの人が「自分流」であればよい/あるのがよいと言っているわけでしょうが、それではTI君の「自分流」とは何ですか?

○ TI君は、自分のどのような所が長所であり、伸ばしていきたいと考えていますか? また、自分の短所として、直していくべき点をどのように考えていますか? そして「自分流」ということは、これらをどうしていくことですか?

TI 君 [第3回再提出] (第3回レポートの第2段落の検討)

TI 君 再提出文 [原文]

  ミッション・ステートメントを作るというのは、目標にすることを自分で色々書き出して自分なりのモットーとするものである。自分にとって何が必要なのかを明確にして具体的に文章にすることで自分にとって意味のあるものになる。だからミッション・ステートメントは作っておいて損はしないと思う。

授業での推敲文 [第3回レポート 原文から推敲]

  ミッション・ステートメントを作るというのとは、その書いたものを自分自身の信念またはモットーみたいなを書いたものである。それを作ることにより、自分にとって何が必要なのか、大切なのかが分かる。さらに、そのものの価値観に従って行動することができるようになるから、自分の人生にとって重要な意味を持つ。のあるものになるからだから、このミッション・ステートメントというのはを作っていて損はしないることが有益なのである。

● TI君の再提出文では、かなりの書き直しをして、随分意味が通るようになった。

● 中川の推敲文では、敢えて原文をベースに推敲し、原文で「言いたかったが、うまく表現できなかったこと」を明確にして、文章としてどのように直せばよいのかを示した。

● まず、著者(TI君)は、ミッション・ステートメントを「作るというのは」と書きだしている。作ることの意義を書きたいと思ったのであろう。しかし、「作る意義」を書く前に、そもそもミッション・ステートメントとは何かを説明しないと読者に分からないことに、著者は気がついた。だから、その説明を書いた。このとき、(この先頭の文で) 書くべきテーマを変更したのだから、著者は「〜を作るというのは」と書いたのを、「〜とは」と修正するべきであった。それをしていないために、そもそもの分かり難くさがある。-- 一つ一つの文のテーマ (主題、取り上げていること) をもっと明確にするのがよい。

● 文を (比較的) 短く、明確に区切るとよい。各文では、上記のように、何を言っているのかを明確にする。基本的な文は、「〜は〜である。」、「〜が〜した。」などであり、この前半の「〜」と、後半の「〜」とが、きちんと対応していないといけない。-- 例えば、「MSを作るというのは、モットーとするものである。」という文ではこの対応がついていない。

● 言いたいことを中途半端にして次に移行してはいけない。言い出したことは、一つ一つ言い切ってしまう必要がある。-- 例えば、「それを作ることにより、何が必要なのか、何が大切なのか、」と言い出したなら、「が分かる。」まで言い切る必要がある。そうでないと、前項の対応がつかない。言い切らないままでつぎの文章を続けると、支離滅裂な文章になる。

● これらのことは、TI君だけでなく、多くの諸君の文でも見られる問題点である。これらの観点から文章を見直してみることを、みんなに薦める。(この趣旨で、最終回の授業でも貴重な20分間を割いて、この推敲の討論をしました。)

TI 君 [第4回] [微小添削]

  第4の習慣の「WIN・WINの考え方」について:
  このことを学習する前は、自分は常に人より上でないといけないという考え方でした。だがこれを学んでいくうちに:人とうまくやっていくためには「自分も勝って相手も勝つ」という考え方も必要なのだと思った。

  この本で「人間関係こそ人生の本質」と書いているのは、まさにその通りだと思う。たしかに、WIN・LOSEの考え方だとまわりは敵ばかりになってしまい、人間関係はあまりいいとは思えない。でもWIN・WINの考え方になれば、周りと協力しあうことができ、とてもいい人間関係を築くことができる。人間関係がよくなれば、もしなにか困ったことがあればまわりのみんなが助けてくれる。一人ではできないこともみんなと協力すればできると思う。だから人間関係というのは、生きていくうえでとても重要なものだと思う。  【中略■】

  第7の習慣の「自分を磨こう」について:
これは外見を磨くというよりも、心を磨くというほうが強いと思う。心を磨いていい人になれば、自然といい人間関係も築くことができる。それによって損をするわけがないので、自分を磨くのは必要なことだと思う。

 全体を通して、この授業で学んだことは将来必ずどこかで役に立つ。だからこの先もこの本を何回も読んで学習しようと思った。

● 前回のレポートで、文章がだらだらと続き、支離滅裂になっていたことを注意し、最終回の授業でどこがどう悪いのかを議論しました。今回のレポートはそれらを踏まえて大分良くなっていると思います。文が1行から1行半で区切ってあり、一文ずつで言いたいことを構成していっていると思います。

● ただ、それでもなお、各文の中で論理を明確にすることが必要だと思います。上記の添削例では何箇所かを「、」で区切りました。区切った方がよいのは、つぎのような場合です。
    ・ 標題を示している部分。-- 上記で、各段落の先頭の「・・・について、」の部分を、 「・・・について:」と直して、行替えしている。
    ・ 仮定・条件を示している部分。-- ・・・になれば、・・・
    ・ (後ろで) 逆のことをいう部分。[逆接] -- ・・・だが、・・・
    ・ 二つ (以上) のことを並べて言っている部分。[順接] -- ・・・し、・・・する。
これらの場合の区切り方は、「・・・」の部分の長さに依存します。長ければ (読者の理解に負担を懸けないように)、「、」で区切る。あるいはもっと強調して、「。」で区切って、接続詞を使うのです。

○ 内容的にはあまりコメントすることはありません。「当たり障りがない」文章になっています。しかし本当に大事なことは (他の諸君にも繰り返し言いましたように)、「当たり障りがない」文章の段階から脱して、「内実があり、主張がある」文章の段階に進むことです。

○ この本で学んだこと、このゼミのレポートトレーニングで学んだことが、将来きっと役に立つだろうと思っています。今後もしっかり学んで行ってください。


TM 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

TM 君 [第1回] [推敲文]

『7つの習慣 ティーンズ』を読んで、まず理解できたのは、「7つの習慣」を身に付け実行することによって、自分自身の価値を上げる人格を高めることができることです。「主体的に行動する、目的を持って始める、一番大切なことを優先する、win-winの考え方、まず相手を理解してから次に自分が理解される、相乗効果、自分を磨く」。これら「7つの習慣」は、全ての(私的、公的両方の)成功に繋がる、とても重要な習慣だと学びました。これを完全に身に付けることによって、自分という存在をより大きくできるのだ、と感じました。

 ただ、この「7つの習慣」を完全に身に付けることは、実際にはとても難しく、極めて厄介な性質も持っているのをずいぶんの自覚と努力が必要なのだと知りました。「7つの習慣」とは反対の「7つの悪習慣」があり、それは自分達人間が一度は体験をしている私だけでなくほとんどだれでもがついつい陥ってしまうことがある習慣だったのです。「人のせいにする、目的を持たないで始める、一番大切なことは後まわし、勝ち負けという考え方、まず自分が話しそれから聞くふりをする、頼れるのは自分だけ、自分をすり減らす」。これらはたいていの人が定期的にしょっちゅう溺れて陥ってしまいます。 

   ここで感じた学んだのは、「よい習慣を身に付けることで、人生を大きく変化させられる」ということで、確かにそうだと思います。そして同時に気付いたのは、「よい習慣を身に付けて、それを実行できるようにすることは、自分にしかできない」ということです。習慣というのは良いことも悪いことも身に付けられ、その結果、人生のプラスにもマイナスにもなる。どんな習慣を扱い、どんな習慣を実行するかは、自分が考えるしかないし、自分が行動するしかない。自分のことは自分で考え、自分で行動する。それは当たり前のようですが、実際にはなかなかできていません。今の社会では、どうしても周りを意識して、周りに合わせようとすることが多い。そんな社会の中でも、自分という存在を見失わず、周りに流されないようにしなければならない。自分の意思を持ち、自分という存在を確立させることが必要だ。そして自分が身に付けたよい習慣をしっかり実行できれば、人生はきっとよい方向に変わるのだ、と私は考えました。私はこの考えをしっかり学び、年月が経っても無くさないようにしたいと思います。

● 基本的な構成や論旨はしっかり書けていると思います。

● ただ、文章に舌足らずの点が多々あり、文を区切りながらきちんと論理を書いていくとよいと思いました。

● 二重線で削除して書き直している部分は、言葉の選び方が不適当だと思う部分です。言おうとしていることが分からなくはないが、日本語としては奇妙で、言葉のニュアンスが適当でない、添削したように言葉を選び直すとよいと思います。

● 「習慣を身につけると、」といった書き方の部分が多いけれども、「よい習慣を身につけると、」と言いなおすべき所が多くありました。習慣というのは、良い/悪いに関わらない、一般的な言葉だからです。

○ 第3段落の記述は、(文を補って書き直してみると) よく論理を記述できていると思います。どんな習慣であろうと、結局は自分が選んでいるのであり、自分自身が自覚して選び直し、みにつけて行かなければならない。他の人が代りにしてくれることはないのだ、というのは大事な記述だと思います。それがこのレポートの優れた点と言えるでしょう。

TM 君 [第3回] [添削文]

 まず、第二の習慣「目的を持って始める」についてですが、これは結論から言うと「目的を円滑に行う為の過程」を行う為に必要だからだと実感しました。人は大抵の行動をする時に、その行動を行う為の行動を行います。キーボードを打ちたいと思ったら、キーに指を動かし、キーに指を動かすには肩が必ず動きます。「目的を持って始める」とはつまり、「自分が決めた目的を達成させる為の道標第一歩」に近いものなのだと考えました。

  ただ、第二の習慣の達成には大きな落とし穴があります。それは、自分が決めた目的を達成させる際に必要なこと、つまり「リスク代償」を全く考えないで始めることです。目的を達成させようと励むのは全く問題ありませんが、しかその目的を達成させようとしている間に失っていくものもあります。それは時間であり、期間であり、人によって変わりますが、それは目的を達成させようとしている間に確実に失われていきます。なので、「代償を見極めて、その上で自分の決めた目的を達成させなくてはならない」のだと知りました。でなければ、取り返しのつかない物を失いかねないのです。 【後略■■】

● この文章は、かなり添削してみましたが、十分な添削にはなっていません。添削してもなお、きちんとした論理的な説明になっていない、適切な言葉使いでの説明になっていないと、私は感じています。

● その理由はいろいろあるでしょう。一つは、「本来もっとページ数を使って説明してあるものをうんと圧縮して数行で書こうとしているから、論理を十分に書くことができていない」ということでしょう。このように圧縮して要点を記述するというのは、たしかに難しいことです。

● しかし、問題は、TM君がその論理を十分に理解しているのかという点です。理解しているのだけど、圧縮して書くの難しいのでしょうか? それとも、十分に理解していないから、圧縮して書こうとするといろいろ混乱した記述になるのではないでしょうか?

