TRIZ/USIT 論文: TRIZ シンポジウム 2009発表
形式知と暗黙知から見た日本のものづくりの変遷
〜新しい経験主義について〜
松原 幸夫(新潟大学)

日本TRIZ協会主催 第5回日本TRIZシンポジウム、2009年9月10-12日、国立女性教育会館、埼玉県比企郡嵐山町

紹介: 中川 徹 (大阪学院大学) 英文: 2010年 1月30日
掲載:2010. 9.30

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編集ノート (中川 徹、2010年 9月23日)

本稿は、昨年(2009年)の第5回TRIZシンポジウムのオーラルセッションで発表されたものです。和文と英文の両方のフルペーパーが提出されている力作ですから、もっと早くにここに掲載するのがよかったと思っております。

本論文には、いくつもの重要で興味深い観点が含まれています。
(1) 知識や技術の習得と伝承における、形式知と暗黙知の役割を考察し、教育システムの特徴付けを試みている。
(2) その観点から、日本の江戸時代、明治〜昭和初期、戦後の教育システムを特徴づけ、形式知のウエイトが増大する方向にあることを示している。
(3) 大きな時代的教訓が国民的な暗黙知を形成し、その上に新しい時代を特徴づける形式知が導入された時代に、大きな文化的興隆が起こる。
(4) このような観点から西洋的思想の一つとしてTRIZを見ると、知識ベース中心の形式知重視の面が見られる。
(5) 日本文化の大きな波として、暗黙知をより重視した、新しい経験主義の教育の興隆が望まれる (必要である)。

よく読んで消化するとよい論文であると思います。

本ページはつぎのように構成しています。ご自分で分かりやすいと思う順番で参照下さい。

[1] 論文概要 (著者)  和文 (概要と内容説明、1ページ)    英文(概要と内容説明)

[2] 発表スライド (29枚)  和文PDF           発表スライド(29枚) 英文PDF

[3] 中川による紹介 (「Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2009」からの抜粋) (2010. 2. 4) 英文

[4] 発表論文 (8ページ) 和文  HTML     和文PDF      発表論文 英文 HTML     英文PDF

 

本ページの先頭 論文概要 スライドPDF スライド英文PDF 中川による紹介英文 論文和文HTML 論文和文PDF 論文英文PDF 第5回TRIZシンポジウム2009 英文ページ

 


[1] 論文概要

形式知と暗黙知から見た日本のものづくりの変遷
〜新しい経験主義について〜

松原 幸夫(新潟大学)

概要

新潟大学では、2007年度より、文部科学省科学研究費補助金(萌芽研究)を受け、「学校教育等における発明創造技法の活用」について研究および検証授業を進めている。学校教育の中にTRIZ等の創造技法を導入するにあたっては、学習者中心の教授法等も併せて取り入れながら、学生の主体性を引き出すことにより、豊かな創造性開発をすることをめざしている。本稿では、はじめに形式知と暗黙知という観点から、わが国のものづくりの変遷について概観した上で、日本の新しい経験主義のあり方について考察する。

内容説明

本稿では、欧米諸国で生まれた発明創造技法とわが国のものづくりの技術伝承法を比較し、今後の発明創造教育のあり方について検討する。これらの発明創造教育法は多数あるので、欧米型の創造教育の典型例としては、発明的問題解決理論TRIZについて考察する。

わが国独自の職人文化に根ざす熟練技能の技法は、最先端の技術分野においても技術革新をもたらす事例も出てきており、徐々に見直されはじめている。

TRIZ等の発明創造技法は、発明の方法に係わる形式知を集大成したものであるが、本来発明という人間の活動の深遠にかかわるものについての方法論の集合体であり、暗黙知とも密接不可分の関係にあり、科学の対象になりにくいものである。一方、実際の研究開発、ものづくりの現場では、知識ベースへの過信から来ると思われる問題が発生してきている。形式知への過信による問題は学校教育においても発生している。本稿では、ダニエル・ピンク氏の「ハイ・コンセプト」と日本の新しいものづくりのあり方を、形式知と暗黙知という観点から比較検討し、新しい経験主義的創造教育のあり方について考察する。

 


[2] 発表スライド全文:

和文発表スライド (29 スライド、PDF 1.2 MB)    (公開、変更禁止、コピー許可、印刷許可)