● もう一つの問題は、ここに書いていることが、本の著者が言おうとしていることを書いているのか、それともレポートの著者 (TM君) が考えていることを書いているのかの区別がはっきりしていないことです。このことは、文章のすべての箇所ではっきりしているべきことです。「ここからここまでが本の著者が言っていること、そのあとここまでは自分が言っていること、そして・・・・」というように明確に言えるように書かなければなりません。

● そのような観点からTM君に薦めるのは、まず本の著者が言っていることを (TM君が理解した言葉で) きちんと一段落になるように書き、その後で (字下げをして) 別の段落にして自分が考えることをきちんと書いてみなさい。このような組を、必要なだけ繰り返して書いていくと明快なレポートになるでしょう。要するに、「学んだこと」の段落と、「考えたこと」の段落とを区別して、数行ずつのまとまりで繰り返すのです。

● このようにすると、もし、著者が言っていることを正確に圧縮して表現できないなら、それは表現の問題より以前の理解の問題というべきだろうと思います。このようにして、自分の文章修行をするとよいのです。

● そして、あるべき姿のレポートは、「学んだこと」と「考えたこと」とが、両方きちんと書かれているものです。もちろん「考えたこと」の方に重要性があります。

TM 君 [第4回] [微小添削]

  今までの授業を経験して自分が知ったことは、「7つの習慣」を身につけることで本当に価値のある人間に近づくことが出来るということでした。

 第1、2、3の習慣は私的な習慣と言われ、人の内面…精神的なことに関係するもので、自分の意志や意見、自発的な行動を支える大切なものでした。これに対して、第4、5、6、の習慣は公的な…つまり、他の人々と接するときの自分の考えや行動のしかたに関係し、そのため他人からの自分への評価や信頼に関係する、忘れてはいけないものでした。公的と私的、この二つの習慣の違いは小さいようで大きく、両方とも自分に対する大きな自信になる、とても重要な習慣です。そして、最後の第7の習慣、「自分を磨く」というのは、文字通り自分の価値を上げる為の心構え…自分自身の価値をより良くする為に必要不可欠な、無くてはならない習慣です。

 他人との触れ合いや協力が必要なのは、今の世の中では不可欠です。第4の習慣「Win−Winの考え方」は正にこれに当てはまります。Win−Winとは、自分も相手も勝つという、今の社会では考えづらい習慣です。どうしても自分よりも優秀な人がいると、その人をねたんだり嫌悪してしまうのが、自分や人間の欠点の一つなのでしょう。Win−Winの習慣は、まず相手が自分よりも優秀だと思いません。相手と競争したり比較したりせず、相手と一緒に頑張ろうとすることなのです。そうすることで、一緒に目標を達成するという喜びを感じることが出来ます。もちろん、競争することがいけない訳ではないので、競争をしながらも、互いに支えられるような関係が理想なのだと、学びました。
     【中略■】

  全体を見ると、本当に一本の木のように、1つ1つの習慣が連なっているのだと感じました。そして同時に、自分が今までやって来たことが、どれだけ自分自身の木を育てていたのか、興味を持ちました。もしかしたら全然育っていないかもしれません。でも、それでもこれが自分だと、相手に面と向かって素直に、胸を張って言えるような人間になりたいと、自分は思いました。

● 文章のごくわずかの表現を直しました。それは、内容に関わる部分、言いたいことが正しく言えていないと私が思う部分です。

● TM君の文章については、前回で随分厳しいコメントをしましたが、今回のレポートはそれらの点がずっと改善されて、いいレポートになっている、適切な文章になっていると思います。きっと随分注意して、また時間を掛けて、このレポートを書いたのだろうと思います。最後の回でよいレポートが書けたのは素晴らしいことです。

○ 第4の習慣の「Win-Winの考え方」というのは、やはりなかなか難しいことですね。TM君が書いている、「まず、相手が自分よりも優秀だと思いません。相手と競争したり比較したりせず、・・・」という部分は、本書が言っていることの一面ではありますが、全部ではないように思います。相手 (すなわち、他のいろいろな人) の (いろいろな面での) 優秀さをまったく認めない、評価しないということではないはずです。いろいろな人のいろいろな面での優秀さを認め、素晴らしいことだと、評価をする。しかし、それでも、自分を卑下する必要はない、自分にもいくつかの面で優れたところ、取り柄があると考える。また、いろいろな人を、比較して序列を作るようなことはしない。違う面で考えれば、また違う評価になるのだから。だからこそ、違う面に取り柄のある人たちが集まると相乗効果が生れ、また互いに Win-Win の関係を構築できるのだろうと思います。

○ 「7つの習慣」が、全体で一つの木になっているのだ、という認識を改めて書いているのは、よいことだと思います。第1の「主体的に行動する」から始まって、一つ一つを身につけるように努力するとよいですね。7つの習慣のそれぞれの面で、自覚的に努力をしていくと、きっとよい大学生活ができるでしょう。卒業してから、きっとしっかりした社会人として活動していけるようになるでしょう。期待しています。


TN 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

TN 君 [第1回] [微小添削]

 初めに、今回このレポートを書くに当たり、ショーン・コヴィー氏の『7つの習慣 ティーンズ』を読み返し、その中の「パラダイムと原則」の項について私なりに考えをまとめた。

 この本の中で、著者はパラダイムについて「自分を悪く見るパラダイムは、自分に限界を設けてしまいます」と述べていた。この一文を読んだとき、私はこのパラダイムを過去に経験していたのではないかと感じた。

   それは、中学の高校受験のときであり、当時の私は成績が悪く、絶対に公立高校なんて無理だと思っていた。そして結局、公立を端からあきらめ私立高校に進学した。今思うとこれが「自分を悪く見るパラダイム」だったのではないだろうか。こんな成績では公立は無理だというパラダイムを私自身が持ってしまったために、勉強しても無駄だと思い込み、勝手に自分の中で限界を作ってしまっていた。まさにこの本のとおりである。

   では、この私自身が体験したパラダイムをどうすればシフトできたのだろうか。本書には、「自分を信じてくれる人」の存在が重要であると書かれていた。先生・友人・親・姉妹・祖父母、多くの人がいる中で、あの時の私を信じてくれた人、少なくとも、私が公立に行けると信じていた人はいなかったと思う。恐らく家族も、私に対して悪いパラダイムをもっていたのだろう。もし、誰か一人でも私が公立に行けると、そう信じ、励まし、応援してくれた人がいたならば、私は変わっていたのではないだろうか。自分の限界を否定し、乗り越えることができたのでは無いだろうか。

   過ぎたことを悔やんでも、どうすることもできないが、過ぎていないことはこれからいくらでも変えられる。ならば、これからの私の人生を充実したものにするためには何をすればよいのか、それを今から考えていきたい。

  まず、今、私の人生の中心にあるものは何かを考えてみた。

   私の一日の生活を振り返ってみると、学校以外の時間の半分以上はパソコンで占められている。休日など、起きているときは大抵パソコンに向かい何かをしている状況である。他の兄弟が使っていても、わずかな時間パソコンが空けば、すぐに向かうし、時間を決めて兄弟をせかす時もある。以上のことから、今の私にとってパソコンが生活の中心になっていると分かった。

   では、もし何らかの理由で、パソコンが使えなくなったらどうなるだろうか。あまり考えたくはないが、故障・停電・災害、使えなくなる要素は十分にある。実際に、起こったことはないので、あくまで想像ではあるが、恐らく、精神的ショックがかなり大きいだろう。何せ、一日の大半をパソコンに依存しているのである。無いと不安になるのは間違いない。そして、その時私は一日をどうやって過ごすのだろうか。読書やゲームをしても、それはただの一時しのぎにしかすぎない。そうなると、何もすることが無くなってしまう。それほどまでに私はパソコンに頼りすぎてしまっている。

   そして何より恐ろしいのは、この事実に今、気づいたことである。きっと、このレポートを書かなければ一生気づかなかった。

   しかし、自覚したところで、この習慣を変えられるのかと問われれば、正直言って難しい。けれども、私を変えられるのは自分自身なのだから、まずは小さな目標から初めて少しずつ努力していけば、いずれは自分を変える大きな力になっていくはずなので、まずは実行することからはじめたいと思う。

● 文章はやや冗長な (だらだらしている) ところがあるが、言おうとしていることはよく分かる。その点では、よい文章である。

● この文章には「自分」という言葉がたびたびでてきている。しかし、二つの意味があり、もっと明確に使いわけるのがよい。すなわち:
    -- 英語の I : 一人称。「私」、「僕」、「小生」、「俺」など。それぞれニュアンスがあるから、適切なものを使い分けるとよい。この意味では「自分」は使わないのがよい。
    -- 英語の Self: 再帰名詞。「人々はそれぞれ自分の荷物をまとめて帰って行った」などと使う。すなわち、私のことを意味するときもあれば、彼のことを意味することもある。日本語の「自分」はこの意味だけに使うのがよい。強調するときには「自分自身」という。

○ 中学生の頃に「自分を悪く見るパラダイム」に陥っていたのでないか、という反省は大事なことだと思う。ただ、「成績が悪いから、公立高校に行けっこない」というパラダイムよりも前に、「努力しても、私には数学/英語が分かりっこない。私は頭が悪いんだ」といったパラダイムの方がたいてい先行していて、そちらの方が問題である。「基礎からこつこつやれば、分かるようになるんだ」という考え方に切り換えることが重要だと思う。怪我をしたスポーツ選手が黙々とリハビリに取り組むような、そういう努力をある時期にするとよいのだろうと思う。焦りは禁物である。

○ 「自分を信じてくれる人」がいるのは、幸せなことである。ただ、自分の条件が(客観的に見たときに)非常に悪くて、そのような人を得られないこともあろう。その場合でも、結局は、「自分が自分を信じる」ことが大事になるのだろうと思う。

○ このレポートの後半で、「パソコンで何かをしている」のにほとんど時間を費やしている状況を書いている。大事な分析であると思う。もう一歩踏み込んで、「パソコンで何をしているのか」をもっと考えるとよい。「インターネットサーフィンをしている」というよりもさらに踏み込んで、どんなものを読んでいるのか?、それを読んで何を得ているのか?、と考えてみるとよい。みんなは情報学部生なのだから、パソコンの技術をきちんと習得することに、時間を使うとよいと思う。自分でWebページをデザインする、グラフィックスを作ってみる、実務のソフトウェアを使いこなす、など、楽しみながらやれることは多いだろう。-- 先生やインストラクタや上手な友達に相談して、工夫するとよいと思う。

○ テーマが明確で、有意義なレポートになっていると思う。

TN 君 [第2回] [添削文]

   このレポートを書くにあたり、7つの習慣のうちの第一の習慣である、「主体的に行動する」ということの意味を私なりに考えてみた。

   本書に目を通す前に「主体的」という言葉から思い浮かんだものは、ただ単に「自分の思うがまま、自分の事は自分で決める」、というようなぼんやりとしたイメージであった。しかし、実際に本文を読み進めると、そのような単純なことではないことを思い知った。この本の中の、犬と人間を比較した記述を読んで私が理解したのは、「主体的に行動するとは、他者のことを気にしないで自己中心的に過ごすことではない。自己の良心に従い客観的に物事をとらえて、他者と適切につきあうことこそが、主体的な行動になる」ということであった。さらに、主体的に行動した人々の事例や、人生を例えた詩を読んで、私が理解したのは、「環境や周囲に責任をおしつけないこと。自分がどうにもできないもの (すなわち、自分以外のもの) を悔やむより、自分がどうにかできるもの (すなわち、自分自身) をどうにかすること。それが主体的に過ごすための重要な点であること」であった。

   そこで次に、私自身の普段の生活を振り返って、主体的に過ごすことができているのかを検証していく。

   実際の私の生活を振り返ると、「反応的な習慣」の典型として、感情的に他者を攻撃する行動があり、家族とときどき、くだらないことで衝突することがある/あった。衝突の原因のほとんどは相手が悪いのだと私は考えていた。しかし、私がそれに対して攻撃的な言葉や態度を返してしまうことで、問題をさらに悪くしているのだと、この本を読んでからは考えるようになった。すぐに攻撃的な言葉で返すのではなく、「なぜ相手がそのような行動をとったのか、本当に自分に非はないのか」をいったん考えるようにしたい。その上で、衝動的・感情的な言葉や態度でなく、思慮のある適切な言葉や態度をとるようにこころがけたい。

   また、「何かが起こるのを待っている」、「そうせざるをえない時だけ変わる」など、受け身な生き方を私はしていると、本書を読んで改めて感じた。これもまた、「(主体的でない) 反応的な習慣」が私の身にしみついていると私は思った。本書の中で、不利な環境や辛い経験や復讐の思いなどに負けずに、主体的な行動で自分をより良い方向へ導いた人々の実話を読んだ。私にはそれらの人々ほどの強い意志はないけれども、本書で学んだ「主体的に行動する」という習慣を身につけていくことで、より良い自分になれるよう努力をしていきたい。

   今後、就職活動などで困難なことに直面したとき、今のままの私ならきっと、「今の政治が悪いからだ」「国のせいだ」などと、考えたり、言ったりするだろう。それは、自分ではどうにもならないものに、自分がうまくいかない責任を押し付ける考えであり、言い訳である。私はそのような言い訳に逃げない人間になっていたい。いまから、自分の出来ることに全力を持って取り組み、自分から行動することができるような人間になっていたい。

   そのために、日頃から、何か失敗を犯してしまったとき、他者や他のもののせいにせず、自分自身で受け止め失敗から学ぶようにしたい。何か他者ともめごとがあったり、酷い怒りに襲われたときも、感情的な言葉や態度をとることなく、自分の良心に従って対応することを心がけたい。

   また、自分を変える第一歩として、学生のうちに、ある資格試験に合格することを目標として勉強を続けることを決心している。小学生から大学に入学するまでの私は周りに流されるまま勉強をし、あまり努力をしないで済む進路を選択して生きてきた。大学に入学して、新しく学ぶことが多く、視界が広くなった。その中で私は、今度は自分自身の目標のために、周囲に流されずに勉強したい、と心から思えるようになった。本書のこの章を読んで改めて決意を固めることができた。

● (1) 文章はいろいろと添削しています。言いたいことははっきりしているけれども、表現が不適切であったり、言葉足らずであったり、文章がだらだらと続き過ぎていたりしている部分を推敲したのです。この推敲で、文意はそのままで、よりしっかりした文章になっただろうと思います。

○ (2) これは素晴らしいレポートです。このゼミで、この本で「何を学んだのか」をまず書いています。それから、自分自身を振り返って、いまの (いままでの) 自分がどうである/あったのかを考え、今後どのようにあっていきたいのかを考えています。そしてそれらを、このゼミで、この本を通じて、「考えたこと」としてきちんと文章にしています。

○ (3) このようなレポートは、書いた自分自身にとっての、非常に大事な文章になります。このレポートが、(授業の単位といった次元ではなく) 本当に自分にとって記念となる文章になることでしょう。--- あと 2ヶ月しかありませんが、このゼミとこの本で、さらに学び、考えて、行動するようにしていって下さい。

TN 君 [第3回] [原文]

   今回のレポートでは「目的を持って始める」「一番大切なことを優先する」という二つの習慣について自分なりに考察する。

   まず、本を開き「目的を持って始める」という言葉を目にしたとき、私は改めて言われなくとも当然のことであるという印象をもった。なぜなら、何の目的も無しに行動を起こすことはとても無意味で無駄なことに思えたからである。しかし、本文を読み、授業を受けるうちに、自分が本当に目的を持って物事を始めていたのか不安になってしまった。例えば、人生にとって重要な、大学に進学するという行動を、私は明確な目的を持って選択したわけではない。これまでのレポートでも述べていることだが、「自分は頭が悪い」という悪いレッテルにとらわれ、努力することを投げ出してこの大学に入学したという経緯がある。私は、少なくとも大学入学時点ではたいした目的も持たず、それこそ流れに任せて行動してきたわけである。入学した後は、履修科目の選択など私にとって重要な決断をする機会もあったが、それも自分の興味に従って選択したため、これらも将来に関する明確な目的を持って始めたわけではないのかもしれない。なら今後はどのようなことを目的として物事を始めるべきかと考えたとき初めに思い浮かんだのは、現在勉強に取り組んでいる資格試験についてのことであった。確かに、今すぐに将来どんな人間になりたいか、結婚はするのか、どのような業界に就職するのか等を思い浮かべるのは困難なことであるが、数ヶ月先のことならば何とか計画を立てることが可能である。ひとまずは資格試験に合格することを目的としてこの数ヶ月は行動したい。

   そう決断した際、目的を持って行動をするためには、もう一つの習慣である「一番大切なことを優先する」ことが重要になると気づくことができた。一番大切なこととはすなわち目的達成につながること(私の場合は資格試験に合格すること)であると捉えることが可能だからである。私の日常生活を振り返ると、時間管理のマトリックスで紹介されている「無気力タイプ」にあてはまる時間の使い方がほぼ大半であることに衝撃を受けた。そしてそのような時間の使い方をした結果「先延ばしタイプ」へと至ってしまい、やっとのことで重要なことを終えた後に息抜きと称して再びだらだらと怠惰な時間を過ごしてしまうという悪循環が生じてしまっていたのである。第三領域の時間の使い方を減らすことについては、普段から「自分勝手」「空気が読めない」と家族などから言われがちな私にとっては全く苦でないことだが、反対に、私の場合は良好な人間関係を築くために、本当に重要なことと折り合いをつけながら、少しはこの領域に時間を取ることも必要なのかもしれない。第二領域の時間の使い方を身につけることは、計画を立てて行動をすることが苦手な私にとって、とても困難なことであるが、目的達成のためには最適であるし、重要なことである。

   私の場合、この習慣を達成することを困難にしているのは、仲間のプレッシャーではなく、自分自身の意志の弱さと恐怖に決定をゆだねることである。私が重要なことから逃げて怠惰に時間をすごしがちになってしまうことの原因の一つに、「計画をたてて、全力を尽くしたにもかかわらず、良くない結果に終わったら、本当に自分はできない奴なんじゃないか」ということを思い知らされそうで恐いということがある。そしてつい誘惑に負けてだらだらと時間を消費してしまう。例え、良くない結果を得たとしても、挑戦し、真摯に取り組むことで得られるものがあって、自分をうまくコントロールすることが困難な状況にあっても幸せな将来につながる、と学んだことは私にとって大きな利点になった。