英文発表スライド (31 スライド、PDF 1.1 MB)    (公開、変更禁止、コピー許可、印刷許可)

 


[3] 論文紹介 (中川 徹)

中川 徹: 「Personal Report of the 5th TRIZ Symposium in Japan, 2009」 (2010. 2. 4掲載) からの抜粋  (英文)   ==>

 


[4] 発表論文全文       

和文論文PDF            英文論文  HTML     英文PDF

目次:

1. はじめに
2. TRIZの現状
3.日本の伝統的技術伝承法
4.先行研究
5.形式知と暗黙知から見たものづくりの変遷
6.考察
7.まとめ
8.謝辞
参考文献


形式知と暗黙知から見た日本のものづくりの変遷
〜新しい経験主義について〜

松原 幸夫 (新潟大学)

概要

新潟大学では、2007年度より、文部科学省科学研究費補助金(萌芽研究)を受け、「学校教育等における発明創造技法の活用」について研究および検証授業を進めている。学校教育の中にTRIZ等の創造技法を導入するにあたっては、学習者中心の教授法等もあわせて取り入れながら、学生の主体性を引き出すことにより、豊かな創造性開発をすることをめざしている。本稿ではこれとの関連で、はじめに形式知と暗黙知という観点からわが国のものづくりの変遷について概観した上で、新しい経験主義のあり方について考察する。

1. はじめに

本稿では、欧米諸国で生まれた発明創造技法とわが国のものづくりの技術伝承法を比較し、今後の発明創造教育のあり方について検討する。これらの発明創造教育法は多数あるので、欧米型の創造教育の典型例としては、発明的問題解決理論TRIZについて考察する。

わが国独自の職人文化に根ざす熟練技能の技法は、最先端の技術分野においても技術革新をもたらす事例も出てきており、徐々に見直されはじめている。

TRIZ等の発明創造技法は、発明の方法に係わる形式知を集大成したものであるが、本来発明という人間の活動の深遠にかかわるものについての方法論の集合体であり、暗黙知とも密接不可分の関係にあり、科学の対象になりにくいものである。一方、実際の研究開発、ものづくりの現場では、知識ベースへの過信から来ると思われる問題が発生してきている。形式知への過信による問題は学校教育においても発生している。

新潟大学では、ここ数年「感性とものづくり」というテーマでフォーラムを開催している。感性を磨くには、基礎鍛錬と人と人のつながりの中で技を極める経験主義的な人材育成が重要である。経験主義的人材育成を考察する際には、「暗黙知」という概念がよく用いられるが、本稿では「形式知」と「暗黙知」という概念を用いて、わが国のものづくりのあり方の変遷について考察する。

また、ダニエル・ピンク氏の「ハイ・コンセプト」と日本の新しいものづくりのあり方を、形式知と暗黙知という観点から比較検討し、新しい経験主義的創造教育のあり方について考察する。

2. TRIZの現状

以下は、報告者のこれまでのTRIZを活用した経験等に基づき、その長所と短所をまとめたものである。

2.1 TRIZの効果があると思われるケース

2.2 TRIZ利用で問題があると思われるケース

3.日本の伝統的技術伝承法

以下では、日本の伝統的な技術伝承法およびその流れをくむ現代の日本的なものづくりについて、その概要を簡単に紹介する。 

3.1 守破離の思想

「守破離」の思想は、東山文化(足利八代将軍善政時代)から生まれたもので、能楽(観阿弥)から出て茶道へ波及し、それを武芸者が援用したとするのが通説である。その精神は、日本の江戸時代から現代に至るものづくりにおける徒弟制度にも引き継がれている。以下は「山上宗二記」の中にある茶道の守破離についての記述の要約である [2]。

3.2 江戸時代の徒弟制度

以下は江戸時代の徒弟制度についての概要である。

3.3 ドイツのマイスター制度

 日本の制度ではないが、ドイツのマイスター制度も日本の徒弟制度に共通することが多いので、以下にその概要を述べる。ベンツやBMWができるのもマイスター制度に負うところが大きく、ドイツの国際競争力の源泉はマイスター制度にあるとドイツ国内では認識されている [3]。

4.先行研究

4.1 形式知と暗黙知から知の創造サイクル

「暗黙知」とは、言語等で表現できない経験や勘に基づく知識のことで、ハンガリーの哲学者・物理学者であるマイケル・ポラニー(Michael Polanyi)によって1996年に提唱された概念である。これに対する概念が「形式知」である。日本では一橋大学大学院の野中郁次郎教授が、優れた業績を上げている知識創造企業の中で行われている暗黙知と形式知の変換・移転プロセスを説明するため、「SECIモデル」を提唱している。