   最後に、私の立てたミッション・ステートメントは「少なくとも卒業後ニートにはならないような大学生活を送る」である。

○ いいレポートだと思います。

● 文章はほとんど直す必要がありません。自分の気持ちや考えていることが素直に、適切な順番で述べられていて、非常に読みやすい文章です。内容も豊かだと思います。ただ、各段落が少し長いので、段落を3〜4行ごとに区切って書くこともよいかと思います。

○ 目的を、当面「資格試験に合格する」と設定したというのは、いいことです。ただ、TN君は、まだそれを具体的に「〜検定に〜年〜月までに合格するぞ」というようには書いていませんね。(後で書いているように) 失敗したら怖いという気持ちがあるからでしょう。だけど、何人かに言うといいのですよ。それが「ロープを渡す」ということです。資格試験は一度失敗しても再度受ければよいのですから、遠からずきっと合格するでしょう。自分を励ましてくれる人 (家族、友人、先生など) に話すとよいのです。そして、励ましてくれるよう頼むとよいのです。

○ 時間管理のことも、恐怖のことも、TN君が「目的」を掲げている限り、段々解決していく、いい方向に進んでいくことでしょう。

○ ミッション・ステートメント、いいですね。頑張りなさい。

  TN のミッション・ステートメント

     少なくとも卒業後ニートにはならないような大学生活を送る

                                             2011年12月25日    TN

TN 君 [第4回] [微小添削]

  今回のレポートでは、他者との関係についての習慣、主にWin-Winの考え方について考察する。

   前回までのレポートで考察した章では、よりよい人生をおくるために、自分自身ですべき習慣が取り上げられていたが、今回考察する章では、他者との関係の考え方や、よりよい関係の築きかたが取り上げられている。一章で指摘されていたように、人生は自分自身でよりよいものを選び取るものとはいえ、他者とふれ合うことが無い人生なんてありえないので、人生をよりよいものにするためには、人との関わり方がとても重要であることは自然に理解ができた。

   とくに、私が衝撃を受けたものは、Win-Winの考え方であった。なぜなら、中学、高校時代に、受験などに関して、Win-Loseの状態になることが好ましいという指摘を受けた経験があったからだ。「みんなで合格しよう」なんて綺麗事なのだということさえ言われた。

   私の今までの振る舞いを振り返ると、そのように指摘されたにもかかわらず、成績などの競争に夢中になって、人を蹴落とすことばかり考えるというようなWin-Loseの状態になることはなかった。しかしその反面、「頑張る人だけ頑張ればいい、追い越されたって気にしない、自分は自分のやれるようにする」というような、なかば投げやりなLose-Winのような状態に陥りがちであった。ただ、成績以外の対人関係面では、決して自分の意見を曲げようとしないし、相手の意見は尊重しないというWin-Loseの関わり方を取ることが多かった。どちらにしても、いつまで経っても自分自身に甘いままで成長しない、本書における「人間関係信頼残高」がいつまで経っても貯まらないと言う点で悪い状態である。

   しかし、自分も相手もよりよく、というWin-Winの関係に持っていくには結構な努力が必要のように思える。幸い、私には、Win-Winを遠ざける二大悪習の「競争」と「比較」についてはあまり心当たりがない。だから、第五の習慣として挙げられている、相手の言うことをしっかり聞いて、相手を理解することを心がければ、Win-Winの関係を築くことも不可能ではない。そして、「自分を甘やかし、今のレベルで妥協する」ことがないようにすることも必要である。これはこれまでのレポートで導き出された自分の「怠惰」という短所に対して、怖がらず努力するという対処方にも繋がることである。

   これまでのゼミを通じて私は、自分自身うっすらと気づいていたけれど、決して直視しないようにしていた短所と向き合うことができた。また、明確な目的を持って日々を過ごすことができるようになった。私の今後の人生は、道が開けて見通しが明るいというわけではないが、希望を持ち続けていきたい。困難にぶつかったときには、ゼミで得たことを思い浮かべ実践し、乗り越えたい。

○ いままでのTN君の3回のレポートを踏まえて、適切に、しっかりと書いたよいレポートだと思います。肩に力が入ったものでない、大上段に振りかぶったものでないのがよいことです。

○ TN君のレポートの良さは、自分の内面や行動を分析して、短い言葉で適切に表現できていることです。受験勉強など、学校や塾や親 (あるいは、社会全体) がWin-Loseを掻き立てている中での、自分の意識と自分の行動のパターンをすなおに表現しています。Lose-Win の面を多分に持ち、対人的には頑固な Win-Lose の面を持っている。そして、いままでが、「どちらにしても、自分自身に甘いままで成長しない、「人間関係信頼残高」が貯まらない」悪い状態であると、思い至っています。

○ さらに優れている点は、Win-Win という新しい段階に進むための、自分なりの筋道を見出していることです。現在の状況から、(Win-Loseを経由するのではなく) 直接にWin-Win を目指す筋道だと言えるでしょう。それはWin-Loseの価値基準である、「競争」と「比較」に囚われない (達観している) ことから可能になる筋道です。そのために、怠惰を克服し、目的を持って過ごすとともに、相手を理解するコミュニケーションに努めようとしています。

○ 最後の段落も、素晴らしいまとめだと思います。これからの人生を、「道が開けて見通しが明るいというわけでないが、希望を持ち続けたい、困難を乗り越えていきたい」と結んでいます。希望を持って努力する中で、段々と道が開けてくるでしょう。

○ TN君はゼミでは発言が少なかったけれども、4回のレポートを通じてその内面の深まりを記述していってくれたことが、大変得難いものでした。ありがとう。ありがとう。


YM 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

YM 君 [第1回] [原文]

第一の習慣「主体的に行動する」を勉強して、自分自身思ったことは、
まず、当然、自分の行動には責任を持って生きてきたとは思う。
例えば、仕事、部活の試合等、何でもいいです、自分がミスを犯すことは誰しもあったはずです、それは当然自分のミスとして自分は受け入れていました。
自分のミスとして受け入れた人は当然同じミスをしなくなったはずです。
それだけじゃなく、なんでミスをしたのかを、考え、改善することにより学ぶことができ、
少なからずマイナスにはならず、自分にとってプラスにすることができると思います。
しかし、自分の行動に責任を持てない人は当然他人のせいにすると思います。
そんなものはただのその場しのぎにしかならないと僕は思います、
こういう人は当然また同じミスを繰り返し他人に迷惑をかけ続けていくと思います。

あと「運命は変えられる」とあったが、
自分の考えとしては、別に運命なんて物は存在していないと思う。
他人に人の運命は決められないし、当然悪い道に行かないように手助けだったり、
導くことはできるだろう、ただ、運命はその人にしか決めれないと思う。
運命なんて物は無意識のうちに今、何気なく過ごしているこの瞬間にも進んでいると思う、
だから自分自身の考えとしては、運命は変えられるじゃなく、
自分で切り開いていくことだと思います。

● (1 )この文章は、まったく添削していません。「添削しなくてよい」ほど優れているからではありません。「一つの文体を持っていて、添削をし始めると、その文体が壊れてしまう」と思うからです。このようなことは、「文学」ではしばしばあります。ある意味で、この文章は、論理性よりも感性を大事にした文であると言えるでしょう。--- このゼミで要求しているのは、「感想文」でない「レポート」です。この本とこのゼミで、「何を学び、何を考えたのか」を、きちんと書くことです。

● (2) 文体として、本来は「。」を使うべき所 (すなわち文の切れ目)に「、」を使っていることが多くあります。それは論理的な記述の文には適当でありません。

● (3) また、「。」では必ず改行し、「、」でもときどき改行しています。それが文の構造をはっきりさせる面もありますが、「詩」(自由詩)の文体に近く感じます。(この文の「。」で改行されている) 文と文との繋がりの論理構造を必ずしも明確に書いていないと思います。

● (4) 話し言葉の表現があちこちにあります。「それだけじゃなく、なんで・・・」、「そんなものは」、「運命なんてものは」など。---- 松井君のレポートはこれが初回ですが、今後はきちんとした書き言葉で、内容を論述するものを書いてください。

○ (5) 内容そのもの、特に前半に書いている「自分のミスをミスとして受けいれ、改善する」ということは、いいことだと思います。部活の試合などを例に挙げているのは、分かりやすくていいことです。

○ (6) 「運命というのは自分で切り開いていくものだ」というのは、非常にしっかりした発言です。その気持ちで、部活にしろ、自分の勉学にしろ、自分の将来にしろ、責任を持ってやっていくとよいでしょう。


TU 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

TU 君 [第1回] [微小添削]

   この本はティーンを対象にしているものであり、絵や表、実話なども多く書かれているので非常に理解しやすかった。

   私が特に興味を惹かれ考えさせられたのは、「私のパラダイムが今なにであるか?」、つまり、「私は今何を人生の中心においているか?」ということだ。

   この本には「原則を中心としろ、友達や恋人を中心にするのはよくない」と書いてある。ここでの「原則」とは即ち良心であり、良心に従って生きろということだ。私は一度読んだときには「友達が人生の中心でいいじゃないか」と思った。

   しかし、「では仮に自分が原則中心に生きたとして、友達が全くできないだろうか」と考えると、決してそうではない。良心に従って生きれば、自分は素直になれる。そして他人に親切になれるだろう。そうなればきっと友達もできてくるし、人生がもっと楽しくなる。良心は決してなくならないものだから、友達との別れはあっても必ず新しい友達ができるものだ。

   これは「7つの習慣」のうちの一つ「第五の習慣―まず相手を理解してから、次に自分が理解される」と、「インサイド・アウト 内から外へ」に大きく関係している。自分が良い方向に変われば、他人からの自分を見る目もよい方向に変わるのだ。