以下では、これらの概念を参考にした上で、形式知と暗黙知の形成と活用という観点から検討を行う [4]。

図1は形式知と暗黙知の循環を以下の6ステップに分け、徒弟制度の技術伝承のプロセスを模式的に示したものである。

伝統技法の「守」の段階では、@、A、Bのサイクルを繰り返し、「破」の段階で他所の技法も学んでいく。この「守」「破」のプロセスはドイツのマイスターの「職人遍歴」と相通ずるものがある。

一点鎖線で示した「新徒弟制度」は、岡野工業等の先進的な中小企業の事例に相当し、「守」の暗黙知活用の形成が一応終了した段階で、C、D、Eの形式知のサイクルに入っていく。形式知と暗黙知の両方の領域でかなりの深さをもって循環できるので、知識ベースだけの活用では成し遂げられなかった技術革新も可能になる。

図2は、TRIZの「知のサイクル」を同じ6段階のサイクル図上で示したものである。TRIZの体系は、DとEをカバーしている。Eの段階がうまく機能するためには、コンサルタント等の外部の暗黙知による支援が必要になるケースが多い(図2の(A)参照)。

図2の(B)の矢印は、仮によいアイデアが出てもその技術を具体化するための試作、実験まで行かないケースを示す。

図2の(C)は、D、Eのステップだけで「知」が循環し、燃え尽きてしまうケースである。TRIZにおいても、(D)のように、暗黙知と形式知の両方のステップを循環していくことが理想的な技術革新のサイクルであると思われる。

4.2 わが国の学校教育の変遷

暗黙知と形式知の観点から前述の6段階のステップを用いて、江戸時代から現代に至るまでの日本の学校教育の変遷のイメージを図示したものが図3である。

先ほどの6段図では、step1からstep6までの各工程をどのように一人の技術者またはプロジェクトが推移していくかを示したものであるが、図3では、各時代の教育が、この6段階の工程のどこに重点を置いて取り組んでいたかを示している。この図は、報告者の限られた知見と主観に基づき描いたものである。

図3中(A)の円は江戸時代の寺子屋と徒弟制度における教育を図示したものである。基礎の徹底反復により暗黙知の醸成がなされており、そこでは学ぶ喜びもあった。ただし形式知を共有するための情報インフラの整備が十分ではなく、技術革新のスピードは遅い。

図3中(B)の円は戦前の学校教育を図示したものである。

図3中(C)の円は、戦後の教育を図示したものである。過度の知識伝達により暗黙知醸成の場が減少し、学ぶ喜びも失われつつある [5]。ゆとり教育では、(C)の円のStep5.6の部分で形式知の学習量は緩和されたものの暗黙知醸成のための十分なプログラムは組まれておらず、基礎鍛錬が不足し学習意欲も高まっていない。

日本の伝統的なものづくりにおいては、「守破離」の「守」の段階で基礎事項の習得を徹底する一方で、本当に重要なことは教わるのではなく、自ら感じとり、考え、学び取っていくプロセスがしっかり守られている。欧米の「学習者中心者の教授法」やPBLと日本の伝統的なものづくりのあり方とは、「人が自ら考え、感じとる力を育てる」ことを重視する点で相通ずるものがあると思われる。

また、暗黙知の醸成については、内面的、文化的なものにも関わるので、国ごとの風土や国民性にあった独自の学習カリキュラムを開発していく必要があるものと思われる。

5.形式知と暗黙知から見たものづくりの変遷

上記の研究を受け、明治維新以降の日本のものづくりの大きな流れを俯瞰するため、以下の仮説を立てた。

明治元年に10歳だった人が60歳で社会から引退すると、江戸時代の暗黙知の影響力は社会からほとんど消えてしまう。

もし明治以降に導入された西洋式社会・教育システムが江戸の暗黙知に替わる新しい有効な暗黙知を醸成できなかった場合、江戸の暗黙知の影響力がなくなった時点で社会は混乱しはじめる。

この中間で前の時代の暗黙知と新しい形式知が共存する時代がある。この両者が並存する時代には社会は繁栄する。

同様のことは戦後についてもあてはまる。

終戦のときに江戸時代の暗黙知はなくなっていたが、戦後なぜ劇的な経済復興を成し遂げることができたか。

暗黙知は通常江戸時代のように良質の伝統文化のもとで醸成されるが [6]、数多くの失敗体験または一つの巨大な失敗体験によっても獲得される。

終戦時には、敗戦により深く大きな暗黙知があらゆる世代に瞬時に共有された。敗戦の暗黙知には言葉では言い表すことのできない深いものがあり、その底流をなす精神は、平和への願い、平和に働けることの喜び、分かち合う心であった。

終戦により戦後の形式知としての社会システムは米国型に転換された(図5参照)。この新しい形式知と戦前の暗黙知、この両方が揃っているときに日本が繁栄した。この時代は高度成長期にあたり、東京オリンピック、所得倍増計画、日中国交正常化等があり、80年代には「ジャパン アズ ナンバーワン」といわれた。

戦後、米国式の社会教育システムが導入されたとはいえ、明治以降の伝統もあり、つい最近まで日本の学力は世界一であった。それが近年なぜ低下してきたか。その原因は、IT革命により形式知の量が急激に増大し、日本の基礎鍛錬を重視する伝統的な学力養成システムが機能しなくなったことにある。ものづくりにおいても同様のことが起こっている。IT革命により引き起こされた情報の消化不良により、感性を磨くシステムが脆弱になってきている

では、江戸時代はどうだったのか。なぜ50年で社会がおかしくならなかったか。江戸時代の暗黙知は、百年以上にわたる戦国時代の中で得られた巨大な暗黙知を集大成したもので、二度と戦乱の世がこないようにという深い願いが込められていた。そして人間の強さと弱さを知り抜いた人々が、開幕後50年の間に、平和と繁栄を維持するために必要な暗黙知が継続して再醸成されるシステムを作りあげることに成功した。徒弟制度や寺子屋や江戸しぐさもその一つである。江戸幕府は、海外から形式知が無差別に流入することの功罪をよく知っており、鎖国政策を実施する一方で、出島において広く海外へのアンテナを張り、海外の上質の情報のみを精査して取り込んできた。厳選された質のよい情報は、出版事業を興し広く頒布し世に広めた。形式知は精査されていたので、庶民には形式知、文書への畏敬の念があった。また、本当に大切なことは安易に文章化して伝えると暗黙知の再醸成が困難になることも熟知していた。このようにして江戸時代は長期にわたる安定した世をつくることができた。

この暗黙知50年の仮説は、明治維新や終戦の時のように社会制度や文化が一度断絶してしまうほどの大変動があったときに最も鮮明に現れる。ただしこの仮説には例外がある。特定の家、企業、村、文化団体等の中で社会の変動に左右されることなく、家訓や企業風土、技術伝承や伝統行事を守り抜いたところには、この50年説は当てはまらない。わが国の熟練技術の分野で先駆的な取り組みをする企業はこの例外に当たるケースが多い。これらの企業群は、暗黙知の重要性をよく理解し、代々続く家訓や企業理念を忠実に守り抜く一方で、新しい技術を積極的に導入していく。彼らは単に新しい形式知を導入するだけでなく、広く世界の最先端のものづくりの現場に出かけ、実際に自分の目でものを見、そこの空気を肌で感じ、その形式知の裏にある暗黙知までも感じ取っている。そこには守るべきものは守り、変えるべきものは変える新しいものづくりがある。[7]

図5の下段のノーベル賞受賞は、経済・社会情勢と無関係に分布している。これは大学の研究室が前述の高度熟練企業群と同様、基礎鍛錬、共同生活、試行錯誤等を重視する経験主義的な人材育成システムを、社会変動に左右されることなく維持してきたためであると考えられる。

6.考察

6.1 SECIモデルの位置づけ

一橋大学大学院の野中郁次郎教授は、高度成長期の日本において優れた業績を上げた知識創造企業の中で行われていた暗黙知と形式知の変換・移転プロセスを説明するため、「SECIモデル」を提唱した。このSECIモデルは、前述のものづくりの流れの中での位置づけでは、形式知と暗黙知の両方が併存し充実していた高度成長期の日本企業のベストプラクティスをあらわしたものということができる。