   そして、友達が増え色々な考えを持つ人々にたくさん接することで、一人の人間を偏った見方でなく、様々な側面から見られるようになりたい。

● 文章はきちんと書けていると思います。言おうとしていることがきちんと伝わり、あまり添削することはありません。

● 上記の添削で、「 」をいろいろ挿入しました。特に、やや長い文章のあとで、「〜と思った」、「〜と書いてある」などという場合に、「〜」の部分を 「 」で括っています。こうすることで文意がずっとはっきりします。

○ このレポートの優れている点は、本書が書いていることに対して、まず自分の考えに従って批判的に見ようとしていることです。その上でもう一度本書が言っている論理を考え直して理解しているのがよい点です。特に、
      「では仮に自分が原則中心に生きたとして、友達が全くできないだろうか」と考えると、
      決してそうではない。
という理解のしかたが、このレポートのもっとも優れた点であると思います。

TU 君 [第2回] [原文]

   7つの習慣ティーンズは、7つの習慣の鍵となるのは第一の習慣「主体的に行動する」であると書いてある。また「世の中には主体的な人間と反応的な人間がいる」とある。

   主体的とはつまり、自分から進んで行動を起こし、自分の行動に責任を持つことである。

   反対に、反応的とは自分から行動を起こさず待ちの姿勢で、何かが起こったときに感情の赴くままに行動を起こすことである。

   自分がどちらに近い人間であるかを考えたとき、すこし不思議に思った。どちらも当てはまっているからだ。そんなことってあるのだろうか。

   続きを読んでみると、「一日に百回ほど自分が主体的になれる機会があり、初めはそのうちの十回、次は二十回、三十回と回数を増やしていけばいい」とあった。なるほど、つまり自分は主体的に行動しているときと、反応的に行動しているときがあるのだろう。

   「一日を完璧に主体的に過ごす必要はなく、主体的になる習慣をつけることが大切である。完璧になる必要はない」と書かれている。

   確かに主体的になる習慣は大切だと思う。少しずつ努力すれば、きっといつか結果が返ってくると思う。

   しかし「完璧になる必要はない」というのは、私の意見とは少し違う。私は「完璧になる必要はない」のではなくて「完璧にはなれない」もしくは「完璧になっているかどうかは誰にも分からない」のだと思う。

   誰だって無意識のうちに感情のままにうごくことはある。自分の周りで衝撃的な出来事や、予期していない大きな出来事が起これば、パニックになることはごく当たり前のことだと思う。

   しかし、そんなときに衝動的に行動して、姑息なことをしていては結果がよくないことがほとんどである。過去のことは過去のこととしてそれに囚われず、冷静に状況を分析し、次に自分がなにをすべきがよく考える、その力を養うことが大事なんだと思う。

[注: いま、このコメントを十分に書く時間がありません。]

○ (1) TU君のレポートを11/28に読みました。1日後に、TU君に直接、つぎのメールをだしました。

ゼミIBのレポート (第2回)を読みました。今回のものは「評論家的」で、「当たり障りがなく」書いてあって、「実質の内容がありません」。このようなレポートは書いても役にたちません。TU君自身にとって、何の役にも立たない。もっと真剣にこの本、このゼミと向き合うことを期待しています。
私が繰り返しTU君に (他の人にも) 言っているのは、「主体的」とは、「自己を抑制すること」ではなくて、「自己が積極的に行動すること」です(積極的に発言することを含みます) 。この点に関して、TU君がもっと真剣に考えるとよいと、私は思います。
この意味で、第2回レポートは「再提出」してください。

○ (2) 即日、TU君が再提出してくれたのが、後半のレポートです 【掲載省略】。私は、下記の返事をだしました。

再提出のレポートをいまCaddie で読みました。再提出、ありがとう。
即、書き直したのはよいのですが、何を言われたのかをもっと深く考える [一時停止ボタンを押す] とよいと思います。その上で、改めて、(時間をおいてもよいから) きちんと考え、考えた上で書きなおすということがあるとよいでしょう。
これからのゼミで、学び、考え、書いて、行動して行って下さい。

○ (3) 上記の(1)(2)とも、随分厳しい言い方をしてしまいました。他の人へのコメントに比べるときっと厳し過ぎるでしょう。すみません。ただ、それを受け止めてくれるだけの力量がTU君にあると信じているからです。 ---- とりいそぎのコメントです。

TU 君 [第3回] [原文]

   第二の習慣「目的を持って始める」、これだけを聞いたとき私は「将来何になりたいかを考えるとかそういったことだろう」と思った。しかし、ここではそういう意味ではなく驚いた。

   ここでの目的を持って始めるとは「将来何になりたいかを考える」ということではなく「将来なりたい自分をイメージし、そのために何するべきか考える」ということだった。

   確かに、それはすごく大事なことだと思う。将来なりたい自分、例えば就きたい職業を決めても何もしなければなれはしない。

   私は将来ソフトウェア関係の仕事に就きたいと思っている。しかしこのゼミを受けて、それに関係する資格を持っているわけではないし、もっと具体的な職種について考えているわけでもないということを自覚することができた。それ故、資格を取るための勉強やソフトウェア関係にはどんな仕事があるのかを調べるなど、今からできることをすこしずつ始めたいと思えるようになった。非常に実用的で有意義な時間だったと思う。

   第三の習慣では、私の苦手なことがズバリ書かれていた。それは「自信を持って、リスクを引き受け、勇気ゾーンに飛び込む」ということである。

   私は昔から引っ込み思案で、人前で話したり自分から他人に話しかけるのが苦手だった。だから同じ人としか話さず、周りが知らない人ばかりだと自ら孤立してしまう。もちろん孤立したいわけではないし、孤立するのは自分に問題があるのだとそう思っていた。

   しかしこの本には「快適ゾーンでくつろいでいるのは悪いことではない。絶対に未知の海域に乗り出そうとしないのが問題なのだ」とあった。これを読んで、少し気が楽となると同時に、快適ゾーンに居続けるなと自分に戒められるようになったと思う。

   誰もが一度は、周りに親しい人物がいないという状態になる。そんなとき、何もかも自分で解決しようとせず、ほんの少しの勇気を振り絞って自分を知ってもらい、助けを出したり相談したりできる仲間を作ろうと思えるようになった。

● いい文章であり、いいレポートだと思います。文章として添削するべきところはありません。

○ 目的に関して、ソフトウェア関係の仕事からすぐに「資格」に行っています。もちろん資格も有効なものであり、考えるべきものです。それと同時に、あるいはそれより以上に、「実力をつける」ということを意識するとよいと思います。いろいろな実務的なソフト、プログラミング言語、OS、ネットワーク関係、などいろいろなものを自分で使ってそれらを身につけるようにぜひして下さい。授業で講義だけ聞いて、期末試験に合格すればそれでよいわけでありません。本当に分かった、使える、というものを拡大していくように。

○ ほんの少し勇気を振り絞って、自分を知ってもらい、仲間を作る、というのは大事なことだと思います。TU君のレポートが、第1回、第2回、第3回と変化してきているのが、すばらしいことです。嬉しいことです。このようなレポートを書くことも、ほんの少し勇気を振り絞って、自分を知ってもらう努力をしたのだと思います。きっと、助けを出したり (求めたり/提供したり)、相談したりできる仲間ができていくでしょう。よい仲間を作りなさい。

TU 君 [第4回] [微小添削]

   今回の講義では第四の習慣「Win-Winの考え方」と第五の習慣「まず相手を理解してから、次に自分が理解される」、第六の習慣「協力から生まれる相乗効果」を学んだ。

   その中でも、私が特に興味深いと思ったのは第五の習慣「まず相手を理解してから、次に私が理解される」だ。

   私は自分を理解してもらうのが不得意だ。知らない人と会話をするのは苦手であるし、ましてや自分の本音などを知ってもらうというのは正直抵抗があった。逆に、相手のことを理解するのは自信があった。人の話を聞くのは苦ではないし、人に相談されるのは好きだからだ。

   しかし、第五の習慣を学習して本当に相手のことを理解できているのか不安になった。

   今まで友人に相談されたことはたくさんあった。その度に相手の言っていることを聞き、気持ちを理解しているつもりだった。しかし今になってよく考えてみると、相手の話を聞くよりもまず自分の考えを言って、自分の考えを強要するようなことがあった気がする。簡単な状況を聞いてアドバイスを言っただけで、問題が解決すると思ったこともあったように思う。助言する、アドバイスすることが相手の求めていることだと思っていた。

   しかし決してそうではないということが、第五の習慣を学んでわかった。確かにアドバイスすることは大切であるが、まずは相手の話をじっくり聞くこと。じっくり話を聞いて、相手の気持ちを理解することが一番大切なのだということがわかった。重要で有意義な内容だったと思う。

   ゼミナールIBでは、このレポートも含め計四回のレポート提出があった。『7つの習慣ティーンズ』を使っての学びもさることながら、「レポートを書き、それを他人に読んでもらう、また他人のレポートを読む、添削・コメントを読む」というのが、この授業での一番成長する機会であったと私は思う。

   レポートを書く機会というのが今までそれほどなかったし、書いたところで読んでもらうのは担任の先生だけというのがほとんどだった。

   このゼミでは自分の書いたものを他の人が読むことにより、また自分が他の人のレポートを読むことで、各々が他の人のレポートの良いところを吸収することができた。そして、各レポートの添削やコメントを読むことで、どこをどのように直せばいいか、どんな表現を使えば適切かを知ることができた。初めは「さらされる(多数の人に読まれる)のは嫌だ」と思っていたが、2回目になると「さらされてもいいような立派な文章を書こう」と思うようになった。「他の人に読まれるようにする」というのは、結果的には自分のためにも他の人のためにもなってよかったと思う。

   再提出を何度かすることになり、投げ出してしまおうかと思ったこともあったが、今となってはそれもいい経験である。あの時投げ出さず「自己信頼残高」に預け入れをできてよかったと思う。あの時の自分の勇気を忘れないようにしたい。そして、大学生活や就職活動など今後の生活を、あの時の勇気やミッション・ステートメントを思い出し、良心に従って行動できるようにしたいと思う。