6.2 ダニエル・ピンク氏「コンセプトの時代」との関係

クリントン政権は80年代の米国の経済復興を成し遂げたが、その際労働長官補佐官を務めたのがダニエル・ピンク氏である。現在はフリージャーナリストとして活躍している。彼の著書『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』は、2005年の米国ビジネス書部門ベストセラー1位を獲得している。以下は、AUTM2009におけるピンク氏の基調講演の要旨である。

徒弟制度においても、守・破・離の破の段階で渡り職人(ドイツのマイスター制のもとでは「職人遍歴」)を経験し、異なる親方のもとで多様な経験を積むことを重視しているが、多様な経験を重視する点でピンク氏と共通している。

また、本稿で「暗黙知」と「形式知」という用語で表している概念を、「右脳」と「左脳」という用語でピンク氏は表現している。図1の知の創造サイクルにおいて形式知と暗黙知の双方の領域を循環することの重要性を述べたが、ピンク氏も「右脳思考」は重要だが、「左脳思考」と併用することの重要性を指摘している。

また、ピンク氏は全体的な把握の重要性を指摘しているが、前述のようなものづくりの流れを俯瞰することも意義があるものと思われる。

6.3 17世紀科学革命との比較

近年、最先端の科学技術でもなし得ない技術革新が、熟練技能によってもたらされている例は多い。西欧の17世紀科学革命は、16世紀の知識人が職人や技術者に学び、文書偏重から経験重視に移行することによりもたらされたが、現代においては熟練技術の分野で職人や技能者が科学技術の分野に踏み込むことにより、同じような状況が起きている。以下は「一六世紀文化革命2」 [8] (山本義隆2007年)からの抜粋である。

「科学と技術の関係は、一九世紀以降には科学の成果を技術的に応用するという形が通常であるが、一七世紀にはむしろ科学が技術を学ぶ、ないし先行する技術を科学研究に用いるという形でおこなわれたのである。それは一六世紀に職人や技術者からなされた提起を一七世紀の先進的な知識人たちが受け止めたことに始まる。」

21世紀においても、科学技術と伝統的な経験主義的技術者養成システムとがスパイラルな関係を構築できれば、17世紀の科学革命のときのように形式知と暗黙知の適正なバランスが回復され、ものづくりのさらなる発展が可能になる。

6.4 「伝承」」と「弁証法」

日本の伝統的ものづくりは「伝承」の中で行われる。伝承される中で、時の経過に耐えうる最良の情報だけが選び抜かれていく。一方、近年の欧米型のものづくりにおいては、対話形式で議論する弁証法が主流になっている。弁証法の世界では正論が詭弁に敗れることもあり、これを是正するため、ソクラテスの弟子のプラトンがイデア論を導入した。弁証法は自然科学の分野では、対象となる自然そのものがイデアを体現しているため正しく機能するが、社会科学や人文科学の分野では、イデアを論じることなく弁証法を適用すると的外れの結論が出ることもある [9]。企業経営において企業理念が重要とされるのもこのためである。豊かな暗黙知を醸成するためには、伝承の世界と弁証法の世界の双方を循環する必要がある。

6.5 試行錯誤の重要性

日本の徒弟制度においては、「読み」「聞く」ことよりも、「見る」ことを重要視する。本や言葉で教えられたことはすぐ忘れてしまうが、見て汗をかきながら試行錯誤したことは暗黙知として蓄積される。師からは最終成果だけを見せられるので、そこに至るプロセスは一人で考えることになる。いきなり答えを与えないので、知識欲がかき立てられ自ら考える面白さを知ることになる。その過程で師を上回る洞察力や創造力を身につけることもある。ピンク氏も感性を磨くための6つのレッスンの中で、数多くの失敗をすることの重要性を指摘している。

6.6 「コンドラチェフの波」との関係

「コンドラチェフの波」とは、ロシアの経済学者ニコライ・ドミートリェヴィチ・コンドラチェフが、1920年代に英国、フランス、アメリカなどの卸売物価指数、公債価格、賃金、輸出入額、石炭・鉄鋼生産量の長期時系列データを分析して発見した約50年〜60年周期の景気循環のことである。この波の終期に位置する変曲点の近くで、恐慌、革命等の歴史的構造変動、人間社会の相転移が生じる。このコンドラチェフの波は、経験的な事実としてその存在が知られているにもかかわらず、その生成メカニズムは依然として解明されていない。

最も主流の仮説理論としては、シュンペーターの「企業家精神による創造的破壊理論」があり、これは「天才企業家が降臨し、技術革新が加速することで創造的破壊が起こる」というものである。しかし、なぜ50〜60年サイクルで天才企業家が現れ時代を画する技術革新が生じるのかは説明されていない。

以下では、このコンドラチェフの波を形式知と暗黙知の観点から考察する。

前述のとおり社会の激変期、恐慌期には、人々は、幾多の失敗を経験し、暗黙知が醸成される一方で、社会的混乱を収拾するためにそこで得られた暗黙知が即座に施策として生かされる。

このような社会の激変期を乗り越えた暗黙知を持つ人々も、暗黙知50年の仮説で述べたとおりやがては社会から姿を消すことになる。その次の世代は、前の世代の暗黙知を持つ人々が作り上げた新しい社会体制のもとで、安定した経済成長を享受し、社会の激変期に求められた暗黙知が必要となることも少なくなる。形式知の習得だけで安定成長を遂げることができるため、社会・教育システムも、効率重視の観点から形式知偏重型になり暗黙知の重要性が忘れ去られる。

形式知偏重になり暗黙知が脆弱になると、様々な社会変動に適切に対応できなくなり、社会が混乱し、再び社会の激変期を迎えることになる。

この意味において、コンドラチェフの波は日本の明治維新後と戦後の社会の変遷に適用可能である。ただし、その周期は、コンドラチェフの波が50〜60年であるのに対し、日本の場合約70年とやや長めになっている。

このコンドラチェフの波は、日本の江戸時代には適用することができない。それはなぜであろうか。

江戸幕府においては、コンドラチェフの指摘するような長期的周期変動は、開幕当初から最重要課題として認識されていた。江戸幕府は、二度と戦争や社会の激変が来ることを防止するためには暗黙知の醸成が重要であることを認識していた。経済、社会、文化の各分野で代々暗黙知が再醸成される人材育成システムを作り上げることを目指していた。

その一例として、ものづくり、茶道、武道等における「守破離」をあげることができる。

「守破離」の中では、先ほどのコンドラチェフの波で指摘された「成長、破壊、創造」の循環過程が一個人の人材育成のプログラムの中に取り込まれている。江戸時代には、ある共同体の中で、「一人前の社会人」として認められた時点で、その個人は形式知と暗黙知も兼ね備えた人材となっていることが理想とされていた。このような人材を連綿と輩出することができたので、江戸時代は260年存在できたものと考えられる。

守破離の中では、コンドラチェフの波に相当する循環プロセスが一個人の人材育成システムの中に取り込まれており、このシステムが適切に機能すると、コンドラチェフの波とは無関係な安定成長社会を長期間維持できることになる。

6. 7 文殊の知恵〜第三の知〜

守破離のプロセスでは、一人の個人の中で、形式知と暗黙知のスパイラルがおこるが、このスパイラルは、共同体の中で起こることもある。実際の組織の中では形式知と暗黙知の双方をひとりで併せ持つ感性豊かな人材を得ることは稀である。このような場合にも、暗黙知か形式知のいずれか一方にのみ秀でた人材は、通常どの組織にも必ずいる。これらの人々が協調して共同作業することができれば、前述の知のスパイラルは、グループレベルで実現することが可能となる。このような知のスパイラルは、日本の高度成長期を支えた「QCサークル」活動の中にも見出すことができる。日本には古くから「三人寄れば文殊の知恵」という諺があるが、これも多様な暗黙知と形式知がグループ内で融合することの重要性を説いたものということができる。守破離の制度においても親方、兄弟子との「共同生活」が極めて重要な要素となっている。[10]

日本の伝統的な人材育成システムの中には、個人内部の知のスパイラルとグループ内での知のスパイラルという2つのレベルでの知の融合が内包されている。このようなプロセスの中から「第三の知」ともいうべき様々なインスピレーションが生まれてくるものと思われる。

6.8 新経験主義

図6は前述のものづくりの変遷における形式知と暗黙知の相関関係を模式的に示したものである。暗黙知については50年存続するという仮説を述べたが、新しい形式知や新しい社会・教育システムについても、それが社会的に浸透し影響力をもつまでは約20年を必要とする。図5では、戦後20年を経過し東京オリンピックが開催された昭和40年頃から経済成長が活発になってきている。これは終戦時に10歳だった小学生が新しい社会・教育システムのもとで育成され社会に出て10年たち、30歳の頃から社会的な影響力を持ち始める時期と一致している。