● 文章の細部を直しました。
   -- この講義 ==> この授業 (または このゼミ) [講義は先生の話が主体の場合。]
   -- レポートを見る ==> レポートを読む
   -- 他人 ==> 他の人 [「他人」は自分とは (ほとんど) まったく関係がない人のこと]

○ 第5の習慣の「まず相手を理解して、つぎに自分が理解される」というのは、たしかに大事なことです。相手のことを理解したつもりで、助言をしたけれども、本当には相手を理解していなかった/相手は助言を欲しかったわけでない、というはよくあることでしょうね。友達の場合はともかく、先生と学生の場合にはこれがもっと極端になってしまいます。先生は個別にじっくりと学生の話を聞く時間がありませんが、それでいて何も助言しないと無責任になってしまいます。

○ このゼミでの、「4回という多数回のレポート提出、また、全員のレポートをゼミ生全員に配付し読んで貰う、コメントも全員の分を読むようにする」という方式は、学生諸君には随分負担になったことと思います。(TU君のように) あまり自分からしゃべりたがらない諸君も多いですからなおさらです。それでも、この方式が、「(最終的には) 自分のためにも、他の人のためにもなった」と判断して貰えていることは嬉しいことです。

○ 特にTU君には、第2回レポートにたいして、私が随分厳しいコメントをしました。

「今回のものは「評論家的」で、「当たり障りがなく」書いてあって、「実質の内容がありません」。このようなレポートは書いても役にたちません。TU君自身にとって、何の役にも立たない。もっと真剣にこの本、このゼミと向き合うことを期待しています。」

再提出を要求しましたし、再提出分にも、再度厳しいコメントをしましたから、TU君には (今回書いているように) きっと青天の霹靂だったことでしょう。--- その後のゼミやレポートコメント集などを通じて、TU君が私の意図を理解し、この問題を乗り越えてくれたことは、ありがたいことです。

○ 第5の習慣で、「...、次に自分が理解される」ためには、自分が話す (あるいは書く) ことが必要で、「それには勇気が必要です」と本書にも書いていました。この「話す勇気」、あるいは「話す主体性」が、TU君にとってこのゼミでの終始一貫したテーマであったと思います。ゼミの中でも、夕食会でも、レポートでもそういったことを扱ってきました。TU君にも「話す勇気」、あるいは「自分から行動する主体性」が段々備わってきたように思います。夕食会のときに、ゼミの仲間が「TU君が随分自分から話すようになった」と言ったのが印象的でした。こういった背景から、TU君の最後の段落は、力強いものを感じます。大きな飛躍をする準備ができてきたのだと、頼もしく思います。期待しています。


RK 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

RK 君 [第1回] [一部添削]

   読んでまず思ったことは、習慣という普段の行動を根本から変えようという試みは面白いと思った。理由は、人間個人の無意識的行動様式は自分自身で気づくのは難しいと考えたからだ。普段何気なく自分または相手に向けている行動がもたらす結果を先読みし、それに対する対策を与えることは悪い結果を未然に防ぐ効率のいい方法だと思う。そこで今回のレポートには1〜66ページまでを読んで抱いた疑問や意見などを記す。

   まず、私は「パラダイム(固定観念)」と「パラダイム・シフト」という考え方を学んだ。今まで自分の持っていたパラダイムに対して、それを多角的な見方で見て、いろいろな視点からの意見を総合的に考えて得られるパラダイムの転換、すなわち、「パラダイム・シフト」は、大変すばらしいと思った。

   私は楽器が趣味だが、ある時期、技術ばかりを追い求め、本来の目的である「音を奏でる」ということを忘れていた時期があった。それを友達に気づかされて、はっとした。まさに「パラダイム・シフト」を体験したのだった。しかし、この体験と同時に、私はがむしゃらに練習することをやめてしまった。このように、パラダイム・シフトは、一度立ち止まって考えることにより、それまで持っていた熱意を冷まされてしまう場合もある。多角的意見を聞き入れれば、ある意味で一般的な答えにたどりつくであろう。しかし、もし自分がパラダイム・シフトを体験していなければ、今よりもっと技術が向上し、非常識的かつ斬新な奏法を生み出していたかもしれない。以上より私は、パラダイム・シフトにはメリットもデメリットも含むと考える。

RK [第2 レポート] [添削文]

   第一の習慣を読んでまず思ったのが、「主体的な行動は、それが必要だ/大事だとわかっていてもなかなかできない」ということであった。

  たとえば、義務教育時代小学校や中学校の頃に学校から出された夏休みの宿題のことを思い出す。私の場合は、宿題を後回しにし、休暇が終わる5日ほど前になって、「やばい、もうすぐ学校始まって提出しなあかん!」と慌てだしていた。ついつい、自分が主体的にするのではなく、期限に追い立てられて義務としてやるものになりがちであった。そして、そのような宿題が出されなくなった今は、完全に堕落している。しかし他方で、優秀な生徒たちは、夏休みに入る前にとりくみだし、1週間たたないうちに終わらせてしまっていた。そういう人たちのたいていは、今では難関大学に合格している。

  このように、主体的な行動がもたらす影響は非常に大きいと思う。だから、主体的な行動が必要だ/大事だということは、理解している。それでも私のような人は、主体的に(自分から)行動することがなかなかできず、すぐにくよくよしたり、諦めたりしがちである。

  要するに「意志の力」が弱いのである。この本には「意志の力」そのものの鍛え方が書いていないのが残念である。このようなことから、私には第一の習慣は半分程度しか身につかない/ついていないと思う。

   第2の習慣「目的を持って始める」は、私は比較的いつも意識している。

  ただし、この本に掲載されている例がわたしにはあまり共感できなかった。理由は、私はドラッグをしたこともなければ、未来像もない。全く例との共通点がなかったのだ。これは文化による違いと思われる。

   それでも私は目的を意識して行動しているので第2の習慣に関しては疑問も反論もない。

○ RK君のレポートは、今回はじめてで、 3編をまとめて提出してきています。レポートや文章を書く「トレーニング」というのは、(運動のトレーニングでも同じことで、) 分量をまとめてやるよりも、何回にも分けて一段一段やることが大事です。最初に書いた文を添削してもらい、コメントを貰えば、その指導内容を頭に入れて第二の文章を書くことができます。すると第二の文章に対するコメントは、より高度なことの指導になるのです。3回分をまとめて指導してもらっても、それは第一レベルの指導の3倍でしかなく、高度なレベルになりません。ゼミの他の人たちで、(各人にとっての) 第一、第二、第三レベルでの指導ができてきている人たちと、読み比べてご覧なさい。

● RK君の文章は言おうとしていることが、比較的よく表現できています。それでもやはり、文章が長く、だらだらと繋がり、そのために適切に表現できず「舌足らず」になっています。添削例をよく読んで考えてみなさい。

○ RK君は、比較的自分に自信を持って、しっかりやっているように感じます。文章にもそれが顕れています。ただ、その裏返しとして、本を十分に読み込んでいない、吸収していないように思います。そして、本書が言おうとしていることを必ずしも理解せずに (少しの時間しか割かずにかじっただけの内容理解で)、 自分の持論を書いているように思います。

○ 例えば、「パラダイム・シフト」では、本書は必ずしも「あらゆる見方を総合的にみて、考え方を (総花的に) まとめよ」と言っているわけではありません。パラダイム・シフトは、ある意味ではもっと単純に、一つのパラダイム (固定観念)から、その固定観念を壊した別の見方としてのパラダイムへの転換を言っています。新しいパラダイムが総花的なパラダイムである必要はないのです。

○ 第一の習慣「主体的に行動する」のためには、「意志の力」が必要なことはそのとおりです。その「意志の力」を獲得する方法は、(はじめは意志が弱くて) 失敗しても、失敗しても、自分の判断と責任で行動する努力をすることだ、そのトレーニングをすることによって、それが「習慣」として定着していくのだ、と本書は教えていると思います。これが「意志の力」のトレーニング法です。

○ いろいろな事例/実話が、ぴんとこない、文化が違う、というのはたしかにそういう面があるでしょう。授業の中でも、私もときどきそういう注釈をしました。日本での皆さんには、ときどき違う面を強調する必要もあります。ただ、皆さんも、海外での文化の違いをも理解していく必要もあるでしょう。世界は人も経済も文化もどんどんと密接な交流が進んでいくのですから。

○ 他にもコメントしたいことはいろいろありますが、第一レベルとしては、これで止めましょう。

RK 君 [第4レポート] [微小添削]

   第五の習慣は私が日ごろから最も意識している習慣だ。どんな時もまず、相手の話を聞いてから、一旦相手の立場になって考えてから、発言するようにしている。

   ところで、私はこの習慣が身についていない政治家が多いように思う。先日、テレビで大阪市長とほかの議員さんや知識人との、大阪都構想についての議論を見ていた。多くの批判している人たちは、表面の言葉だけをくみ取って批判し、重要な中身の話になると口ごもるばかりだった。私は結果の見え透いたくだらない議論だと感じた。なぜなら、この政治家や知識人たちは大阪都構想の中身を完全に理解せず、突拍子もない構想に、何の考えもなくただわめいているだけだからだ。

   このように批判から入る人達は、第六の習慣にさえたどり着けない。なぜ新案ではなく批判ばかりが口に出てしまうのか、疑問に思う。互いに都構想を検討し、あーでもないこうでもないと、切磋琢磨すべきだと思う。

   最後に、この本を読んで今まで自分になかった物事の見方や考え方が学べ、とてもためになった。最後までよんで、やっとすべての習慣それぞれに重要な意味と役割があることに気づいた。これらすべての習慣をできるだけ意識して、これからの人生を生きていこうと思う。