戦後の初めの20年間は、新しい形式知が充分でなく知のスパイラルは起きない。明治時代においても、経済活動の法的インフラともいうべき西洋型の民法が施行されたのは、明治維新から二十数年後のことである。戦後20年から50年の間は形式知と暗黙知がともに充実しており、知のスパイラルが起こり、高度成長期となる。50年前後から前の時代の暗黙知は減少し、知のスパイラルは低下するが、生産量の拡大は続きバブル経済に移行する。形式知は、直線的でロジカルな知が主流となり増大していく。

今後は、一部の高度熟練技術企業、大学の研究室等で維持されている経験主義的人材育成システムを見直すとともに、IT革命により急増した情報を精査し、また細分化した技術情報を体系化することにより、知のバランスを回復することが必要となる。

環境問題等が起こり、現代社会においては科学技術万能の考え方に変わる新しいコンセプトが求められている。高度成長期には形式知と暗黙知のシナジー効果により、知の増幅と物質的繁栄がもたらされたが、これからの社会は形式知の量ではなく質を重視し、経験主義的な人材育成システムを見直すことにより新しい暗黙知を醸成していくことが重要である。この2つの新しい知が融合することにより知が増幅するだけでなく、知の深化も同時に進められ、人と自然と科学が調和した新しいものづくりのあり方が生まれてくることが期待される。

6.9  B.D.O.サイクル〜21世紀の守破離〜

図7は、前述の6段階の知の創造サイクルの各工程を基礎鍛錬(Basic Training)と深化(Deep Innovation)と展開(Open Development)の3つのステップに単純化したものである。

長期的な人材養成プログラムの場合、このB→D→Oの順に回していくことが望ましいと考えられるが、短期の学習プログラムの場合は、はじめから深化から展開へと進むように構成することも可能である。いずれにしても展開が深化や基礎鍛錬の後に来た方が、創造性開発、人材育成の観点からは、効果的と思われる。

暗黙知の中には、「限界への挑戦、夢、情熱」のようなものも含まれるが、このB.D.O.のサイクルを回すことそのこと自体が、仕事への関心を高め、夢や情熱を育成するプロセスになっている。守破離のプロセスは、単に暗黙知を醸成するだけでなく、仕事そのものの楽しみ方を伝承しようとしている。

そして、このような人材育成プロセスを広く社会に普及することができれば、社会は調和した形で長期に安定して成長発展することが可能になるものと思われる。

7.まとめ

以下は、今後のものづくりのあり方についての提言である。

最後に、明治の初頭に来日したバジル・H・チェンバレン(1850〜1935)の言葉を紹介する。

「過去にしっかりと根をはっている国民のみが、将来において花を咲かせ、果実を結ぶことを期待できる。」

8.謝辞

本報告は、文部科学省科学研究費補助金を受けて行った研究成果の一部である。本稿を作成するに当たり多くの方々にご助言いただいた。この場を借りてお礼を申し上げる。(原稿提出日2009年7月27日)

参考文献

[1] Darrell Mann著 中川徹監訳「TRIZ実践と効用(1)体系的技術革新」(創造開発イニシアチブ、2004年)

[2] 藤原綾三「守破離の思想」(ベースボールマガジン社、1993年)

[3] 風見明「『技』と日本人」(工業調査会、1995年)

[4] 村川英一「熟練技能の継承と科学技術」(大阪大学出版会、2002年)41頁図24、図25参照

[5] 西之園晴夫・宮寺晃夫編著「教育の方法と技術」(ミネルバ書房、2004年)

[6] 拙稿「感性を磨く〜新しい徒弟制度について〜」自動車技術会関東支部報「高翔」Vol.51, 20〜24頁(2009年4月)

[7] 拙稿「新潟県における熟練技術の育成法についての研究」第6回日本知財学会予稿集(2008年)

[8] 山本義隆「一六世紀文化革命2」686頁(みすず書房2007年)

[9] 宅間克「レゾンデートル戦略研究会資料」(2008年12月)

[10] 沖田行司「日本人をつくった教育 寺子屋・私塾・藩校」(大巧社2000年)

 

 

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最終更新日 : 2010. 9.30    連絡先: 中川 徹  nakagawa@ogu.ac.jp