● RK君の文章は、簡潔で要点をきちんと書けていると思う。ゼミなどでの発言で、しっかりした判断力と、生活習慣を持っていると、私は感じている。

○ 今回のレポートで、大阪都構想に関する政治家や知識人たちの議論のしかたについて論じている。このゼミのレポートでは、『7つの習慣 ティーンズ』での内容と、自分自身の体験、考えを中心にするようにしている。その点では例外であるが、時宜を得た興味深い話題であり、分かりやすい例だから、特にここで扱う。

○ RK君のまとめの段落は、そつなくまとまってはいるが、ありきたりであるとも言える。

○ RK君は吹奏楽部で活動し、また平日に塾の教師、土曜日に障害者のサポート活動をしているという。活発であるのはよいことだが、やはりもっと勉学に集中しないといけない。「頼まれたから」という塾での教師のアルバイトをずっと減らすようにと、助言してきた。情報学部には学ぶべきことが一杯ある。実力をつけないといけないことが一杯ある。このゼミに対しても、やはり手抜きをしてきたことは明らかである。もっと真剣に学ぶべきであると、私は思う。


RT 君 のレポートと 中川のコメント (青字)

RT 君 [第1回] [添削文]

 私がこのゼミナールで学んだ事は、まず「7つの習慣」を身に付けるとよいという内容です。この基本的な「7つの習慣」を自分の中心に置くことによって、人当たりの良いしっかりしていると同時に他人とも協調して行ける性格の人間になれる、という内容なんだなと考えました。

   以下にはまず、これら7つの習慣について、その名称を書いてから、それに対する自分の考えを書いて行きたいと思います。

 第一の習慣は「主体的に行動する」です。主体的に行動をするというのは、第一に必要であると私も思います。まずこの習慣を持たないと、自分で責任を持った行動ができなくなり、悪い友達などに引き込まれて犯罪などの行為に走ってしまうことにもなります。主体的に行動するというのは言い換えると「人としての責任を持って、自分の判断で行動していきなさい。」と言う意味と同じだと考えます。

 第二の習慣は「目的を持って始める」です。人は目的や使命を持たずに、適当に生活を続けていると、いつかは堕落した生活になってしまいます。人は目的を持たずに前へは進めません。小さな目的でもそれを目指す事によって人間は日常に喜びや幸福感を持って生きて行けるのだと考えます。「給料を貯めて自分の欲しい物を買う」といった小さな目的でも、バイトや会社員としての仕事のモチベーションは上がります。私の目的は基本情報の資格を得る事です。

    【以下、第三〜第七の習慣の説明。コメント集では省略 ■■】

   では、それらを見出すためには身につけていくための準備としては何が必要なのか。答えは、自分の気持ちの持ち方、心がまえであり、この本では自分の「パラダイム」にあると書いていました。

   「パラダイム」とは、物事の見方、観点、判断基準、信念のことです。自分に対して「悪いパラダイム」をもっていると (つまり、自分自身を低くしか評価できなかったり、間違った見方をしていると)、そのパラダイムによって自分で自分のできることに限界を作ってしまいます。それは、私たち学生にとっても、もっと可能性があるのにその可能性を自分で消してしまっているのです。

   よって、自分の人生を大きく変える秘訣は、自分が持っているパラダイムを変える事にあると、本書では書いています。自分の限界を自分で狭く決めるのではなく、世の中を幅広く見据えて視野を広げる事によって、パラダイム・シフトを行うと自分の人生を変えられるのだ、と学びました。

それではどんなパラダイムを持てばよいのか、何を中心に置いたパラダイムを持てば良いのかを、本書では考察しています。

    まず例を挙げると、友達中心のパラダイム。これは友達に中心を置くことで自己を保つという考えのパラダイムです。しかし、このパラダイムは友人の関係によってとても崩れやすいと言う事が分かりました。【中略  ■】

   々    さらに、物事中心のパラダイム。両親中心。学校中心。ボーイフレンド、ガールフレンドの中心のパラダイム。これらは「自分自身」の中に中心があるのではなく、「相手」(外のもの) に中心を置いたパラダイムになっていることが問題なのだと考えます。相手にパラダイムを置いてしまうと、相手が少し変わるだけで崩れたり、悪い結果になったりしてしまうからです。

   それでは何に中心をおけばいいのか。それは「自分自信自身の中にある、人間としての原則」だと、本書で学びました。「人間としての原則」に中心を置いたパラダイムをは、ちょっとやそっとでは崩れません。「人間としての原則」は自分の中にある、自分の心 (良心) に問えば分かるので、いつでもそのパラダイムに則って行動できるからです。「原則は裏切らない」と本書で学びました。私は、実にその通りだと思いました。原則を正しく中心に置くことで、ちゃんとした人間になっていけると思います。

 【中略 (自己信頼残高についての説明) ■】

  最後に、どのようにしてそのような人間になっていけばよいのか。どのようにしたら、自分に対する悪いパラダイム (つまり、自分自身に対する低い評価) を変えていけばよいのか。どのようにして「自己信頼算残高」を貯めて行けば良いのか。を考察していきます。

 まずは「自分にした約束を守る」こと。これは、自分にした約束も守れない人間は他人にした約束を守る事なんてできないからです。これを一番初めに自分の心の中心においておかないと立派な人間にはなれません。自分にした約束というのは、自分の心 (良心) に問えば分かることです。

 次に「小さな事でも相手にしてあげる」。これをしてあげる事によって、自分も清々しい気分になれるし、相手にも幸福感が増える。この考え方はwin-winに近いのではないでしょうか。相手も嬉しい、自分も嬉しい。この考え方は本当に良く出来ていると思います。

 次に「自分の才能を否定しない」。自分の才能を否定してしまうと、そこまでになってしまいます。かの有名なイチロー選手も言っていました。「小さいことをかさねることが、とんでもないところに行くただ一つの道」と。小さい事を重ねていくうちにいつかはすばらしい人間になれるという事だと考えました。

 次に「自分に優しくなる」。これは、いつまでもマイナス思考にならずに、次につながるように前向きに行こう、ということです。自分に甘いというのはいつまでも「まぁ自分だから仕方ない」、「俺だからここまでしかできない」という固定観念にとらわれてしまいます。一方、本書が薦める「自分に優しくなる」という心の持ち方は、次のステップのために前向きに捉えることができるのだと思います。自分を変えるための近道ともいえます。この自分に優しくなるというのは新しい自分にリニューアルするためにも必要だと考えます。

   感想: はじめにこの本を読んだとき「7つの習慣」って何だ?と考えていました。授業を進めて行くうちに、「あぁ、そう言われればそんなこともあるな」といつのまにか関心に変わっていました。私が「7つの習慣」の中で一番好きな言葉はwin-winの考え方です。互いに幸福感を与える考え方。この考え方が世界中で広がっていればもっと平和な世界が望めたのではないのか、と思いました。私もwin-winの考え方によって周りの人に幸福感を与えて、心の広い人間になっていければいいなと思いました。

○ RT君のレポートは約3ページの長編で、びっくりしました。内容的にもかなりきちんと書けていると思います。随分努力して、本そのものの引用でなく、自分の言葉に置き替えて、自分の考えを加えて書いているなど、いいレポートになっています。

○ このコメント集では、長くなり過ぎない方がよいので、途中を一部分省略しています。

● このレポートで、改良するとよい点の一つは、本で言っていること (だから本から学んだこと) と、自分の思ったこと、考えたこととの区別をもっとはっきり書き分けることです。例えばつぎのような書き方があります。
   -- 「本書では、・・・と言っている。私もそのとおりだと思う。...」
   -- 「本書では、・・・と言っているが、私は 〜の部分に賛成できない。...」
   -- 「本書でいっていることを、私なりの言葉で要約すると、以下のようである。・・・」
   -- 「本書を学んで、私が考えたのは、・・・・」 など

● やはりまだ舌足らずな (論理をきちんとした文章にできていない) 部分がいろいろあります。上記にできるだけ直してみましたので、原文とよく読み比べてみて下さい。

○ このレポートが優れているのは、本書に書いていることをそのままでなく、自分が理解した形で、自分の言葉をつかい、自分の身近な例などを使って、書いていることです。イチロー選手の言葉を思い出して書いているなどがその典型です。

● 言葉の使いかたが適切でない所もいろいろと直しました。それらはある意味では、単に言葉の選択の問題でなく、理解の深さの問題なのだろうと思います。この本をさらに読み進んで考えていくと、もっとしっかりした理解、しっかりした書き方ができるようになるでしょう。 -- 今後に期待します。

○ このゼミの今後のレポートの長さは、1ページ〜1ページ半程度を標準に考えて下さい。RT君のように3ページにも及ぶ必要はありません。ただ、他の大部分の人たちの、半ページというのは少々短過ぎます。短過ぎると、論理を明確に書けないので、内容が深まりません。第1回レポートのコメントは、文そのものの書き方の注意が多いですが、今後次第に中身、内容の話になっていきます。

RT 君 [第3回] [一部添削文]

1.「第二の習慣、第三の習慣を中心に」とは。

  全体前回のレポートでは「第一の習慣を中心に」と言う事を題材に取り上げたが、第二、第三の習慣は第一の習慣を中心に置く事によって発揮できる習慣と言っても過言ではないだろうよい。それは主体的な行動が出来るをしようとする人間にとっては人が踏み台に過ぎないつきに進むべき段階である。第一の習慣、第二の習慣、第三の習慣、そしてさらに、残りの4つの習慣があるが、これらの習慣を1歩1歩踏みしめて一段一段身につけて行ける人間こそが、成功を収める事が出来るのではないかと考える。このレポートではそんな1つ1つの習慣の内の「第二の習慣(目的を持って始める)」と「第三の習慣(優先順位の位置決め一番大切なことを優先する)」について考察していく。

2.第二の習慣、第三の習慣の重要性

   「第二の習慣」は「目的を持って始める」ことである。目的を持って始めなければ、(学ぶこと、することが) 身にも付かず、ダラダラと過ごしてしまい勝ちになる。目的を持つという事は自己暗示にもなり、精神的にも身体的にも飛躍的に能力が上がる。

   例えば、筋トレをしていたとする。ウェイトトレーニングなどで自分の最大筋力でトレーニングする際、「まだいける、まだいける」と自己暗示をかけると、自分の限界を超えることができる。自分のいままでの実績が最大10回だったとすると、それを越えることを目標にして、10回を1回でも超えると、自分の実績がアップし、自分の最大筋力がアップする。それと同時に、自分の精神面でも1段階アップしているのだ。嫌なこと/苦手なことであっても、自分の目標を1段階ずつ克服することによって、今まで嫌だったこと/苦手だったことを比較的楽に乗り越えられる。

    「目的を持って始める」ということはスムーズに事を進めるためだけでなく、「目的を決める」ことによって自分をさらに一段階アップさせるためにも必要だと考える。

   次に「第三の習慣」は、「一番大切なことを優先する」であり、「時間管理と優先順位づけを学ぼう」とういことである。第三の習慣は、するべきことそれぞれの優先順位 (優先度) をあらかじめ取り決める判断しておくことによって、あわてずに、確実に行動できるというのである。優先度が高い(すぐに必要な事、物)を最優先に考えておく事によって、精神的に追い込まれずに安定した生活が期待できる。これが優先順位の位置決めについてのもっとも分かりやすい説明と言えるだろう。私も現時点でこのレポートの提出期限を過ぎていたので、この第三の習慣を身に付けたいと思っている。

3.自分の「第二の習慣、第三の習慣」に対する考え方。

   「第二の習慣、第三の習慣」というものは人間性を作るために不可欠なものだとも言える。第二の習慣は「目的を持って始める。」第三の習慣は「優先順位を決める」というものであったが、目的を持つ、優先順位を決めるという事は第一の習慣の「主体的に行動する。」と言う内容の派生である。

    「主体的に行動する」という事は「目的を持って効率的に行動する」と言う事に言い換える事も出来る。この授業で学んできて感じた事は、第一から第七までの習慣と言う物があるが、これらは全てつながっている習慣なのだと感じた。どれか一つの習慣が欠けてしまっていると人間の悪い所やボロが出てしまうのであろう。これからもこの授業を受けて自分と照らし合わせながら、第一から第七までの習慣を出来る限り身に付けて行きたいと思う。

● このレポートの一部分 [1.項と2.項の3/4程度] だけを丁寧に添削しましたが、他の部分は時間がありませんので添削できていません。他の部分も同様に推敲するとよいことがいろいろあります。

○ レポートの課題で、私が、「このゼミで学んだこと、考えたこと。第一の習慣を中心に」としていました。この「中心に」というのは、書くべき範囲を指定しているものです。RT君はそれを「自分の中心に置くこと」と解釈したようで、少し食い違いがあります。

● 文章の添削はいろいろ読み取ってください。文をしっかり区切ること。過剰な表現をさけて、簡潔に、また誇張せずにいうこと。論理を明確に表現すること。

○ 「第一の習慣」が土台になって、「第二の習慣」、「第三の習慣」、・・・と積み上げていくのだ、というのは本書が最も言いたいことです。土台の上に、さらに一段一段積み上げないといけない。その一段ごとに、考えるべきことがあり、実行するべきことがあります。土台にしても、上の段にしても、一度でできるものでありませんし、すぐに完全なものができるわけでもありません。不完全ながら努力して積み上げていき、一生それを築きつづけていくものなのでしょう。私自身も学生諸君と一緒に、それをしていこうと思っています。

RT 君 [第4回] [微小添削]

【前半部省略 ■■】

 この授業を最後まで受けて学んだ事は、人間の習慣を大きく分けて7つあるという事だ。

1つ目は「自分に責任を持って事柄を進める。」
2つ目は「目的を持って始めて能力を上げる。」
3つ目は「自分に大切な優先順位を決める。」
4つ目は「相手を称えて、自分にも利益のある行動を。」
5つ目は「相手を理解する姿勢を見せると、自分の人間性も理解される。」
6つ目は「相乗効果で相手にも自分にも気持ちの良い人間関係を築く。」
7つ目は「それをひっくるめて欠点を出来る限り少なくする。」

この考え方を全て自分の中心の習慣に置き換えると上に立つべき人間の人格が現れる。私もこの1〜7つの習慣を思い出しながら今後生活していきたい。この授業を受ける前は自分もただの堕落した学生だったが、授業を受けるうちに少し自覚が芽生えて来たのも事実である。今後この「7つの習慣ティーンズ」と言う文献を読む学生が増えるとキチンと正しい心構えの学生が増えていくだろうと思う。

中川先生へ: 最終回の授業は家庭の用事により出席できませんでしたが、定年までの講義 おつかれさまでした。ゼミの中では「自分もこういう時代があったなぁ」と心に響くものがあり、とても積極的に参加できました。ありがとうございました。

● 上記の文章はほんの少し推敲しただけで、ほぼ原文のままである。RT君の文章は、書き慣れた人の文章だと思う。すらすらと出てきており、文意もよく分かる。ただし、今回のように書いたままで推敲していないと、冗長で、ところどころにミスが残る。

○ 第4〜第7の習慣についての説明 【掲載省略】は、基本的にはこれでよい。

○ 「7つの習慣」をまとめて書き直しているのがおもしろい。自分の心に最もよく残っている形に修正して、表現している。習慣として心がけるべきことの意味づけが少しずつ違っているが、これはこれでよい。--- また、原文のものもアクセスできるようにしておくとよい。

○ 「この授業を受ける前の自分はただの堕落した学生だったが、授業を受けるうちに少し自覚が芽生えて来た」というのは、嬉しいことである。自覚をさらに明確にし、目的を定め、するべきことをしっかりとやっていくようにするとよい。この「7つの習慣」で薦めているとおりであると、私は思います。


編集後記 (中川 徹、2012年 3月 2日)

今年度も、学生諸君の了解を得て学生全員のレポートとそのコメントを掲載できたのは、本当にありがたいことです。きちんと自分の内面をも記述し、それを脚色せずに公開で掲載しているのですから、貴重な記録です。

「文章の書き方」はこのゼミの趣旨の大きな要素です。私のコメント(青字) の ● 印の部分を辿っていただくと、漢字と仮名の書き分け、言葉のニュアンス、句読点の使い方、文を簡潔に区切ること、文の主部と述部の一致を守ること、などいろいろな注意をしていることを読み取っていただけるかと思います。ただし、添削した後の文しか示していませんので、添削の具体例として見ていただくことはできません。TI君の第3回レポートの一部の再提出と推敲の事例は、文章を書いている学生の論理がトレースできて、推敲できた貴重な例だと思います。

レポートの文章として形が整い、内容的にももっともで、通常は「よい作文です」というものが出てくることがあります。それは、学校の作文だけでなく、新聞のコラムや、評論家の文章、随想などで「よい文章」とみなされている種類のものでもあります。本を読んで、その一部をとりあげて、記述し、簡単な感想を書いているものです。私はそのようなレポートを「当たり障りのない文章だが、君自身にとって何の役にも立たない」と言っています。感想でなく、本で「学んだこと」だけでなく、自分のこととして「考えたこと」を書きなさいというのが、私の注文です。要するに、本を読んで、「自分のこととして考えて、その考えたことを書きなさい」と要求しているわけです。これは学生たちに (無意識の) 自己防御の殻から出ることを薦めている/要求しているのです。これは主体性の確立のための大事な一歩です。その貴重な事例を TU君の一連のレポートとそのコメントで読み取っていただけるかと思います。

この『7つの習慣 ティーンズ』で薦めていることは、実に大事なことと思います。自己を内省して悪いパラダイムから解き放たれること、主体性を確立し、目的を持って、自分の生活時間を有意義に過ごすこと、など、いまの学生諸君にとって本当に大事なことです。このような内面の変革、成長のプロセスを、すなおに記録してくれているのがTN君 の4編のレポートです。ぜひもう一度読んでみて下さい。また、このような学生たちを応援してあげて下さい。

自己の確立から、人間関係を作り上げていくことが、そのつぎの大きなことです。「まず相手を理解し、それから自分が理解される」という原則/習慣の実行が大事なことです。さらに、「勝ち負け/競争の思考 (Win-Lose  の追求や、Lose-Winの諦めの状態) から抜け出して、Win-Win を追求する考え方」を、本書は薦めています。いまの世の中のほとんどすべてが「勝ち負け」を基本としていますから、このWin-Win を理解すること、本当にWin-Win を探求することは、学生たちにとって(社会人にとっても同様に) 難しいことです。HO君のレポート、またTN君のレポートが、自分なりの考え方を記述してくれています。

このゼミナールが、1学期間だけではありますが、学生諸君に自分の内面と人生を考える機会になったものと思っています。このようなゼミナールを持てたことは、本当にありがたいことであったと思います。この3月末で大学を退職しますから、これが最終年度のゼミナール報告です。なにかまた別の機会を作っていきたい思います。

もしこのゼミの実践報告を読んで、『7つの習慣 ティーンズ』を読んでみようという人、ゼミで使ってみようという先生があれば、まことに嬉しいことです。

 

本ページの先頭 (2011年度) YI君のレポートとコメント HO君 TI君 TM君 TN君 YM君 TU君 RK君 RT君 編集後記 英文ページ (親ページ、2010.1)
教育実践報告親ページ(1) ゼミナールIBの趣旨 ショーン・コヴィー著『7つの習慣 ティーンズ』 ゼミでの「7つの習慣」の指導 学生のレポートへのコメント例 学生15人のレポート集(2009年度) 中川 徹のミッション・ステートメント 学生レポートとコメント(2010年度、火曜クラス) 同 (2010年度、木曜クラス) 編集後記   英文ページ

 

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最終更新日 : 2012. 3. 6.     連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp